小川未明
不思議なランプがありました。青いかさがかかっていました。火をつけると、青い光があたりに流れたのです。
「このランプをつけると、きっと、変わったことがあるよ。」といって、その家では、これをつけることを怖ろしがっていました。しかし、前から大事にしているランプなので、どこへもほかへやることをせずに、しまっておきました。
石油で火を点ける時代はすぎて、いまでは、どんな田舎へいっても、電燈をつけるようになりましたが、まれに、不便なところでは、まだランプをともしているところもあります。
この村でも、しばらく前から、電燈をつけるようになりました。そして、ランプのことなどは、忘れていましたので、不思議なランプの話が出ると、みんなは笑い出しました。
「そんなばかな話があるものか。この文明の世の中に、化け物や、悪魔などのいようはずがない。昔の人は、いろんなことをいって、ひまをつぶしたものだ。それがうそなら、青いランプを出して、つけてみればいい。」と、たまたま集まった人たちはいいました。
すると、家の人は、
「変わったことがあっても、なくても、そういういい伝えだから、めったなことはするものでない。」と、口をいれたのです。
「いいえ、それは迷信というものだ。今夜、青いランプをつけてみようじゃないか?」と、家の人のうちでも、きあわせた人たちと、口をそろえていったものもありましたので、つい、しかたなく、反対したものも同意することにしました。
みんなは、日の暮れるのを待っていました。そして、しまってあった、昔のランプを出してきました。
幾十年前からかしれない、石油のしみや、ほこりが、ランプのガラスについていました。
「石油が、一たれもはいっていない。」
一人は、のぞいてみながら、
「いつ、つけたかわからないのだから、かわいてしまったのだ。」といいました。
石油を持ってきて、ランプに注ぎました。そのうちに、日は、暮れてしまいました。窓からは、北の荒い海が見えます。秋から冬にかけて、雲のかからない日は少なかったのであります。冷たそうな雲が、沖にただよって、わずかに、うす明かりが残っていました。
「さあ、ランプをつけるから、電燈を消すのだよ。」と、一人がいいますと、急にみんなは、ぞっとして、だまってしまいました。へやの中は、まっ暗になりました。あたりが静まると、浪の音が、ド、ド、ドンと聞こえてきました。マッチをする音がして、ランプに火がつくと、へやの中はちょうど春の晩のように、ほんのりと青くいろどられて、その光は、窓から、遠く海の方へ流れてゆきました。
みんなは、しばらくだまっていましたが、
「どうして、このランプを不思議なランプというのですか?」と、だれかがたずねました。
おそらく、そのわけを知っているものは、この家の年とったおばあさんだけでありましょう。が、いままで、おばあさんは、このことをくわしくだれにも話しませんでした。
「このランプは、大事な、不思議なランプだから、しまっておくのだ。」と、ただ孫たちにいっていたばかりです。
「おばあさん、どうかそのお話を聞かしてください。」と、近所の子供たちも、大人たちも、そこにすわっておられたおばあさんにたのみました。
「じゃ、その話をきかしてあげよう。」と、おばあさんは、青い光にいろどられたへやの中で、みんなに向かって、つぎのような物語をされたのであります。
* * * * *
おばあさんのお父さんという人は、こんなさびしい片田舎に産まれた人に似ず、研究心の深い人でありました。
いつも、暗い、ものすごい海の方を見て考え込んでいました。「どこか、あちらにみんなの知らない国があるにちがいない。また、発見されないような島があるにちがいない。それには、もっといい船を造って、探検に出かけることだ。」などと考えていました。
ある日、海の上が、たいへんに荒れました。
「こんな日に、沖へ出ているような船はないだろうな。出ていたら、助かるまい。」と、お父さんは、まゆをひそめてながめていました。
いつしか、あらしのうちに日は暮れてしまいました。夜になってから、ますます沖は荒れ狂って見えました。このとき、一つ真っ暗な海の上に、赤い火が見えたのであります。その火は大きな波にもまれて、おどっていました。
「火が、火が、この大あらしに、船がなやんでいる。どこの船だろう……。」と、お父さんは、窓に立って見ながら気が気でありませんでした。しかし、この海岸で、船を出そうというような人を、さがしてもどこにありましょう?
「あれ、あれ。」といううちに、その赤い火は見えなくなってしまいました。まったく大きな波に呑み込まれてしまったものと思われます。そして、あとは、ただ波の音と風のさけびと雨の吹きつける声がきこえるだけでありました。
あくる日、海岸では、大騒ぎでした。一人の勇敢な外国人が難破船から、こちらの燈火を目あてに、泳いできて、とうとうたどりつくと力がつきて、そこに倒れてしまったのです。これを知った村の人々は、その外国人をいたわってやりました。
おばあさんのお父さんも、しんせつに介抱してやった一人であります。外国人は、やっと元気を回復しました。そして、手まねで、昨夜、船が難破して、乗っていたものは、みんな死に、貨物はすっかり海の底にうずもれてしまったことを告げました。
「それでも、あなたは勇敢な人だ、よくここまで泳いでこられたものだ。」と、お父さんはその外国人を尊敬しました。外国人も、またお父さんに親しみました。おばあさんのお父さんは、外国人について、外国の言葉をならいました。それから、いろいろあちらの文明な話や、まだ人のたくさんゆかないような土地で、宝や、珍しいものが無尽蔵にある話などを聞きました。
「ああ、私の思ったことは、空想ではなかった。ぜひ、いって大きな仕事をしよう。」と、お父さんは思いました。
外国人もだんだんこちらの言葉がわかり、そして、お父さんと話がいくらかできるようになりました。
「もし、人の知らない島を発見したいというようなお考えをもたれたら、一度、外国へ渡って、学問をして、それから、遠い、遠い、船出をしなければなりません……。」と、外国人は、さとしました。
お父さんは、なるほどとうなずきました。外国人は近所に、小さな家を建て、そこに住みました。家のまわりにはいろいろの草花の種子をまきました。夏になるとそれらが、赤・黄・緑、さまざまの花が咲いて美しかったのです。ちょうや、はちは、終日花の上を飛びまわっていました。外国人はそれを見て、自分のふるさとのことなどを思い出していました。
どうかして、国へ帰りたいと思いましたけれど、どうすることもできなかったので、自分は、一生をこの村で送るのでないかと考えたこともあります。お父さんは、よくこの人をたずねてゆきました。そして、あちらの話を聞いたり、言葉などをならったりして、家へ帰ると、窓のところで、青いランプをともして、夜おそくまで勉強をしました。ランプの青い光は、海の方からも見えたのであります。
ある夏の午後、外国人は、遠眼鏡で沖の方を見ていました。すると、あちらの水平線を大きな黒い船が通るのでした。それは、一目で、この国の船でないことがわかりました。だんだんはっきりと見えると、マストの上に、自分の国の旗がひらひらとひるがえっていました。
「あ、なつかしい、自分の国の船だ!」と叫ぶと、お父さんのところへ駆けてきました。
「いま、あっちを、私の国の船が通ります。これは、神さまのお助けです。どうかして、あの船に合図をして、乗り込むことはできないものでしょうか。」と訴えました。
しんせつな、正直なお父さんは、これを他人のこととは思いませんでした。
「どれ、私に、その眼鏡をおかしください。」といって、自分の目にあてて沖を見ながら、
「なるほど、りっぱな大きな船だ。この船を逃がしたら、いつまた乗れるというあてはありますまい。すぐに、合図をしましょう。」といって、近所の人々を呼び集めて、海岸の小高いところで、火をどんどんたきました。
人々が、外国人を助けたいというまごころが、あちらの船に通じたとみえて、船から、汽笛の音が、三たびきこえました。
「あれは、わかったというしらせにちがいない。」
みんなは首をのばして、沖の方を見つめていますと、だんだん、黒い船の姿が、大きくはっきりとしてきました。
これを見た外国人は、声をかぎりに叫んで、狂わんばかりに喜びました。
「さあ、あなたも私といっしょにいらっしゃい。」といって、かたわらに立っているお父さんの首に抱きつきました。
お父さんは、日ごろから、外国へいってみたいと思っていました。しかし、そのころ、そんなことがどうして容易にできましょう。まことに、これこそいい都合でありました。
「どうか、それなら、私をつれていってください。」と、お父さんも、熱心に頼みました。
おばあさんは、まだ小さな娘でありました。お父さんが、荒海を越えて、あちらの外国へゆかれると聞いたので、どんなに、それを悲しみましたでしょう。もう、ゆけば、二度と帰ってこられないもののように思われたからです。そして、おばあさんのお母さんといっしょに、「お父さん、外国へなど、ゆかないでください。」と願いました。
「なに、心配することはない。きっと、無事に帰ってくるから。」と、お父さんは答えて、いくらやめさせようとしてもだめでした。
母と娘は、お父さんの決心が固いのを知ると、せめて、そのお帰りを待つよりしかたのないのを悟りました。
「そんなら、いつお帰りなさいますか、教えてください。」と、二人はいいました。
「じゃ、約束をしよう。いまから五年めにきっと帰ってくるから。」と、お父さんは答えました。
汽船からは引き下ろされた小舟が、陸を指してきました。それから、しばらくして、外国人とお父さんはその小舟に乗りました。小舟は晩方の金色に輝く波を切って、ふたたび陸をはなれてあちらに泊まっている汽船をさしてこぎました。海鳥は、美しい夕空におもしろそうに飛んでいました。
母と娘と近所の人たちは、名残惜しそうに、目に涙を浮かべて、沖の方をながめていました。小舟は小さく、小さくなって、いつしか船にこぎつくと、人も舟も、同時に、引きあげられて、船は、暮れてゆく空に汽笛を鳴らして、いずこへともなく去ってしまいました。
絵で見ると、お父さんのゆかれた外国には、りっぱな町があって、馬車が通っています。また、男も、女も、思い思いに、きれいなふうをして歩いています。お父さんからは、いったきり、たよりがありませんでした。留守をしている、家の人々は、ただ五年のあいだの早くたつのを待っていました。
外国人の住んでいた家は、空き家になって、だれも住んでいませんでした。ただ、夏がくると、家のまわりには、いろいろの草がしぜんに芽を出して、赤・白・紫・黄の花を美しく咲かせました。そして、沖から吹いてくる風は、それらの花を動かしました。ちょうや、はちは、朝から、集まってきて、日の暮れるころまで、楽しく遊んでいました。
「お父さんは、無事にお帰りなさるだろうか?」
「あの外国人でさえ、ああして、帰っていったのだもの、人の思いの通らないことはない。きっと五年たったら、お父さんは、帰っておいでなさる……。」
一年は、また一年とたってゆきました。年々種子が残って咲いた草花も、その後、だれも手をいれるものがなかったので、外国人の住んでいた家の荒れるとともに、花の数は少なくなってしまいました。こうして、ついにお父さんの帰るといわれた五年めとなったのであります。
お母さんは、お父さんの留守の間に、ランプの下で、さびしく仕事をしていました。このあたりの海は、十月の末になれば、波が高くて、どんな船も、あまり通ることはなかったのでした。
「もう、お父さんは、お帰りなされそうなものだ。」
こういって、娘と母は、毎日のように、海岸に立っては、船のはいってくる、影を待っていました。しかし、夕焼けの美しかった夏には、とうとうお父さんは帰ってこられませんでした。
「今年は、お父さんは、お帰りなされんのだろうか?」と、娘がいうと、
「いいえ、お父さんは、約束なされたことは、けっしてお違いなされはしない。きっと、今夜あたり、帰っておいでなさるだろう。」といって、お母さんは、なにか虫が知らせるのか、かたく信じて、いつものごとく、青いランプに火をつけて、窓ぎわにすわって待っていられました。
その日は、なんとなく、家の人々の胸さわぎのする晩でした。
「今夜は帰っておいでなさる。」と、お母さんは信じて、暗い海の方を見ていられると、ふいに夜嵐の窓に吹きつけるように、幾羽ともなく、黒い海鳥が、青いランプの火を目がけて、どこからともなく飛んできて、窓につきあたったのであります。
お母さんは、神さまや、仏さまを、口のうちでお祈りをして、どうか、お父さんの身の上に変わりのないようにと願いました。そして、一夜まんじりとも眠りませんでした。
その翌晩も、どこからともなく、黒い鳥が青いランプの火を目がけて飛んできました。毎晩、青いランプに火をつけると、どこからともなくこの黒い鳥の群れが、押し寄せてきたのであります。みんなは、このランプを気味悪がりました。そして、不思議のランプとして、もうそれをつけないことにして、しまったのであります。
そして、お父さんは、とうとう帰ってこられませんのでした。
* * * * *
これが、おばあさんのお話であります。そのときのお母さんは、もうとっくに死んでしまい、そのときの娘さんは、この物語をしたおばあさんなのでした。
「そのお父さんは、どうなされたのでしょうね。」と、このへやに集まった人たちは、おばあさんにたずねました。
「外国から、こちらへくる船がなかったものか、それとも、どこかの島へ渡って、自分の思ったような仕事をなされたものか、わからないのだよ。」と、おばあさんは、答えました。
「いまでもわかりませんの?」
「私が、こんなにおばあさんになったのだから、もう、お父さんは、この世においでなされるはずはないでしょう。」
みんなは、これを聞いて、さびしい気持ちがしました。青いランプの火は、その昔のように、青い光をいまもへやの中にただよわせています。
「黒い鳥が、今夜も飛んでくるかしらん。」と、子供たちは、いいました。
だれも、これについて、はっきり答えるものはありませんでした。そして、みなは、おばあさんの顔を見ました。おばあさんは、うつむいて、遠い昔のことを思い出すように、また、岸に打つ波の音に聞きいっているように、じっとしていられました。
「おばあさん、黒い鳥が、今夜も飛んでくるでしょうか?」
「もう、そんなこともあるまい。あの時分、国へ帰りたい、帰りたいと、お父さんが、毎夜思っていなされたから、鳥になってきなさったのかもしれないが、もう、そんなことはないだろう。」と、おばあさんはいわれました。
はたして、その夜は、なんの変わったこともなく、秋の海は、すすり泣くように静かにふけていったのであります。