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青い草
日期:2022-09-06 23:59  点击:282
 青い草

小川未明

 


 (ちい)さな姉弟(きょうだい)は、(ちち)()が、だんだん()えなくなるのを心配(しんぱい)しました。
「お(とう)さん、あのカレンダーの()が、わからないの?」と、(かべ)(ほう)()していったのは、もう(まえ)のことであります。お(とう)さんが、会社(かいしゃ)をやめてから、(いえ)(うち)にも(よる)がきたように(くら)くなったのです。
(わたし)故郷(くに)(かえ)りましょう。田舎(いなか)は、都会(とかい)とちがって、(こま)るといっても、()はあるし、(はたけ)があるし、まだゆとりがあります。いけば、どうにかならないこともありますまいから。」と、子供(こども)母親(ははおや)がいいました。
「お(かあ)さん、田舎(いなか)(かえ)るの。」と、(あね)のとし()は、お(かあ)さんの(からだ)へすがりながらききました。
「ええ、(かえ)りましょうね、そうするよりしかたがないんですもの。」
 お(かあ)さんは、みんなの気持(きも)ちを(はげ)ますつもりで、いいましたが、また、すぐに(なみだ)ぐんでしまいました。
「おれに故郷(くに)があるとなあ。」と、父親(ちちおや)は、(ひとみ)(しろ)くなって、生気(せいき)(うしな)った()で、あたりを()まわしながら、(こた)えました。お(とう)さんには、もう、両親(りょうしん)もなければ、また(かえ)るべき(いえ)もなかったのでした。
「どちらの田舎(いなか)(かえ)っても、(おな)じでありませんか? (わたし)(あに)はあのとおりしんせつな(ひと)ですし、まだ(はは)()きていますし。」と、お(かあ)さんはいいました。
「そうすれば、(ぼく)田舎(いなか)学校(がっこう)()がるの。」と、義坊(よしぼう)が、ききました。
「おまえも田舎(いなか)()になるのよ。(やま)へいったり、野原(のはら)をかけまわったりして、きっとじょうぶになりますよ。とし()は、もうあと二(ねん)ですから、卒業(そつぎょう)したらお裁縫(さいほう)でも(なら)えばいいと(おも)います。」
 父親(ちちおや)はだまって(かんが)えていたが、
「できるなら、子供(こども)たちをこのまま、こちらで勉強(べんきょう)さしてやりたいものだな。」といいました。
「あなた、それができるようなら、これに()したことがありませんけれど、そのお(からだ)でこの(さき)どうしてやっていけますか?」
 母親(ははおや)は、自分(じぶん)になんの(ちから)もないのを、面目(めんぼく)なく(おも)ったのです。
「なに、(わたし)にだってすこし(かんが)えがある。」
 父親(ちちおや)はさびしく(わら)いながら、二人(ふたり)子供(こども)のいる(ほう)()いて、
「おまえたちは、お(かあ)さんの田舎(いなか)(かえ)ったほうがいいか、それとも、こちらで、いくら不自由(ふじゆう)をしても()らしたほうがいいか、どちらがいいかな?」とききました。
 もうまったくの子供(こども)ではなく、いくらかもののわかるとし()は、この(さい)いかに()けぬ()であっても、それはむだなことと(おも)いました。それよりか、お(かあ)さんのおっしゃるように田舎(いなか)(かえ)って、自分(じぶん)はどんな手助(てだす)けでもするから、一()のものが、無事(ぶじ)()らしていけることを(ねが)ったのでした。
(わたし)はお(かあ)さんの田舎(いなか)へいったほうがいいと(おも)うわ。」と、とし()は、(こた)えました。
(ぼく)は、(けん)ちゃんや、(しょう)ちゃんと(わか)れるのはいやだから、こっちにいるほうがいい。」
 今年(ことし)から、小学校(しょうがっこう)()がったばかりの義坊(よしぼう)がいいました。
 父親(ちちおや)は、()さぐりで義坊(よしぼう)(あたま)()()いて、
義坊(よしぼう)や、おまえと二人(ふたり)でこちらにいようか。」
「お(とう)さんと、お(かあ)さんと、(わか)れるのはいやよ。」と、とし()は、()きながらいいました。
 母親(ははおや)もだまって、そっと()(なみだ)をふきました。
「まあ、(わたし)はやってみる。こうなれば、(はじ)外聞(がいぶん)もない。明日(あす)からでも、(まち)(かど)()って、(しゃく)八を()くつもりだ。」
 ()ごろから、お(とう)さんの(しゃく)八に感心(かんしん)している一家(いっか)のものだけれど、世間(せけん)(ひと)たちが、はたして自分(じぶん)たちと(おな)じように感心(かんしん)するか、また感心(かんしん)はしても、(かね)(めぐ)んでくれるだろうか、まったく見当(けんとう)がつかなかったのです。
「お(とう)さんは、うまいんだから、みんながきっと、お(かね)をくれるよ。
「この時節(じせつ)ですもの、なんでお(かね)になどなりますものか。」と、お(かあ)さんはいいました。

 (まち)(かど)石造(いしづく)りの銀行(ぎんこう)がありました。(まえ)に、三(つぼ)にも()らぬあき()があって、そこへ(あお)(くさ)()()しました。(ひく)(さく)には(くさり)()られていたが、大人(おとな)なら造作(ぞうさ)なくまたいで(はい)ることができたのです。義坊(よしぼう)父親(ちちおや)()って(しゃく)八を()くのはその(さく)のところでした。
「いつか、よっぱらいが、たおれていたところへ(くさ)()()した。」と、義坊(よしぼう)はいいました。どこのおじさんであったか()らないが、お(つと)めの(かえ)りによっぱらったとみえて、(くろ)外套(がいとう)(どろ)だらけであったし、(にぎ)っている洋傘(こうもり)が、()れそうに、()がっていました。巡査(じゅんさ)()たら、なにかいうであろうと、義坊(よしぼう)は、心配(しんぱい)をしたが、そのとき、巡査(じゅんさ)(とお)ったけれども()(はい)らなかったようです。その()(あめ)()りつづきました。その(あめ)(くさ)()えたのでありましょう。
 土曜(どよう)()には、(はや)くからここへきて、父親(ちちおや)(しゃく)八を()らしたのでした。
 ふいに、義坊(よしぼう)(さけ)びました。
「あっ、あんな(はな)()いた!」
 (ちい)さな(しろ)(はな)が、(くさ)()いたのであります。ガラス(まど)のうちで、仕事(しごと)をしている(ひと)にもまた、この鋪道(ほどう)(とお)人々(ひとびと)にも、おそらく、この(はな)()られなかったでしょう。ただ、これに()のついたのは、自分(じぶん)ばかりのように(おも)えて、義坊(よしぼう)は、なんだかうれしくてしかたがなかったのです。
 (かれ)は、(さく)(した)から(あたま)()っこんで、(はら)ばいになって、その(はな)()ろうとしました。こんな(あそ)びは、(はら)っぱでもなければされぬことで、このにぎやかな(まち)(なか)では、まったく(めずら)しい、しがいのあるいたずらにちがいありません。義坊(よしぼう)()()ばして、その(しろ)(はな)()ろうとしました。その瞬間(しゅんかん)です。どこから()んできたか、()()(いろ)のちょうが、(はな)()まろうとしました。義坊(よしぼう)は、おどろいて(きゅう)()()っこめて、ちょうのするさまをじっと見守(みまも)っていました。ちょうは(はな)にとまって、(はね)(やす)めたかと(おも)うと、また()()がって、煤煙(ばいえん)物音(ものおと)で、かきにごされている(そら)を、どこともなく()んで()えてしまいました。その行方(ゆくえ)見送(みおく)りながら、義坊(よしぼう)はぼんやりとして、不思議(ふしぎ)(おも)ったのです。そして、ちょうのために、(しろ)(はな)(のこ)しておく()になりました。
義坊(よしぼう)や、あっちのお(みせ)では()れたかな。」
 二(けん)とは(はな)れぬところへ、(あか)(たま)と、(しろ)(たま)()()げるおもちゃの噴水(ふんすい)や、ばね仕掛(じか)けのお相撲(すもう)人形(にんぎょう)()る、露店(ろてん)(なら)んでいたのでした。
「さっき、子供(こども)がたくさん()っていたが、だれも()わずにいってしまったよ。」
「そうか、不景気(ふけいき)だなあ。」と、父親(ちちおや)は、ため(いき)をつきました。まだ、今日(きょう)(ひとり)(ぜに)()げてくれなかったのです。
 義坊(よしぼう)は、以前(いぜん)、いろいろなおもちゃを父親(ちちおや)から()ってもらったことがありました。しかし、いまは噴水(ふんすい)や、(すもう)人形(にんぎょう)などを()ても、自分(じぶん)には(えん)(とお)()がしたし、べつにほしいとも(おも)いませんでした。ただ、そんなおもちゃを()うことのできる()は、しあわせな子供(こども)(おも)っていました。デパートの屋根(やね)には、アドバルーンが(たか)()がっていました。(かぜ)(さむ)く、(くも)(ひく)かったのです。近所(きんじょ)(みせ)()らす、蓄音機(ちくおんき)(おと)が、いつかお(かあ)さんの田舎(いなか)へいったとき、(おか)(した)小学校(しょうがっこう)で、(おんな)先生(せんせい)がひいていたオルガンの(おと)(おも)()させました。
 その先生(せんせい)は、紫色(むらさきいろ)の、(なが)いたもとのついた羽織(はおり)()ていました。
「お(とう)さん、不景気(ふけいき)でだめだから、お(かあ)さんの田舎(いなか)へいこうね。」
 義坊(よしぼう)は、こういいました。なぜか、お(かあ)さんの田舎(いなか)へいこうというと不幸(ふこう)父親(ちちおや)は、いつでも、だまってしまうのです。
「また(あめ)かな、だいぶ(さむ)くなった。もう、すこしやって、お(うち)(かえ)ろうな。」
 父親(ちちおや)は、(しゃく)八を()(なお)して、(おも)いきり(ふか)(いき)()()みました。

うさぎ()いしかの(やま) ()ぶな()りしかの(かわ)
(ゆめ)(いま)もめぐりて (わす)れがたき故郷(ふるさと)

 (みち)(いそ)人々(ひとびと)(なか)には、()()まって、じっと(みみ)をすます青年(せいねん)がありました。また、(おんな)(ひと)がありました。その(ひと)たちは、しまいまでその(うた)()きとれていました。

こころざしをはたして いつの()にか(かえ)らん
(やま)はあおき故郷(ふるさと) (みず)(きよ)故郷(ふるさと)

と、父親(ちちおや)が、うたい()わったときに、あちらからも、こちらからも、お(あし)二人(ふたり)(まえ)()ちたのであります。義坊(よしぼう)(ひろ)うのに夢中(むちゅう)でありました。
 やがて、(くさ)(しろ)(はな)が、うす(やみ)(なか)にほんのりとわからなくなるころ、(あわ)れな父親(ちちおや)のたもとにすがりながら、(いさ)んで(かえ)っていく子供(こども)がありました。それは義坊(よしぼう)であります。
 (しず)みがちに(ある)父親(ちちおや)()かって、
「ねえ、お(とう)ちゃん、きょうはよかったね。また、あしたもあんな(うた)()きなさいよ。」と、いったのでありました。

 


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