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赤い魚と子供
日期:2022-09-06 23:59  点击:282
赤い魚と子供

小川未明

 


 (かわ)(なか)に、(さかな)がすんでいました。
 (はる)になると、いろいろの(はな)(かわ)のほとりに()きました。()が、(えだ)(かわ)(うえ)(ひろ)げていましたから、こずえに()いた、真紅(まっか)(はな)や、またうす(くれない)(はな)は、その(うつく)しい姿(すがた)(みず)(おもて)(うつ)したのであります。
 なんのたのしみもない、この(かわ)(さかな)たちは、どんなに(うえ)()いて、(みず)(おもて)(うつ)った(はな)をながめてうれしがったでありましょう。
「なんというきれいな(はな)でしょう。(みず)(うえ)世界(せかい)にはあんなに(うつく)しいものがたくさんあるのだ。こんどの()には、どうかして(わたし)たちは(みず)(うえ)世界(せかい)()まれ()わってきたいものです。」と、(さかな)たちは(はな)()っていました。
 なかにも、(さかな)子供(こども)らは(おど)()がって、とどきもしない(はな)()かって、()びつこうと(さわ)いだのです。
「お(かあ)さん、あのきれいな(はな)がほしいのです。」といいました。
 すると、(さかな)母親(ははおや)は、その子供(こども)をいましめて、いいますのには、
「あれは、ただ(とお)くからながめているものです。けっして、あの(はな)(みず)(うえ)()ちてきたとて()べてはなりません。」と(おし)えました。
 子供(こども)らは、母親(ははおや)のいうことが、なぜだか(しん)じられなかった。
「なぜ、お(かあ)さん、あの(はな)びらが()ちてきたら、()べてはなりませんのですか。」と()きました。
 母親(ははおや)は、思案顔(しあんがお)をして、子供(こども)らを見守(みまも)りながら、
(むかし)から、(はな)()べてはいけないといわれています。あれを()べると、(からだ)()わりができるということです。()べるなというものは、なんでも()べないほうがいいのです。」といいました。
「あんなにきれいな(はな)を、なぜ()べてはいけないのだろう。」と、一ぴきの子供(こども)(さかな)は、(かしら)をかしげました。
「あの(はな)が、この(みず)(うえ)に、みんな()ちてきたら、どんなにきれいだろう。」と、ほかの一ぴきは()(かがや)かしながらいいました。
 そして、子供(こども)らは、毎日(まいにち)(みず)(おもて)見上(みあ)げて、(はな)()()をたのしみにして()っていました。ひとり、母親(ははおや)だけは、子供(こども)らが自分(じぶん)のいましめをきかないのを心配(しんぱい)していました。
「どうか、(はな)(わたし)()らぬまに()べてくれぬといいけれど。」と、(ひと)(ごと)をしていました。
 木々(きぎ)()いた(はな)には、(あさ)から、(ばん)になるまで、ちょうや、はちがきてにぎやかでありましたが、()がたつにつれて、(はな)(ひら)ききってしまいました。そして、ある()のこと、ひとしきり(かぜ)()いたときに、(はな)はこぼれるように(みず)(おもて)にちりかかったのであります。
「ああ、(はな)()ってきた。」と、(かわ)(なか)(さかな)は、みんな大騒(おおさわ)ぎをしました。
「まあ、なんというりっぱさでしょう。しかし、子供(こども)らが、うっかりこの(はな)をのまなければいいが。」と、(おお)きな(さかな)心配(しんぱい)していました。
 (はな)は、(みず)(うえ)()かんで、(なが)(なが)れてゆきました。しかし、(あと)から、(あと)から、(はな)がこぼれて()ちてきました。
「どんなに、おいしかろう。」といって、三びきの(さかな)子供(こども)は、ついに、その(はな)びらをのんでしまいました。
 その子供(こども)らの母親(ははおや)は、その翌日(よくじつ)()()姿(すがた)()て、さめざめと()いたのです。
「あれほど、(はな)びらをたべてはいけないといったのに。」といいました。
 (くろ)子供(こども)(からだ)は、いつのまにか、二ひきは、(あか)(いろ)に、一ぴきは(しろ)(あか)斑色(ぶちいろ)になっていたからです。
 母親(ははおや)(なげ)いたのも、無理(むり)はありませんでした。この三びきの(こども)が、川中(かわなか)でいちばん目立(めだ)って(うつく)しく()えたからであります。そして、(かわ)(みず)は、よく()んでいましたから、(うえ)からでものぞけば、この三びきの子供(こども)らが(あそ)んでいる姿(すがた)がよくわかったのであります。
人間(にんげん)が、おまえらを()つけたら、きっと()らえるから、けっして(みず)(うえ)()いてはならないぞ。」と、母親(ははおや)は、その子供(こども)らをいましめました。
 (まち)からは、こんどは、人間(にんげん)子供(こども)たちが毎日(まいにち)(かわ)(あそ)びにやってきました。
 (まち)子供(こども)たちの(なか)で、(かわ)にすむ、(あか)(さかな)()つけたものがあります。
「この(かわ)(なか)に、金魚(きんぎょ)がいるよ。」と、その(さかな)()子供(こども)がいいました。
「なんで、この(かわ)(なか)金魚(きんぎょ)なんかがいるもんか、きっとひごいだろう。」と、ほかの子供(こども)がいいました。
「ひごいなんか、なんでこの(かわ)(なか)にいるもんか。それはお()けだよ。」と、ほかの子供(こども)がいいました。
 けれど、子供(こども)たちは、どうかして、その(あか)(さかな)()らえたいばかりに、毎日(まいにち)(かわ)のほとりへやってきました。
 (まち)では、子供(こども)たちの母親(ははおや)心配(しんぱい)いたしました。
「どうして、そう毎日(まいにち)(かわ)へばかりゆくのだえ。」と、子供(こども)たちをしかりました。
「だって、(あか)(さかな)がいるんですもの。」と、子供(こども)(こた)えました。
「ああ、(むかし)から、あの(かわ)には(あか)(さかな)がいるんですよ。しかし、それを()らえるとよくないことがあるというから、けっして、(かわ)などへいってはいけません。」と、母親(ははおや)いいました。
 子供(こども)たちは、母親(ははおや)がいったことをほんとうにしませんでした。どうかして、(あか)(さかな)(つか)まえたいものだと、毎日(まいにち)(かわ)のふちへきてはうろついていました。
 ある()のこと、子供(こども)たちは、とうとう(あか)(さかな)を三びきとも(つか)まえてしまいました。そして、(うち)()って(かえ)りました。
「お(かあ)さん、(あか)(さかな)(つか)まえてきましたよ。」と、子供(こども)たちはいいました。
 お(かあ)さんは、子供(こども)たちの(つか)まえてきた(あか)(さかな)()ました。
「おお、(ちい)さいかわいらしい(さかな)だね! どんなにか、この(さかな)母親(ははおや)が、いまごろ(かな)しんでいるでしょう。」と、お(かあ)さんはいいました。
「お(かあ)さん、この(さかな)にもお(かあ)さんがあるのですか?」と、子供(こども)たちはききました。
「ありますよ。そして、いまごろ、子供(こども)がいなくなったといって心配(しんぱい)しているでしょう。」と、お(かあ)さんは(こた)えました。
 子供(こども)たちは、その(はなし)をきくとかわいそうになりました。
「この(さかな)()がしてやろうか。」と、一人(ひとり)がいいました。
「ああもう、だれも(つか)まえないように(おお)きな(かわ)()がしてやろう。」と、もう一人(ひとり)がいいました。子供(こども)たちは、三びきのきれいな(さかな)(まち)はずれの(おお)きな(かわ)()がしてやりました、その(あと)子供(こども)たちは、はじめて()がついていいました。
「あの三びきの(あか)(さかな)は、はたして、(さかな)のお(かあ)さんにあえるのだろうか?」
 しかし、それはだれにもわからなかったのです。子供(こども)たちはその(のち)()にかかるので、いつか三びきの(あか)(さかな)(つか)まえた(かわ)にいってみましたけれど、ついにふたたび(あか)(さかな)姿(すがた)()ませんでした。
 (なつ)夕暮(ゆうぐ)(がた)西(にし)(そら)の、ちょうど(まち)のとがった(とう)(うえ)に、その(あか)(さかな)のような(くも)が、しばしば()かぶことがありました。子供(こども)たちは、それを()ると、なんとなく(かな)しく(おも)ったのです。

 


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