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猫を抱いて長電話55
日期:2020-08-11 10:44  点击:856
 明かりのデカダンス
 
 現代日本人の趣味志向を大きく分けると「ヨーロッパ派」と「アメリカ派」とに分類されるのではないか。
 簡単に言ってしまうと、「ヨーロッパ派」は荘重、華麗、優美、繊細……といった雰囲気を好み、「アメリカ派」はカジュアル、ポップ、合理性……といったものを好む。例えば建築物なら前者はオーク材を使った床、アイボリーホワイトに塗りこんだ壁、チューダーふうのどっしりとした家具……なんてのがお好みで、後者はパイン材を主としたカントリー調の家具やシンプルさを強調したモノトーンの壁、大胆な照明……なんてのがお好みである、という具合だ。
 で、まあ、これに関してはどうでもいいのだけれど、この分け方によると、私は自分のことをずっと長い間、「ヨーロッパ派」だと信じていた。一生、かなえられない夢だろうけど、もし三十畳のリビングのある億ションに住むことができるのだったら、絶対に壁から天井、インテリアまでピッカピカの本格クラシックにまとめてやるのだ、と思っていた。
 ところが、である。聞くと見るとは大違い。私は縁あってこの二、三年の間に数回、フランスを訪れる機会を得たのだが、そこでいくつかのヨーロッパタイプのホテルを転々として、うんざりした。
 スポンサー付、アゴアシ付……という優雅な滞在ではなかったので、当然、ホテルも五つ星デラックスタイプなんてのには巡り会わなかったのだが、それでもそこそこに「並以上」の場所を選んだつもりである。むろん、バストイレに、カラーテレビ、ヒーター付の部屋で、窓を開けると緑に囲まれた煉瓦造りの町並みが見え、化粧用のドレッサーやクローゼットなども、日本で買ったら目の玉が飛び出すに違いないホンモノのアンティーク。真っ白の胸当つきエプロンをかけた太ったルームメイドが、毎日掃除のたびに艶出《つやだ》し剤をつけ、リンネルの布巾で拭《ふ》いている様子を想像できるあたりなど、なかなかヨーロッパ的でよろしかったのである。
 夜、眠る前の部屋の雰囲気も、ベッドサイドの淡い照明がぼんやりと室内を照らし出したりなどして、大変、結構。さすがヨーロッパの歴史の重みは凄い、などと感心していたのだが、それも束の間のことであった。
 問題は昼なのである。はっきり言って室内が暗い。淀《よど》んでいるのである。空気が停滞しているのである。部屋の中でじっと物思いにふけっていたりすると、自分が異国で病に倒れ、全人類に忌み嫌われながら死んでいく悲劇のニッポン女性か何かのように思えてくるのである。
 窓をいくら全開しても、室内の一部がちょっと明るくなるだけで効果はない。仕方なく間接照明の明かりを頼りにするのだが、ただでさえ重苦しい部屋の雰囲気は、あの薄黄色いぼーっとした明かりがつくとますます、うっとうしくなる。微熱が出てきたような感じに襲われるのである。
 そのため、滞在中、私はほとんど、昼の間は外をふらついていた。疲れるとカフェに入る。明るい光の中に席をとり、そこに坐ると本当にほっとするのだ。
 これはホテルだけにあることなのだろうか、一般の人々の住まいは違うのだろうか、とそう訝《いぶか》しく思っていたのだが、ある時、たて続けに二度ほど、パリの一般家庭に食事に招かれて確かな結論を得ることができた。
 出かけて行った先の二軒の家(ゴージャスなマンションだったが)が二軒とも、薄暗い。どっしりとしたアンティーク家具や、あこがれのまなざしを送ってしまいたくなるインテリア用品に満ちあふれているのだが、そこはホテルの中と同じように、空気が停滞し、眠くなってしまいそうなぼーっとした光が漂っているだけだった。
 フランス人に聞くと、誰もがこの間接照明の薄暗さを嫌ってはいないが、かと言って愛しているわけではないのだ、と教えられた。フランスでは、カフェに用もなさそうにぼんやりと一時間も二時間も坐っている人はとても多いが、彼らは皆、あの暗く淀んだ部屋にいるのがいやで出て来るのだそうである。
 だったら、変えればいいのに、と言いたくなるのだが、ヨーロッパ的なものを真に愛し、いつくしんでいくためには、あの陰鬱《いんうつ》なデカダンスを誘う薄暗い部屋の照明をも受け入れなければならないのだ。
 自分にできるだろうか、と自問してみて、今のところ答えはノー。ヨーロッパふう住居なんていやだ、皓々《こうこう》と明るい茶の間がある日本のウサギ小屋が一番いい、と住居に関しては密かに愛国心を抱き始めている今日このごろである。
 

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