【大塩平八郎】
(おおしお‐へいはちろう)
江戸後期の陽明学者。大坂町奉行所の与力。諱いみなは正高、のち後素としもと。号は中斎
。家塾を洗心洞と名づけた。大坂天満(一説に阿波)生れ。天保の飢饉に救済を町奉行に請
うが、入れられず、蔵書を売り払い窮民を救う。天保8年(1837)2月19日大坂に救民・幕政
批判の兵を挙げ、敗れて潜伏後、放火して自殺。著「洗心洞箚記」「古本大学刮目」など。
(1793~1837)
作品:『洗心洞箚記』