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安閑・宣化天皇
日期:2024-03-26 09:39  点击:269
安閑・宣化天皇
 二朝は並立したのか?継体亡きあとに見られる矛盾とは?
 継体天皇が崩御すると、安閑天皇が即位した。しかし、わずか二年で没し、宣化天皇が
跡を継ぐ。ところが、宣化天皇の在位期間もわずか四年しかなかった。
 ふたりの天皇の在位期間は短いものの、屯倉みやけの増加が示されている。その次の天
皇が継体天皇と手白香皇女の間に生まれた欽明天皇である。欽明天皇の時代には、新羅に
奪われた任那復興が進められる一方、金銅の仏像一体と幡ばん蓋がい・経典が百済から日
本に伝えられ、仏教が伝来したとされる。
 しかし、欽明天皇については、『日本書紀』より古い文献をあたると、不審な記述も見
受けられる。欽明天皇の即位年は『日本書紀』では五四〇年で、在位期間は三十二年とさ
れるが、『上じよう宮ぐう聖しよう徳とく法ほう王おう帝てい説せつ』では五三二年で、
四十一年の在位となる。また、仏教伝来も『日本書紀』では五五三年だが、『上宮聖徳法
王帝説』では五三八年とされている。こうした年号の不一致を説明するために、継体天皇
の死後の五三二~五四〇年の八年間、欽明天皇と安閑・宣化天皇が対立して並立したと主張
する「二朝並立説」も存在するのである。

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