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青い星の国へ
日期:2022-09-06 23:59  点击:291
青い星の国へ

小川未明

 


 デパートの内部(なか)は、いつも(はる)のようでした。そこには、いろいろの(かお)りがあり、いい音色(ねいろ)がきかれ、そして、らん(はな)など()いていたからです。
 いつも快活(かいかつ)で、そして、また(ひと)りぼっちに自分(じぶん)(かん)じた年子(としこ)は、しばらく、(やわ)らかな腰掛(こしか)けにからだを()げて、うっとりと、波立(なみだ)ちかがやきつつある光景(こうけい)()とれて、夢心地(ゆめごこち)でいました。
「このはなやかさが、いつまでつづくであろう。もう、あと二時間(じかん)、三時間(じかん)たてば、ここにいる人々(ひとびと)は、みんなどこかにか()って、しんとして(くら)くさびしくなってしまうのだろう。」
 こんな空想(くうそう)が、ふと(あたま)(なか)に、一(ぺん)(くも)のごとく()かぶと、(きゅう)にいたたまらないようにさびしくなりました。
 そこを()て、(あか)るい(とお)りから、横道(よこみち)にそれますと、もう、あたりには、まったく(よる)がきていました。その()も、()(みじか)(ふゆ)ですから、だいぶふけていたのであります。そして、(きゅう)に、いままできこえなかった、(とお)くで()る、汽笛(きてき)(おと)などが(みみ)にはいるのでした。
「まあ、(あお)い、(あお)い、(ほし)!」
 電車(でんしゃ)停留場(ていりゅうじょう)()かって、(ある)途中(とちゅう)で、ふと天上(てんじょう)の一つの(ほし)()て、こういいました。その(ほし)は、いつも、こんなに、(あお)(ひか)っていたのであろうか。それとも、今夜(こんや)は、(とく)にさえて()えるのだろうか。
 彼女(かのじょ)は、無意識(むいしき)のうちに、「(わたし)()まれた、北国(ほっこく)では、とても(ほし)(ひかり)(つよ)く、(あお)()えてよ。」といった、(わか)上野先生(うえのせんせい)言葉(ことば)記憶(きおく)(のこ)っていて、そして、いつのまにか、その()きだった先生(せんせい)のことを(おも)()していたのであります。
 すでに、彼女(かのじょ)は、いくつかの停留場(ていりゅうじょう)電車(でんしゃ)にも()ろうとせず(とお)りすごしていました。ものを(かんが)えるには、こうして(くら)(みち)(ある)くのが(てき)したばかりでなしに、せっかく、(たの)しい、かすかな空想(くうそう)(いと)混乱(こんらん)のために、()ってしまうのが()しかったのです。
 先生(せんせい)は、年子(としこ)がゆく時間(じかん)になると、学校(がっこう)裏門(うらもん)のところで、じっと一筋道(ひとすじみち)をながめて()っていらっしゃいました。(あき)のころには、そこに()わっている(さくら)()が、黄色(きいろ)になって、はらはらと()がちりかかりました。そして、年子(としこ)は、先生(せんせい)姿(すがた)()つけると、ご(ほん)(あか)いふろしき(づつ)みを()()るようにして()()したものです。
「あまり(おそ)いから、どうなさったのかと(おも)って()っていたのよ。」と、(わか)上野先生(うえのせんせい)は、にっこりなさいました。
叔母(おば)さんのお使(つか)いで、どうもすみません。」と、年子(としこ)はいいました。(まど)から、あちらに(とお)くの(もり)(いただき)()えるお教室(きょうしつ)で、英語(えいご)先生(せんせい)から(なら)ったのでした。
 きけば、先生(せんせい)は、(ちい)さい時分(じぶん)にお(とう)さんをおなくしになって、お(かあ)さんの()(そだ)ったのでした。だから、この()(なか)苦労(くろう)()っていらっしゃれば、また、どことなく、そのお姿(すがた)に、さびしいところがありました。
(わたし)は、からだが、そう(つよ)いほうではないし、それに故郷(こきょう)(さむ)いんですから、(かえ)りたくはないけれど、どうしても(かえ)るようになるかもしれないのよ。」
 ある()先生(せんせい)は、こんなことをおっしゃいました。そのとき、年子(としこ)は、どんなに(おどろ)いたでしょう。それよりも、どんなに(かな)しかったでしょう。
先生(せんせい)、お(わか)れするのはいや。いつまでもこっちにいらしてね。」と、年子(としこ)は、しぜんに(あつ)(なみだ)がわくのを(おぼ)えました。()ると先生(せんせい)のお()にも(なみだ)(ひか)っていました。
「ええ、なりたけどこへもいきませんわ。」
 こう先生(せんせい)は、おっしゃいました。けれど、先生(せんせい)のお(かあ)さんと、(おとうと)さんとが、田舎(いなか)(まち)にいらして、先生(せんせい)のお(かえ)りを()っていられるのを、年子(としこ)先生(せんせい)から(うけたまわ)ったのでした。
 また、先生(せんせい)のお(かあ)さんと(おとうと)さんは、その(まち)にあった、教会堂(きょうかいどう)番人(ばんにん)をなさっていることも()ったのでした。
 だが、ついにおそれた、その()がきました。せめてもの(おも)()にと、年子(としこ)は、先生(せんせい)とお(わか)れする(まえ)にいっしょに郊外(こうがい)散歩(さんぽ)したのであります。
先生(せんせい)、ここはどこでしょうか。」
 ()らない、文化住宅(ぶんかじゅうたく)のたくさんあるところへ()たときに、年子(としこ)はこうたずねました。
「さあ、(わたし)もはじめてなところなの。どこだってかまいませんわ。こうして(たの)しくお(はなし)しながら(ある)いているんですもの。」
「ええ、もっと、もっと(ある)きましょうね、先生(せんせい)
 ふたりは、(おか)()りかけていました。(みず)のような(そら)に、()のない小枝(こえだ)が、(うつく)しく()()じっていました。
(わたし)(かえ)ったら、お(やす)みにきっといらっしゃいね。」と、先生(せんせい)がおっしゃいました。
 年子(としこ)は、あちらの、水色(みずいろ)(そら)(した)の、だいだい(いろ)()えてなつかしいかなたが、先生(せんせい)のお(くに)であろうと(かんが)えたから、
「きっと、先生(せんせい)におあいにまいります。」と、お約束(やくそく)をしたのです。すると、そのとき、先生(せんせい)年子(としこ)()(かた)くお(にぎ)りなさいました。
「たとえ、(とお)いたって、ここから二筋(ふたすじ)線路(せんろ)(わたし)(まち)までつづいているのよ。汽車(きしゃ)にさえ()れば、ひとりでにつれていってくれるのですもの。」
 そうおっしゃって、先生(せんせい)(くろ)いひとみは、(おな)じだいだい(いろ)(そら)にとまったのでした。
 (なが)れるものは、(みず)ばかりではありません。なつかしい上野先生(うえのせんせい)がお(くに)(かえ)られてから三(ねん)になります。その(あいだ)に、おたよりをいただいたとき、(きた)(くに)(ほし)(ひかり)が、(あお)いということが(かさ)ねて()いてありました。そして、(ゆき)(こお)(さむ)(しず)かな(よる)の、神秘(しんぴ)なことが()いてありました。
 (あお)(ほし)()刹那(せつな)から、彼女(かのじょ)(きた)(きた)へとしきりに誘惑(ゆうわく)する()()えない不思議(ふしぎ)(ちから)がありました。
 とうとう、二、三(にち)(のち)でした。年子(としこ)は、(きた)へゆく汽車(きしゃ)(なか)に、ただひとり(まど)()って(うつ)()わってゆく、冬枯(ふゆが)れのさびしい景色(けしき)()とれている、自分(じぶん)()いだしました。
 東京(とうきょう)()るときには、にぎやかで、なんとなく(あか)るく、(うつく)しい(ひと)たちもまじっていた車室(しゃしつ)(うち)は、(とお)(みやこ)をはなれるにしたがって人数(にんずう)()って、(きゅう)(くら)くわびしく()えたのでした。そのとき、汽車(きしゃ)は、(やま)(やま)(あいだ)(ふか)(たに)沿()うて(はし)っていたのです。
「まあ、(やま)()(しろ)だこと、ここから(ゆき)になるんだわ。」
 年子(としこ)は、(おも)わずこういって()をみはりました。
(やま)()してごらんなさい。三(じゃく)も、四(しゃく)もありますさかい。おまえさんは、どこから()っていらしたの。」
 (くろ)頭巾(ずきん)をかぶったおばあさんが、みかんをむいて()べながらいいました。年子(としこ)は、(はな)しかけられて、はじめて注意(ちゅうい)しておばあさんを()ました。なんだかあわれな(ひと)ようにも()え、また気味悪(きみわる)いようにも(かん)じられたのです。
東京(とうきょう)から()ったのです。そして、つぎのつぎの、停車場(ていしゃじょう)()りますの。」
()くと(くら)くなりますの。」
 おばあさんは、それぎりだまってしまいました。(ゆき)曠野(こうや)(はし)って、ようやく、目的地(もくてきち)()きました。しかし、(きゅう)(おも)いたってきたので、通知(つうち)もしなかったから、この(ちい)さな(さび)しい停車場(ていしゃじょう)()りても、そこに、上野先生(うえのせんせい)姿(すがた)()いだし()ようはずがなかったのです。
 ()に、ケースを()げて、不案内(ふあんない)狭苦(せまくる)しい(まち)(なか)へはいりました。(みち)も、屋根(やね)も、一(めん)(ゆき)におおわれていました。(さむ)(かぜ)が、つじに()っている街燈(がいとう)をかすめて、どこからか、()れたささの()()(おと)などが(みみ)にはいりました。
 どちらへ()がったらいいかわからなかったので、しばらくたたずんで、きかかった(ひと)に、教会堂(きょうかいどう)在所(ありか)をたずねますと、すぐわかって、そこから三、四(ちょう)のところでありました。
 雪催(ゆきもよ)いの(くも)った(そら)に、教会堂(きょうかいどう)のとがった三角形(かくけい)屋根(やね)は、(くろ)(えが)()されていました。そして、かたわらの(ちい)さな(うち)から、ちらちらと(あかり)がもれていました。年子(としこ)は、刹那(せつな)(のち)展開(てんかい)する先生(せんせい)との(たの)しき場面(ばめん)想像(そうぞう)して、(むね)をおどらしながら(はい)ってゆきました。
 先生(せんせい)のお(かあ)さんらしい(ひと)が、夕飯(ゆうはん)仕度(したく)をしていられたらしいのが()てこられました。そして、年子(としこ)が、先生(せんせい)をたずねて、東京(とうきょう)からきたということをおききなさると、(きゅう)にお言葉(ことば)調子(ちょうし)(くも)りを()びたようだったが、
「それは、それは、よくいらしてくださいました。さあお()がりなさいまし。」と、ちょうど()()遠方(えんぽう)から(かえ)ってきたように、しんせつにしてくださいました。
 年子(としこ)は、先生(せんせい)姿(すがた)()えないのを、もどかしがっていると、お(かあ)さんは、おちついた態度(たいど)で、(しず)かに、先生(せんせい)は、もうこの()(ひと)でないこと、なくなられてから、はや、半年(はんとし)あまりにもなること、そして、その(せつ)は、お()らせせずにすまなかったとお(はな)しなされたのでした。
 これをきくと、年子(としこ)は、前後(ぜんご)をわきまえず、そこに()きくずれました。やがて、北国(ほっこく)(よる)はしんとしました。(しず)かなのが、たちまちあらしに()わって、吹雪(ふぶき)雨戸(あまど)()(おと)がしました。このとき、(うち)(なか)では、こたつにあたりながら、年子(としこ)は、先生(せんせい)のお(かあ)さんと、(おとうと)(いさむ)ちゃんと、三(にん)で、いろいろお(はなし)にふけっていたのでした。
「スキーできる?」と、(いさむ)ちゃんがききました。
「ちっとばかり。」と、年子(としこ)(こた)えた。
「じゃ、明日(あした)、お(ねえ)さんのお(はか)へ、いっしょにゆこう。」と、(いさむ)ちゃんが、いいました。
 翌日(よくじつ)は、いいお天気(てんき)でした。ふたりは、(まち)(へだ)たった、(はやし)(した)にあった(てら)墓地(ぼち)へまいりました。墓地(ぼち)(ゆき)()まっていましたけれど、(いさむ)ちゃんは、()見覚(みおぼ)えがあったので、この(した)にお(ねえ)さんが(ねむ)っていると(おし)えたのでした。
先生(せんせい)(わたし)はお約束(やくそく)(まも)っておあいしにまいりました。それだのに、先生(せんせい)は、もうおいでがないのです。(わたし)は、ひとりぽっちで、さびしく(かえ)ってゆかなければなりません。」と、年子(としこ)()()きはらして、()()わせました。(いさむ)ちゃんは、ハーモニカを(くちびる)にあてて、(ねえ)さんの()きだった(きょく)を、北風(きたかぜ)()かって()らしていたのです。

 


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