【南村梅軒】
(みなみむらばいけん)
生没年不詳。室町末期の儒者で、土佐南学{とさなんがく}の祖。もと大内義隆{よしたか}に仕え、その御伽衆{おとぎしゅう}の1人であったが、1548~49年(天文17~18)土佐(高知県)弘岡{ひろおか}城主吉良宣経{きらのぶつね}の賓師{ひんし}となって活躍した。彼は、儒学においては道義の学としての宋学{そうがく}に拠{よ}り、「慎独{しんどく}」(道に背かぬよう心がけて、自ら身を慎むこと)を基本とした道徳的実践や、三綱五常{さんこうごじょう}(儒教で人間の重んずべき君臣、父子、夫婦の三つの道と、仁義礼智{ち}信の五つの道徳)に基づく統治を説き、戦国武将宣経をして儒教による統治を決意させた。他方、心法では禅のくふうを勧め、中国春秋時代の思想家孫子{そんし}?呉子{ごし}の兵法も説くという当時の禅儒と共通の傾向をもっている。