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猫を抱いて長電話54
日期:2020-08-11 10:43  点击:275
 永遠の味です、もう一杯!
 
 けっして味覚音痴ではない。断言できる。自分で作る料理の味には自信がある。外で食事して、本当に旨《うま》いものと平凡な味との微妙な違いも区別もできる。
 しかし、しかしである。「忘れられない食べ物は何か」と聞かれると、はたと悩んでしまうのである。
 スペインの鰯《いわし》のフリッツ、もう一度食べたいわ、あーら、それを言うなら北フランスのキノコソースのかかった魚に限るわよ、とかなんとか、カフェバーのカウンターで粋《いき》に会話を交わしたこともないし、「あれをもう一度、食べることができたら死んでもいい」と思うものもない。
「死んでもいい」で思い出したが、以前、何かのアンケートで「死ぬ間際にこの世の最後の食事として食べたいものは何か」というものがあった。忘れられないあの店の霜降りステーキだの、なんとかという店のラーメンだの、と答えていた人たちがいたが、私は「バーカ」と思ったものだ。食い意地はってるだけのグルメが言いそうなことだ。死ぬ間際にステーキなんか食べられるか。
 だが、たったひとりだけ、そのアンケートで「子供のころ、母がいれてくれたのと同じ熱いほうじ茶を、ふうふう息を吐きかけながら飲み、ああ旨かった、と言ってから死にたい」と答えていた人がいた。じつにいいなあ、と思った。こういう答えはじつにいい。
 この世の最後の食事に、熱いほうじ茶を所望する。煎茶《せんちや》ではいけない。安っぽいほうじ茶。ピクニックで食べるおにぎりに似合うようなほうじ茶でなくてはいけない。そのほうじ茶を気に入った茶碗に入れ、湯気の向こうに見えかくれする茶柱なんかを見ながら、「ああ、昔を思い出すなあ」などとつぶやきながら、この世の最後の食事を終える。最高の味、忘れられない味、というのはこういうものを言うのだと思う。
 昔、「渡辺のジュースの素」という粉末ジュースがあった。テレビでもガンガン宣伝していたから、「ワタナベのジュースのモトです、もう一杯」というあの歌を覚えている人も多いだろう。バヤリースや「リボンちゃん、リボンジュースよ。わかった?」というCMでお馴染《なじ》みのリボンジュースなどと並んで昭和三十年代後半のヒット商品だった。
 当時、小学生だった私は、学校から帰って「渡辺のジュースの素、クリームソーダ」を自分でコップにあけ、冷蔵庫で冷やしておいた水を注ぎ、ストローを差し込んでぐぐっとイッキに飲み干すのが楽しみで仕方なかった。
 クリームソーダといっても、人工着色した緑色の水の上にぶくぶくと泡が立つだけのシロモノなのだが、あのおいしかったことといったら。この世にこんなにおいしいものがあるのか、と思ったものだ。
 あのころは忘れものをすると、家に取りに帰ることを命じられ、子供たちは泣く泣く昼下がりの人けのない道をひとり歩いて取りに行く、という悠長な時代だった(今はこういうことしないんでしょうねえ。誘拐、交通事故、子供の自殺なんかがありますから)。
「何い? 教科書を忘れた? すぐ取りに行って来いっ!」
 そう怒鳴られ、クラスの子供たちの気の毒そうな、それでいておもしろがっているような視線を浴びながら廊下に出る時のあの打ちひしがれた気分は今も覚えている。授業中の廊下には人の姿はなく、しーんとしている。靴を履《は》きかえ、外に出ると教室の窓から担任の教師の横顔が見える。こちらのことなど忘れたかのように黒板に向かっている。ああ、自分はひとりぽっちだ、と思う。涙が出てくる。
 少しでも早く戻れるように、と思いきり走る。
 自宅の玄関前に立ち、そっと戸を開ける。母がひとり、遅めの昼御飯を食べていたりする。
「あら、何よ。また忘れもの?」
 泣きたくなるのをこらえて、私は教科書を小脇にはさみ、黙ってコップを取り出す。「渡辺のジュースの素」を中に入れ、水を注ぐ。緑色の泡の浮いた「クリームソーダ」。
 ゆっくり飲んでなんかいられない。ストローもなしだ。大慌てでコップをつかみ、ごくごくと音を立てながら飲み干す。
 束の間、ほっとした気持ちが甦《よみがえ》る。忘れものをしたからこそ、ジュースが飲めたのだ、という帳尻合わせにバツの悪い幸福感を覚え、その分、急いで靴を履く。
 再び学校へ向かう道を歩いているうちに、必ずゲップが出る。「渡辺のジュースの素」の味のするゲップ。
 口の中に広がり、鼻に抜けるあの味は、今も忘れられない。
 幼年期に知った味こそ、永遠の味。でもこの世の最後に「渡辺のジュースの素」を所望するとしたら、ちと欲がなさすぎるか。
 

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