ふじわらのみちなが【藤原道長】
平安中期の公卿。父は兼家。母は時姫。兄道隆・道兼の死後、内覧・氏長者・右大臣となる。道隆の子伊周・隆家の失脚させ、娘彰子・妍子・威子・嬉子・盛子を入内させて三代の外戚となる。長和五年摂政となったが、翌年子頼通に譲り、太政大臣となり、父子並んで政権を独占、藤原氏の全盛時代を出現させた。寛仁三年出家、法成寺を建立。関白になった事実はないが、御堂関白と称され、日記を「御堂関白記」といい、自筆原本が現存。(九六六~一〇二七)