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青いボタン
日期:2022-09-06 23:59  点击:284
青いボタン

小川未明

 


 小学校時分(しょうがっこうじぶん)(はなし)であります。
 正雄(まさお)(くみ)へ、ある()のこと()らない(おんな)()がはいってきました。
「みなさん、今日(きょう)から、この(かた)がお仲間(なかま)になられましたから、(なか)よくしてあげてください。」と、先生(せんせい)はいわれました。
 ()らない(ひと)がはいってくることは、みんなにも(めずら)しさを(かん)じさせました。正雄(まさお)ばかりではありません。他国(たこく)からきた(ひと)(たい)しては、なんとなくすこしの(あいだ)ははばかるような、それでいて(はや)(した)しくなって、(はな)してみたいような気持(きも)ちがしたのであります。
 それほど、他国(たこく)(ひと)のだれか、()らない(とお)(くに)からきた(ひと)だという、一(しゅ)(あこが)(ごころ)をそそったのでした。はじめの二、三(にち)は、その(おんな)()(たい)して、べつに(した)しくしたものもなかったが、また、悪口(わるくち)をいうようなものもありませんでした。
 だんだん()がたつと、こんどは反対(はんたい)に、(ひと)りぼっちの(おんな)()を、みんなして、悪口(わるくち)をいったり、わざと仲間(なかま)はずれにしたりして、おもしろがったのでした。その(おんな)()(せい)は、水野(みずの)といいましたが、(かお)つきが、どこかきつねに()ていましたところから、だれいうとなく「きつね」というあだ()にしてしまいました。
 (やす)みの(あそ)時間(じかん)になると、みんなは、(おんな)()()()いて、「きつね、きつね。」といって、はやしたてました。
 その(おんな)()は、()けぎらいな、しっかりした()でしたけれど、相手(あいて)多数(たすう)なので、どうすることもできませんでした。それに、()らな土地(とち)学校(がっこう)にはいったことですから、(ちい)さくなって、こごんで(だま)っていましたが、ついにたまらなくなって、()()てしまいました。しかし、時間(じかん)になって、教室(きょうしつ)へはいる時分(じぶん)には、いつものごとく()きやんでいましたために、先生(せんせい)は、ちっともそのことを()りませんでした。
 ある()のこと、正雄(まさお)(うち)へ、()らないおばさんがはいってきました。
(わたし)(うち)(むすめ)とお(ぼっ)ちゃんとは、学校(がっこう)(おな)(くみ)だそうでございます。それで、今日(きょう)は、おねがいがあって()がりました。(むすめ)が、毎日(まいにち)学校(がっこう)で、きつね、きつねといわれますそうで、学校(がっこう)へゆくのをいやがって(こま)ますが、どうかお(ぼっ)ちゃんにお(ねが)いして、みんながそんなことをいわないようにしていただきたいものです……。」と、(たの)みました。
 正雄(まさお)(うち)水野(みずの)(うち)とは、あまりそう(とお)くなかったので、それで、彼女(かのじょ)母親(ははおや)きたものと(おも)われます。
 学校(がっこう)では、正雄(まさお)も、いっしょになって悪口(わるくち)をいった一人(ひとり)なのでした。なかには、まったくそんな悪口(わるくち)などをいわずに、(だま)っていた生徒(せいと)もありました。いま、正雄(まさお)は、自分(じぶん)行為(こうい)(たい)して、気恥(きは)ずかしさを(かん)ぜずにはいられなかったのです。
「それは、お()(どく)のことでございます。うちの正雄(まさお)に、あとからよくいいきかせますから……。」と正雄(まさお)のお(かあ)さんは、水野(みずの)のおばさんに(こた)えられました。
 (おんな)()母親(ははおや)(かえ)った(あと)で、正雄(まさお)は、お(かあ)さんから、(よわ)いものをみんなしていじめることは卑怯(ひきょう)なことだといわれて、正雄(まさお)は、(まこと)(わる)かったと(かん)じました。
 あくる()から、正雄(まさお)学校(がっこう)へいって、みんなが、「きつね、きつね。」といって、からかった時分(じぶん)に、自分(じぶん)はいわなかったばかりでなく、みんなに、
(よわ)(おんな)()をいじめるのは、卑怯(ひきょう)だから、よそう。」といいました。
 正雄(まさお)のいったことを、ほんとうだと(おも)って悪口(わるくち)いうのをよしたものも多数(たすう)ありましたが、なかには、「(きみ)は、きつねの味方(みかた)になったのかい。」といって、あざ(わら)ったものもあります。
 しかし、いままでのように、水野(みずの)(たい)して、「きつね。」といって、からかうものがなくなりました。ただ、ときどき(わす)れていたのを(おも)()したように、彼女(かのじょ)がおとなしく(あそ)んでいるところへいって、「きつね。」といいますと、彼女(かのじょ)は、もう()けていずに、反抗(はんこう)しました。そして、(おとこ)()のほうが、しまいには()()してしまったのです。
 正雄(まさお)彼女(かのじょ)とは、だんだん(なか)よしになってまいりました。正雄(まさお)のおかげで、このごろは学校(がっこう)へいっても、みんなからいじめられないのを(よろこ)んでいました。そして、どうか自分(じぶん)(うち)(あそ)びにきてくれるようにといいました。
 ある()のこと、正雄(まさお)は、彼女(かのじょ)(うち)(あそ)びにゆきますと、(おんな)()母親(ははおや)はたいそうお(れい)をいわれました。そして、正雄(まさお)がよく自分(じぶん)子供(こども)をいたわってくれたといって、お菓子(かし)などをくださいました。
 (おんな)()のお(とう)さんは、すでに()んでなかったのです。その(うち)は、彼女(かのじょ)とお(かあ)さんとの、さびしい二人(ふたり)ぎりの生活(せいかつ)でありました。(おんな)()は、絵本(えほん)()したり、お人形(にんぎょう)()して()せたりしました。二人(ふたり)は、いっしょに、その絵本(えほん)をひろげてながめていましたが、その(あそ)びにも()きた時分(じぶん)でした。
「ああ、(わたし)この(はこ)(なか)に、大事(だいじ)にして()っている、(あお)(いし)のボタンがあってよ。()くなられたお(とう)さんからいただいたの。これを、あなたにあげますわ。」といって、彼女(かのじょ)は、(ちい)さな蒔絵(まきえ)のしてある香箱(こうばこ)のふたを()けて、(なか)から、三()のボタンを()して、正雄(まさお)()(わた)しました。
 正雄(まさお)は、それをしみじみと()ながら、きれいなボタンだと(おも)いました。(あお)(いろ)が、いかにも(うつく)しかったのです。
「お(かあ)さんに()かなくて、しかられはしない?」と、正雄(まさお)はいいますと、
(わたし)のですから、あげてもいいの。」と、彼女(かのじょ)(わら)いながら(こた)えました。
 正雄(まさお)は、それをもらって、(うち)(かえ)ったのでありました。
 学校(がっこう)へゆくと、二人(ふたり)は、(うち)(あそ)んだようには(した)しく、みんながなにかいうかと(おも)って、できませんでした。
 それは、正月(しょうがつ)のことでありました。学校(がっこう)十日(とおか)あま(やす)みがあった、その(あと)のことです。学校(がっこう)へゆくと、水野(みずの)姿(すがた)()えませんでした。どうしたのだろう? かぜでもひいて(やす)んでいるのでなかろうかと正雄(まさお)は、(おも)っていました。
 ある()のこと、先生(せんせい)は、みんなに()かって、
水野(みずの)さんは、(とお)(くに)()()しなすって、学校(がっこう)退()きましたから、()いている(せき)(じゅん)につめてください。」といわれました。正雄(まさお)は、はじめてそれと()ってびっくりしてしまったのです。
「どこへ()していってしまったろう。」と、正雄(まさお)は、彼女(かのじょ)(おも)()してさびしい()がしたのであります。
 正雄(まさお)は、彼女(かのじょ)からもらった、三()のボタンを()()してながめていました。はじめは、それほどとも(おも)わなかったのが、だれでも、このボタンを()(ひと)は、「まあ、きれいなボタンだこと。」といって、ほめぬものはなかったのでした。
 そのうちに、(はる)となりました。(そら)(いろ)(うつく)しく、小鳥(ことり)()いて、いろいろな(はな)()きました。正雄(まさお)はこうした景色(けしき)()るにつけて彼女(かのじょ)のことを(おも)()しました。
 ちょうど彼女(かのじょ)が、学校(がっこう)()がったときには、(くちびる)をはらして、(かみ)をみょうな(かたち)()っていたので、どこか、その(かお)つきがきつねに()ていると(おも)ったのが、(のち)には、そうでなかったこと。そして、その()(いろ)のうるんで、やさしみのあったのが、ちょうど、この(はる)(そら)()るときに(かん)じるのと()たものがあったような()がして、正雄(まさお)は、空想(くうそう)にふけりながら、うっとりとしたのであります。
「なんで、(だま)っていったんだろうか? そして、手紙(てがみ)もくれないのだろうか。(とお)(くに)ってどちらの(ほう)なんだろう……。」と、正雄(まさお)(おも)いました。
 三()のボタンだけは、まだ、(かれ)()(のこ)っていました。正雄(まさお)は、それを(いと)につないで、()って(あそ)んでいました。その(あお)(いろ)は、(みず)(いろ)のようにも、また(そら)(いろ)のようにも、ときには、(うみ)(いろ)のようにも、光線(こうせん)具合(ぐあい)で、それは、それは、(うつく)しく()えたのであります。このボタンを()(ひと)は、だれでもちょっと()()まって、じっと()をその(うえ)()とさないものはありませんでした。()らない(ひと)は、(だま)って見返(みかえ)ってゆきました。()った(ひと)は、「まあ、(うつく)しいボタンだこと、ちょっと()せてください。」といって、(てのひら)(うえ)()せてながめたのであります。
 しかし、だれも、この(あお)いボタンが、(いし)(つく)られたものか、(かい)(つく)られたものか、判断(はんだん)(くる)しんだのでありました。
「この(あお)いボタンを、一つくださいな。」と、正雄(まさお)は、たくさんの(ひと)からいわれました。けれど、このボタンをなくしてしまうことは、彼女(かのじょ)(たい)する(おも)()からも、(とお)(はな)れてしまうことだと(かんが)えて、(かれ)は、だれにもやらなかったのであります。
「このボタンを(ぼく)にくれた、(おんな)()居所(いどころ)がわかって、そして()いてみなければあげられない。その(おんな)()はお(とう)さんからもらって、大事(だいじ)にしていたのを(ぼく)にくれたのだから……。」と(こた)えました。
 みんなは、「もう、いままで、なんの便(たよ)りもないのだから、その(おんな)()居所(いどころ)のわかりっこはない。」といいました。
 しかし、正雄(まさお)は、青々(あおあお)()れた大空(おおぞら)見渡(みわた)して、「この、(そら)(した)のどこかに、きっと(おんな)()は、お(かあ)さんと()んでいるのだろう……。」こう(かんが)えると、いい()れぬ(かな)しさと、なつかしさとが、(かん)じられたのであります。
 ある()のことでした。近所(きんじょ)()む、()(たか)い、(かお)(くろ)(おとこ)が、
(ぼっ)ちゃん、(わたし)に、どうかこのボタンを一つください。(わたし)は、これを時計(とけい)のかぎにぶらさげておきます。(わたし)は、汽車(きしゃ)()って、方々(ほうぼう)(ある)くのが勤務(きんむ)ですから、どこかで、そのお(じょう)さんが(わたし)()っている汽車(きしゃ)にはいっておいでになり、(わたし)(むね)にぶらさがっている、この(あお)いボタンを()て、どうして(わたし)()()れたかとおたずねにならんものでもありません。(わたし)()っている汽車(きしゃ)は、(いく)百マイルも(さき)までゆき、その(あいだ)に、(かぞ)えきれないほどの停車場(ていしゃば)通過(つうか)するのですから……。」といいました。
 正雄(まさお)は、この(わか)汽車乗(きしゃの)りのいうことを()くと、なるほど、そうしたことがあるかもしれないと(おも)いました。それで、(おんな)()居所(いどころ)がわかったら、すぐに()らせてくれるようにという約束(やくそく)で、この(おとこ)(あお)いボタンを一つ()けてやりました。またある()のことでありました。正雄(まさお)は、(うち)(まえ)(あそ)んでいますと、金魚(きんぎょ)()りが(とお)りました。金魚(きんぎょ)()りは、みんなを()ると、金魚(きんぎょ)のはいっているおけを()()ろしました。みんなは、そのまわりに(あつ)まって、金魚(きんぎょ)をのぞいて()たのです。()(なが)いのや、(まる)いのや、また(くろ)金色(きんいろ)のまだらなどの金魚(きんぎょ)(およ)いでいました。
 そのとき、金魚(きんぎょ)()りは、正雄(まさお)()っていた(あお)いボタンを()つけて、()をまるくしながら、
(ぼっ)ちゃん、いい金魚(きんぎょ)をあげますから、そのボタンを一つくださらないか?」と、(たの)みました。
 正雄(まさお)は、金魚(きんぎょ)()りのおじさんに、(あお)いボタンの由来(ゆらい)(はな)したのです。すると、金魚(きんぎょ)()りは、
(ぼっ)ちゃん、(わたし)は、こうして、諸国(しょこく)流浪(るろう)します。それは、どんな(むら)でも、また(ちい)さな(まち)でも、(はる)から(なつ)にかけて、(ある)いてまわります。この(あお)いボタンを(わたし)のかぶっている(かさ)のひもに(むす)びつけておいたら、いつか、そのお(じょう)さんが、金魚(きんぎょ)()おうとなさる時分(じぶん)()つけて、どこから、この(あお)いボタンを()()れたかとお()きなさらないものでもありません……。」といいました。
 正雄(まさお)(かんが)えましたが、なるほど、この金魚(きんぎょ)()りのいうことは、ありそうなことでした。そこで、(あお)いボタンを一つ()けてやりました。金魚(きんぎょ)()りは金魚(きんぎょ)を、正雄(まさお)がいらないといったのに、三びきくれました。
 正雄(まさお)()っていた、(あお)いボタンは、(のこ)り一つになりました。(かれ)はこの一つのボタンだけは、けっしていつまでも(はな)すまいと(おも)いました。いつになったら、停車場(ていしゃば)で、また、汽車(きしゃ)(なか)で、あの(おとこ)は、彼女(かのじょ)()あうでしょうか。そして、またあの金魚売(きんぎょう)りは、いつになったら、彼女(かのじょ)()んでいる(まち)()くでしょうか。
 三びきの金魚(きんぎょ)は、まだ達者(たっしゃ)水盤(すいばん)(なか)(およ)いでいます。正雄(まさお)は、(あお)いボタンの一つをまくらもとに()いて()たある(ばん)に、(あか)(うち)のたくさん()っている(みなと)景色(けしき)(ゆめ)()たのでありました。

――一九二四・一○作――

 


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11/16 11:55