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老婆(3)
日期:2023-08-31 11:26  点击:300
 何、自分はただこのうちの二階を借りているばかりだ。明日にも直ぐ逃げ出すことが出来るのだ。と思い直しても見たがうやら不安で、とてもこの老婆との関係が切れないようにも思われる。いな決して関係でない。――其処ににも親しく語ったこともなけれや、世話になったこともない。少しばかりでも関係のあろう筈がない。ただ私はこの老婆を忘れることが出来ないのだ。
しかり、とてもこの老婆を忘れることが出来ない。きっとこの老婆の姿が私の目先に附き纏っているばかりでなく、常に気にかかって私の心が支配せられるだろうと考えた。
私は、火の気のない火鉢の側に坐って、老婆と向い合って、つらつら其様そんなことを思うとこの老婆が憎くなった。
一つ困らしてやろうという念がきざした。
「お婆さん、何か薬がありませんか、苦しくてこうやってられません。何か一つ薬を下さいな。」
といって、とても薬なんかもっていないということを知りぬいているから、どういう返事をするか聞きたかった。婆さんは、少しも顔のそうを変えなかった。へへへへと笑いながら、枯れた手を延ばすかと思うと膝頭の火鉢の抽出ひきだしを引き出した。私はぞっとして身に寒気を感じた。お延び上って、暗いランプの光りで抽出しを見詰みつめた。婆さんは中から薄青い紙に包んだものを取出して、つめたな調子でいった。
「私は持病が起るとこれを飲むと骨節の痛むのがとまる。これは病院にいる人がくれた毒薬じゃ。これを飲めば一思ひとおもいに楽になるからそうなさい。」と私の手に渡した。
よくみると、アヘンだ。私は頭から冷水を浴びせられたよりもふるい上ったが、此処ここだと思って、度胸を据えて、戦える指頭で皺になった薄青い袋から小さな紙包をつまみ出して、包を開いて見ると中に白い粉薬が小指の頭程入っていた。私はその白い粉薬を見詰めて、何といってよいか。この時こそ婆さんは落窪んだ眼を箒から放して、私の顔の上に落していた。
何? 戸棚の隅には鉄棒かなぼうが隠してあるんだ! と心に幾たびか叫んで見たが、この粉薬から眼を放してきっと老婆の顔を見返す勇気が出なかった。私は白い粉薬を見詰みつめていると、漸々だんだん気が変になって、意識が茫然として来て、この儘この粉薬を自分の口に入れはしまいかと疑った。――この時私は敢て顔を上げては見なかったが――。
老婆は私がうするかと思って、冷かに睨んでいるのが瞭々ありありと分った。
もう大分夜が更けたらしい。
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05/19 05:58