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ぐうたら愛情学123
日期:2020-10-10 10:37  点击:317
 三月……日
 
 会のあと、作家のXといっしょにタクシーで帰る。その車のなかで突然、Xが私にこういった。
「もし、別の女と結婚していたならば、おれは幸福になれただろうか——そんなことをこのごろ、よく考える」
 Xのために弁解しておくが、Xと彼の妻は現在、決して仲たがいをしたり争っているのではない。Xならずともすべての夫は(また妻は)その結婚生活のうち一度は必ず、この考えを心にうかばせるものだ。
 だがXはまちがっている。彼がたとえ今の妻と別れて、別の女性と結婚したとしても、すべては決して改善されぬだろう。前の妻に感じたと同じ不満、同じ嫌悪感、前の結婚生活に抱いた同じ不満、同じ嫌悪感はあたらしい結婚の場合にも繰りかえされるであろう。
 われわれはよく結婚生活における破局や幻滅や失望を夫婦間の性格のちがいや、境遇のちがい、教養のちがい——その他、もろもろのちがいのせいにする。たとえば、アンドレ・モロアの『風土』という小説が描いた二組の夫婦の破局は、すべて彼らの性格や趣味のちがいによるものだ。私はもちろん、こうした夫と妻との外面的な違いが夫婦間の愛情に及ぼす影響を考えないわけではない。だが、決して、それだけではないのである。
 たとえ、性格、環境、趣味、考え方が夫婦間に一致したとしても(そういうことはまず、ありえないことだが)夫がなにかしら妻に不満をもちつづけることはありうるし、また自分を不幸に感じる妻も存在するのである。モロアの『風土』を読んだときの私の物足りなさは、この作家が結婚生活の悲劇をすべて表面的な要因にのみ還元して、結婚生活それ自体のもつ、どうにもならぬ本質的矛盾、男と女との宿命的な対立まで描ききっていなかったことにある。私が同じ結婚生活のくるしさを物語りながらモロアの『風土』よりも、もっと本質的なモウリアックの『テレーズ・デケルウ』や『愛の砂漠』をかうのはそのためである。
 最近、離婚したばかりのTが、その理由をつぎのように私に説明した。
「第一に、あいつは僕の仕事を少しも理解してくれないのです。第二に彼女は家庭生活を大事にしようとしないんです。家の仕事もキチンとしない。食事だってチャンとしてくれなかった。要するに……」
 だが、私は夫の仕事をあまり理解し、家庭生活をあまりに秩序だてたために、逆に夫からきらわれた妻を知っている。その夫は私にこういっていた。「彼女といっしょにいるとチッ息しそうだった。あなたは万事整いすぎた女といっしょに住む息苦しさを知っていますか。それはまったくむだのない潜水艦のなかで生きているようなものだった」

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