「どうぞ神 さま、用 のない鏡 は、みんな、くだいてください。そして、ただ一面 だけを、私 に永久 にさずけたまえ。」と、となえながら、身 を飛鳥 のごとくひるがえして、上 へ下 へと、おどったのでした。
社 のまわりにともる、ろうそくの火 が、鏡 の面 に、ちらちらとうつりかがやきました。
七人 の男 たちが、胸 をいためてまったかいもなく、彼女 は、ふと病 んで、まだ秋 の木 の葉 がちる前 に、あわただしく、この世 から去 ったのであります。
社 の裏手 の方 へ、用水池 がつくられたのは、この後 、二百年 くらいも、たってからのことでした。そのうち、山 の上 にわく白雲 が、海 のほうへ流 れていったとき、その姿 を、いくたび、この水面 にうつしたかしれません。
若 い女 のうずめられたところは、いつしか、古墳 といわれるようになりました。そして、それからまた、幾 百年 の月日 がたったのであります。山 や、川 や、野原 には、かくべつのかわりもなかったけれど、町 や村 は、その時代 によって、ようすがちがい、人 も馬 も牛 も、また幾代 かの間 に、たびたび生 き死 にしました。
丹塗 りの社 も、長 い月日 の雨風 にさらされて、くちたり、こわれたりして、そのたびに、村人 によって建 てかえられたけれど、まだわずかに、昔 の面影 だけは、のこっていました。しかし、古墳 のくわしい記録 などは、もはや、どこにものこっていませんでした。ただ遠 い祖先 のものにちがいないが、いまの村人 には、その造 られた時代 すら、よくわからなかったのです。
学者 が、池 のほとりに立 って、心 ありげに、よくあたりの景色 をながめていると、学者 を案内 した役場 の若 い書記 が、かたわらで、伝説 めいたことを聞 かせました。
「年寄 りのいうことですが、なんでも静 かな真昼 ごろ、足音 をたてずに、池 へ近 よると、金銀 の二匹 のへびが、たわむれながら、水面 を泳 いで、お社 のほうへ、上 がっていくのを見 ることがあるといいます。もし、それを見 たものは、近 いうちに、きっとしあわせなことがあると、昔 からいうそうです。」と、語 ったのであります。
だまって、これを聞 いた学者 は、ほかにも、こんな伝説 があるのか、うなずいていましたが、
「この古墳 を掘 ってみたいのですが、どうか学問研究 のため、ぜひゆるしてもらえますか。」と、そのとりはからいかたを、書記 にたのんだのでした。
「さあ、村長 さんや、神主 さんたちが、なんといわれますか、聞 いてみなければわかりませんが、いつかも、そういう話 があったとき、たたりを恐 れるからといって、だれも、手 をつけなかったのです。」と、書記 はいいました。
「私 は、たぶん、なにか新 しい発見 ができるような気 がするのです。」と、考古学者 は、自分 の考 えをもらしました。
学者 が学問 のためにというので、書記 も心 をうごかせられたらしく、熱心 に説 きまわってくれるのです。そのかいあって、ついに村 で発掘 をゆるしました。
春 びよりの、あたたかな日 でした。畑 の中 の古墳 のかたわらには、一本 のかきの木 がありましたが、小枝 にのびた、つやつやしい若葉 は、風 にふかれて光 っていました。そして、白 い星 のような花 が、咲 きかけていました。
ここへ集 まってきた村 の若者 たちが、土 をほるため、くわをふるっていました。べつに、ひびきをたてるほどでなかったけれど、かきの花 は、もろく枝 をはなれて、ぽとりぽとりと、つめたい地 へ落 ちるのでした。
「花 でも、葉 でも、秋 の末 まで、まんぞくにのこっているのは、すくないものだな。」と、これを見 て感 じたものか、書記 は木 を見上 げながら、いっしょにはたらく学校 の教員 ふうの男 と、話 をしていました。
土中 深 く、石 をまわりに積 んである棺 が、掘 りだされたのは、ようやく春 の日 の、かたむくころでありました。
棺 の中 には、底 にのこっている白骨 と、不完全 な土器 と、七つの鏡 などがあって、人々 の目 をひいたのでした。その死者 は、学者 が、骨格 から判断 して、まだ若 い女 であったとわかりました。
鏡 は七面 のうち、六つまで、さびきって、ぼろぼろにくさっていたけれど、どうしたわけか、ただ一面 だけ、くもっているけれど、なお、いくぶん光 をたたえて、あかるみへ出 すと、ものの影 さえ、おぼろげにうつるのでした。
「どうして、この一面 だけが、くさらなかったろう?」
そのことが、みんなの、疑問 となりました。
「おなじ、金属 で造 られたであろうに、どうして、この一つだけが、くさらなかったのでしょう。」と、役場 の書記 は、学者 にむかってたずねました。このなぞは、たとえ、学者 でも、すぐには、解 くことができなかったのです。
そして、いく日 かの後 でした。博士 は研究室 の窓 から、しばらくの間 に夏 らしくなった、外 のけしきに見 とれていました。
ひでりつづきのため、白 っぽく、かわいたアスファルトの道 は、すこしの風 にも、ほこりをたてていました。そして、せわしげに歩 いている人々 の姿 や、道 ばたにならんでいるプラタナスの影 が、ちらちらと道 の上 にうごくのが、なんとなく、わびしげにさえ見 えるのでした。
研究室 につとめている助手 の小田 さんは、また青年詩人 でもありました。詩人 なればこそ、幾世紀前 の人間生活 に興味 をもち、心 で美 しく想像 し、また、あこがれもしたのでありましょう。
博士 は、へやへはいってきた小田 さんに、こんどの旅行 で見 た北国 や、いろいろ経験 したことを、くわしく話 しました。
たとえば、丹塗 りの社 があり、用水池 があり、古墳 はそのかたわらにあったことや、伝説 の話 や、棺 を掘 ったときのありさまなど、当時 のことを、思 い出 しながら語 ったのであります。
助手 の小田 さんは、目 をかがやかして、博士 のいうことを聞 いていました。
「ただ、ふしぎなことが一つあった。それは、棺 の中 にあった七面 の鏡 が、一枚 だけくさらずに、いまも光 っているが、あとは六つとも、さびて、ぼろぼろになっていたことだ。おなじ金 で造 ったのであろうが、それは、どうしたことだろうか。」
博士 は首 をかしげながら、かばんの中 の、古鏡 をとり出 して、小田 さんにしめしました。
「私 はこのなぞを、どうしても学問 のためにも、解 かなければならない。」と、博士 はつづけていいました。
「むかしは、鏡 を女 のたましいともいいましたから、これには、たましいが、はいっているのかもしれませんね。」と、さすがに小田 さんは、詩人 らしい感想 をもらして、うけとった鏡 を、ていねいになでながら、しばらく、じっと見 まもっていました。
「この金属 を、分析 してみなければ、わからぬことだ。おなじ金属 でつくったものなら、この一つだけが、くさらぬというわけがあるまい。」と、博士 は、科学者 なら、空想 を事実 として、信 ずるわけにいかないと、ひややかな調子 で、助手 に答 えたのであります。
このとき、博士 は、古墳 の発掘 をてつだってくれた役場 の若 い書記 にしろ、学校 の先生 にしろ、話 を聞 いていると、みんな若 い人 たちは詩人 であって、物質 だけをたよりとしていない、そのことは、いままでの学者 たちとちがって、たましいのありかを知 るといういきかたで、考古学 の将来 に、明 るい道 が開 けるような気 がしたと、助手 の小田 さんにむかっていったのでした。
その翌日 のことです。博士 は研究室 へ出 かけて、旅行先 で集 めてきたいろいろの材料 を、よくしらべて、配列 するのをたのしみとしました。
「先生 、おはようございます。やはり、あの鏡 は、ふしぎであります。先生 のおいでなされるのを待 っていました。」と、昨夜 は、研究室 で宿直 した小田 さんは、博士 の顔 を見 るや、とびつかんばかりに訴 えたのでした。
「ふしぎなことって、どんなことだね。」と、博士 も、なんとなく、胸 さわぎを感 じました。
「まあ、こちらへいらして、ごらんください。」と、助手 の小田 さんは、先 に立 って、博士 を、しんとした、うすぐらい研究室 へ案内 しました。
そこには、大 きなろうそくが、ともされていました。かげろうのうごくように、ろうそくの火 は、下 におかれた鏡 のおもてを照 らしていました。
博士 は心 をおちつけて、鏡 をのぞくと、そこにあやしげな身 なりをした、男女 がならんで、おぼろげに浮 き出 ていました。
年 とった、この考古学者 は、しばらく目 を、鏡 からそらさずに、沈黙 していましたが、そのうち、うめくように、
「ああ、やはり女 は、七人 のうち、この鏡 をくれた男 だけを、深 く愛 していたとみえる。」と、はじめて、そのなぞが、解 けたといわんばかりに、ひくい声 でさけびました。
「先生 、するとこの女 は、貞操 をまもりたいばかりに、だまって死 をえらんだのですね。」と、小田 さんが聞 きました。
「たしかにそうだよ。死 んでから、地下 で二人 は、永久 の幸福 をもとめて、約束 をはたしたんだね。」と、博士 は答 えました。
「西洋流 ですと、婚約 の指輪 をおくる風習 がありますが、東洋 は日本 でも、昔 から、女 の心 をうつすといって、鏡 をたいせつにしましたが、婚約 にも用 いられはしなかったでしょうか?」と、小田 さんは、うたがいをもつらしく、ただしました。
「女 が鏡 を命 のごとく、たっとんだのは、わかっているが、主 として結婚 してからのことで、婚約 に鏡 をおくったかどうか、よくわからない。約束 をおもんじた昔 のことだから、たとえ鏡 をつかったとしても、ふしぎのないことだが、古 い文献 をしらべたら、もっと、おもしろい発見 が、あるかもしれない。」と、博士 は、答 えながら、頭 をかしげていました。
「できることなら、この鏡 を、もとの墓所 にうずめてやりたい。」と、いった若 い助手 のねがいを、考古学者 である博士 は、ついに許 したのでした。
助手 の小田 さんが、鏡 を新 しい木箱 におさめて、北国 へ旅立 ったのは、夏 もなかばすぎた日 のことで、烏帽子岳 のいただきから、奇怪 な姿 をした入道雲 が、平野 を見 おろしながら、海 の方 へと、むかっていくところでありました。
七
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