小川未明
峠の上に、大きな桜の木がありました。春になると花がさいて、とおくから見るとかすみのかかったようです。その下に、小さなかけ茶屋があって、人のいいおばあさんが、ひとり店先にすわって、わらじや、お菓子や、みかんなどを売っていました。
荷を負って、峠を越す村人は、よくここのこしかけに休んで、お茶をのんだりたばこをすったりしていました。
賢吉と、とし子と、正二は、いきをせいて、学校からかえりに坂を登ってくると
「おばあさん、水を一ぱいおくれ。」といって、飛びこむのでした。
「おお、あつかったろう。さあ、いまくんできたばかりだから、たんとのむがいい。」と、おばあさんは、コップを出してくれました。おばあさんは、峠の下から、二つのおけに清水をくんで、天びんぼうでかついで上げたところでした。
ところが、自動車が、こんどあちらの村まで通ることになって、道がひろがるのでありました。それで、桜の木をきろうという話が起こったのです。それに、はんたいしたのは、もとよりおばあさんでした。つぎには、この茶屋に休んで、花をながめたり、涼んだりした村の人たちです。それから、賢吉や、とし子や、正二などの子供たちでした。
「あの桜の木をきっては、かわいそうだ。春になっても、花が見られないし、夏になっても、せみがとれないものなあ!」と、たがいに話し合いました。子供たちの不平が耳に入ると、親たちも、いつかきることに、はんたいしました。それで村の人々が桜の木を道のそばへうつすことになったのです。おおぜいの力ですると、どんなことでもされるものです。大きな桜の木は、じゃまにならぬところへうつされて、おばあさんの茶店は、やはりその木の下にたてられました。
「おばあさん、今年は、花がさかないのう。」
「そうとも、人間でいえば、大病人だぞ。かれなければいいが。」と、おばあさんは、しんぱいしました。天気がつづくと、おばあさんは、下から水をくみ上げて、根もとへかけてやりました。
「おばあさん、僕がくんできてやるから。」
ある日、学校の帰りに賢吉は、すぐはだしになって、バケツを下げて、峠をかけ下りました。それから、とし子も、正二も、村の子供たちは、学校の帰りに、水をくんで、桜の木の根にかけてやるのを日課としたのです。どうでしょう。木は、ふたたび昔の元気をとりもどしました。いま、大きな枝には青葉がふさふさとして、銀色にかがやいています。
「みんなのおかげでな、この木も助かったぞ。」と、おばあさんは、こしかけている村の子供たちの顔をながめて、さも、うれしそうでありました。