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赤いえり巻き
日期:2022-09-06 23:59  点击:280
赤いえり巻き

小川未明

 


 お(はな)が、東京(とうきょう)奉公(ほうこう)にくるときに、(ねえ)さんはなにを(いもうと)()ってやろうかと(かんが)えました。二人(ふたり)(とお)(はな)れてしまわなければなりません。お(はな)は、まだ()ないにぎやかな、(うつく)しいものや、(たの)しいことのたくさんある(みやこ)へゆくことは、なんとなくうれしかったけれど、子供(こども)時分(じぶん)ら、(した)しんだ、(はやし)や、()や、自分(じぶん)(むら)(わか)れることが(かな)しかったのです。
 (あね)は、かつて、自分(じぶん)も一()(みやこ)へいってみたいと(こころ)にあこがれたことがありました。しかし、ついに()機会(きかい)がなくてすぎてしまいました。そして、もう奉公(ほうこう)()るには、あまり(とし)をとってしまったので、自分(じぶん)は、(むら)(のこ)って(たんぼ)()て、くわをとって(はたら)くことにいたしました。
「なにを(いもうと)に、()ってやったらいいだろう。」
 (あね)は、ひとりで(はたら)きながら(おも)ったのです。
 たとえ、(いもうと)は、(はな)やかな(みやこ)へゆくのにしろ、(いえ)(はな)れるということは、(あね)にはさびしいことでした。そして()らぬところへいって、(とお)くみんなから(わか)れて、一人(ひとり)生活(せいかつ)するということは、どんなにか、心細(こころぼそ)いことであろうと(おも)われると、(いもうと)がかわいそうになりました。
「せめて、いつまでも(いもうと)()につくものを()ってやりたい。」と、(あね)(おも)いました。
 このとき、そばの(はやし)(えだ)にとまって、(あか)いいすかが()いていました。もう、(あき)もふけていました。(はやし)をおとずれる(かぜ)(あら)く、(そら)(くも)ゆきは(はや)かった。そして、ところどころに、(あお)ガラスのような()えた(いろ)()えたのです。
 (あね)は、この(あき)から、(ふゆ)にかけてくる小鳥(ことり)をめずらしそうに()ているうちに、ふと、(こころ)()かんだのは、この(あか)(とり)()のような、()()(いろ)のえり()きを(いもうと)()ってやろうということでした。東京(とうきょう)は、(ゆき)は、あまりないが、(ふゆ)(かぜ)(さむ)いと()いている。(そと)用事(ようじ)()かけるのにも、えり()きがなくてはならないだろう。(あか)いえり()きを()ってやったら、(いもうと)も、さぞ(よろこ)ぶにちがいないと(かんが)えました。
 (あね)は、(まち)()ました。そして、洋品店(ようひんてん)で、(あか)いえり()きを()って(うち)(かえ)り、それを(いもうと)(あた)えたのであります。
「まあ、きれいなえり()きだこと。」といって、(いもうと)()をみはりました。
(わたし)は、(かんが)えたのだよ、東京(とうきょう)のステーションに()りたとき、この()()なえり()きをしていったら、(むか)えに()てくださる(かた)に、おまえだということがわかるだろうと(おも)って……。それに、この(あか)(いろ)は、(わる)(いろ)でないと(おも)ったのだから……。」と、(あね)はいいました。
       *   *   *   *   *
 お(はな)が、上野駅(うえのえき)()いたときに、彼女(かのじょ)心配(しんぱい)したほどのこともなく、すぐに、出迎(でむか)えにきていた(おく)さまや、(ぼっ)ちゃんたちの()にとまったのです。そのはずで、(あか)いえり()きが、たくさん汽車(きしゃ)から()りた(ひと)たちの(あいだ)でも、目立(めだ)ったからでした。ちょうど、朝日(あさひ)(ひかり)は、繁華(はんか)(まち)建物(たてもの)のいただきを()して、プラットホームに(なが)れていましたが、そこへ、()()けた(あか)(かお)少女(しょうじょ)が、()()なえり()きをして(ある)いてきたので、(あか)金魚(きんぎょ)(あか)着物(きもの)をきたさるのように、それが()えたのも不思議(ふしぎ)がありません。
 (くち)(わる)い、(ぼっ)ちゃんたちは、お(はな)に、金魚(きんぎょ)というあだ()をつけました。けれど、お(はな)は、そんなことを()にかけるような性質(せいしつ)でなく、いつも、田舎(いなか)にいた時分(じぶん)のように、いきいきしていました。そして、みんなから、かわいがられました。
「お(はな)、おまえは(はや)のみこみで、こちらのいうことを、半分(はんぶん)しか()かないから、そんなまちがいをするのだよ。」と、(おく)さまからいわれることもありました。
 ほんとうに、彼女(かのじょ)は、そそっかしやで、よく、(ちゃ)わんを(こわ)したり、たなからものを()としたりしました。
「また、お(はな)が、なにか()とした。」といって、しまいには、小言(こごと)をいうよりか、みんなは、それが愛嬌(あいきょう)になって、おかしがって(わら)ったのです。
 それほど、彼女(かのじょ)は、(つみ)のない少女(しょうじょ)でした。
「お(はな)は、東京(とうきょう)がいいか、それとも田舎(いなか)がいいかい。」と、(うち)のものが、()きました。
 彼女(かのじょ)は、すぐに返事(へんじ)をせずに、(わら)っていましたが、二つの(くろ)()をかがやかしながら、
「おら、田舎(いなか)がいい。」と(こた)えました。
「どうして?」と、(うち)(ひと)たちは、いいましたが、こう()くまでもなく、(はな)やかな自然(しぜん)()(まえ)(ひら)けて、(とり)のように自由(じゆう)()けまわったであろう彼女(かのじょ)姿(すがた)想像(そうぞう)すると、なんとなく彼女(かのじょ)不憫(ふびん)(かん)ぜられたのであります。
 ほんとうに、東京(とうきょう)(ふゆ)は、(ゆき)こそ()らないが(さむ)かった。彼女(かのじょ)は、使(つか)いに()るのに、(ねえ)さんが、こちらへくる時分(じぶん)()ってくれた、(あか)いえり()きを(わす)れずにしていきました。それには、なつかしい(あね)のまごころがこもっていると(おも)われたから……。田舎(いなか)から、手紙(てがみ)のくるたびに、彼女(かのじょ)は、()をうるませていました。
「お(はな)は、あの(あか)いえり()きが、たいへんに()にいっているらしいんですよ。」
 こう、(おく)さまは、主人(しゅじん)にいわれたこともあります。
「あのえり()きをして、汽車(きしゃ)から()りたとき、()()だったね。」と、子供(こども)らは(おも)()して、お(かあ)さんにいいました。
「なに、もうすこしたつと、お(はな)もすっかり東京(とうきょう)()になってしまうから。」と、そのとき、お(とう)さんはいわれました。
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 ある()(ちい)さな子供(こども)をつれて(そと)()たお(はな)が、なかなか(かえ)ってこないので、(うち)じゅうが大騒(おおさわ)ぎをしたことがあります。
「どこへいったのだろう。」
 みんなは、お(はな)をさがし(ある)きました。しかし、いつも近所(きんじょ)にいるのが、その()にかぎって、どこへいったか、その(かげ)()えませんでした。
(まち)(ほう)へでもいったのかもしれない。(ちい)さなのをつれて、けがでもさしたら(こま)ってしまうが……。」
 こう、(うち)(ひと)たちはいって、心配(しんぱい)しました。それから、(まち)のにぎやかな(とお)りの(ほう)へさがしにゆきました。すると人集(ひとあつ)まりのしている活動写真館(かつどうしゃしんかん)(まえ)に、()()なえり()きが、(くろ)人波(ひとなみ)にもまれながら、はっきりと()られたのです。
「あすこにいるのは、お(はな)だろう……。」
 はたして、彼女(かのじょ)でありました。
 (うち)(かえ)ってから、この(のち)、こんなことがあってはならないと()かきれた(あと)で、
(あか)いえり()きをしているから、わかっていい。」といわれると、
(わたし)(あか)いえり()きなんか、いやになった。」と、お(はな)はいいました。
「なぜ、きれいでいいじゃないか。それに、おまえの(ねえ)さんが、()ってくだきったのだから……。」と、(うち)のものがいいますと、お(はな)は、(した)()いてだまっていました。
 お(はな)は、もうだいぶ、給金(きゅうきん)がたまったころであります。このごろは、都会(とかい)(むすめ)()ちそうなものがほしくなったとみえて、白粉(おしろい)や、香油(こうゆ)のびんなども、いつのまにか()ったものが、()だなの(なか)にかくしてありました。
 ある、(かぜ)()()のこと、彼女(かのじょ)(そと)から(かえ)ると、ちがった水色(みずいろ)流行(りゅうこう)(なが)えり()きをしていました。
「そんないいのを()ったのかい。(あか)いえり()きはどうしたの?」と、(おく)さまは()かれたのです。
 彼女(かのじょ)は、(かお)(あか)くして、(わら)っていたが、
(よご)したので、さおにかけておきましたら、とんびがさらっていってしまいました。」と、(かお)をあげて(こた)えました。
「とんびが? あの(あか)いえり()きをさらっていったの?」と、(おく)さまは(わら)われました。
「はい、昨日(きのう)のお(ひる)ごろ、さらっていったんです。」
 みんなは、(かお)見合(みあ)って(わら)いました。
「ほんとうかい?」
「うそだろう……。いやになったから、()ててしまったのだろう……。」
「いいえ、ほんとうです。」と、お(はな)(こた)えました。
 田舎(いなか)(あね)が、しんせつに()ってくれたものを、たとえ()てたにしろ、()てたとはいわれなかった。とんびは、よくものをさらってゆく。だから、とんびがさらっていったといったら、だれでもしかたがないと(おも)ったからであります。
 子供(こども)たちだけは、お(はな)のいったことをほんとうだと(しん)じました。そして、大人(おとな)たちは、お(はな)はお(はな)らしいうそをいうものだといって、(わら)ったのであります。
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 ちょうど二(ねん)めの(はる)であります。お(はな)(あね)が、病気(びょうき)にかかったので、お(はな)は、田舎(いなか)(かえ)ることになりました。もう、そのころは、彼女(かのじょ)は、東京(とうきょう)のほうが、田舎(いなか)よりもよかったので、(かえ)るのをいやがりました。
「また都合(つごう)がついて()てこられるようになったらおいで。」と、(うち)人々(ひとびと)は、お(はな)(かえ)るのを()しんだのでした。
 彼女(かのじょ)は、ふたたび田舎(いなか)(ひと)となってしまった。その()、たよりがありません。東京(とうきょう)(なつ)(そら)(あか)(くも)が、(はた)のようにただよって()えると、
「お(はな)のえり()きのような(くも)だね。」と、(ぼっ)ちゃんがたは、(そら)(あお)いでいいました。
「ほんとうに、とんびがさらっていって、()てていったのかもしれないよ。」
 (あか)いえり()きのような(くも)は、(たか)煙突(えんとつ)(うえ)に、また(ひか)った(とう)(うえ)に、(かぜ)()かれて、ただよっていましたが、また、いつのまにか()えてしまいました。
 こうして、今年(ことし)(なつ)も、()れてゆくのでした。そして、(きた)(ほう)田舎(いなか)には、もう(あき)がきたのです。木枯(こが)らしが、(うみ)(うえ)()き、()()き、(はやし)()きました。その時分(じぶん)になると、()()ないすかが、どこからか()んできて、()(えだ)にとまって()いたのです。
 もし、これをお(はな)が、(たんぼ)()()たなら、かならず、自分(じぶん)のなくなった(あか)いえり()きを(おも)()し、東京(とうきょう)(ぼっ)ちゃんたちのことを(おも)()したでありましょう。

 


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