小川未明
川の中に、魚がすんでいました。
春になると、いろいろの花が川のほとりに咲きました。木が、枝を川の上に拡げていましたから、こずえに咲いた、真紅な花や、またうす紅の花は、その美しい姿を水の面に映したのであります。
なんのたのしみもない、この川の魚たちは、どんなに上を向いて、水の面に映った花をながめてうれしがったでありましょう。
「なんというきれいな花でしょう。水の上の世界にはあんなに美しいものがたくさんあるのだ。こんどの世には、どうかして私たちは水の上の世界に生まれ変わってきたいものです。」と、魚たちは話し合っていました。
なかにも、魚の子供らは躍り上がって、とどきもしない花に向かって、飛びつこうと騒いだのです。
「お母さん、あのきれいな花がほしいのです。」といいました。
すると、魚の母親は、その子供をいましめて、いいますのには、
「あれは、ただ遠くからながめているものです。けっして、あの花が水の上に落ちてきたとて食べてはなりません。」と教えました。
子供らは、母親のいうことが、なぜだか信じられなかった。
「なぜ、お母さん、あの花びらが落ちてきたら、食べてはなりませんのですか。」と聞きました。
母親は、思案顔をして、子供らを見守りながら、
「昔から、花を食べてはいけないといわれています。あれを食べると、体に変わりができるということです。食べるなというものは、なんでも食べないほうがいいのです。」といいました。
「あんなにきれいな花を、なぜ食べてはいけないのだろう。」と、一ぴきの子供の魚は、頭をかしげました。
「あの花が、この水の上に、みんな落ちてきたら、どんなにきれいだろう。」と、ほかの一ぴきは目を輝かしながらいいました。
そして、子供らは、毎日、水の面を見上げて、花の散る日をたのしみにして待っていました。ひとり、母親だけは、子供らが自分のいましめをきかないのを心配していました。
「どうか、花を私の知らぬまに食べてくれぬといいけれど。」と、独り言をしていました。
木々の咲いた花には、朝から、晩になるまで、ちょうや、はちがきてにぎやかでありましたが、日がたつにつれて、花は開ききってしまいました。そして、ある日のこと、ひとしきり風が吹いたときに、花はこぼれるように水の面にちりかかったのであります。
「ああ、花が降ってきた。」と、川の中の魚は、みんな大騒ぎをしました。
「まあ、なんというりっぱさでしょう。しかし、子供らが、うっかりこの花をのまなければいいが。」と、大きな魚は心配していました。
花は、水の上に浮かんで、流れ流れてゆきました。しかし、後から、後から、花がこぼれて落ちてきました。
「どんなに、おいしかろう。」といって、三びきの魚の子供は、ついに、その花びらをのんでしまいました。
その子供らの母親は、その翌日、我が子の姿を見て、さめざめと泣いたのです。
「あれほど、花びらをたべてはいけないといったのに。」といいました。
黒い子供の体は、いつのまにか、二ひきは、赤い色に、一ぴきは白と赤の斑色になっていたからです。
母親の歎いたのも、無理はありませんでした。この三びきの子供が、川中でいちばん目立って美しく見えたからであります。そして、川の水は、よく澄んでいましたから、上からでものぞけば、この三びきの子供らが遊んでいる姿がよくわかったのであります。
「人間が、おまえらを見つけたら、きっと捕らえるから、けっして水の上へ浮いてはならないぞ。」と、母親は、その子供らをいましめました。
町からは、こんどは、人間の子供たちが毎日川へ遊びにやってきました。
町の子供たちの中で、川にすむ、赤い魚を見つけたものがあります。
「この川の中に、金魚がいるよ。」と、その魚を見た子供がいいました。
「なんで、この川の中に金魚なんかがいるもんか、きっとひごいだろう。」と、ほかの子供がいいました。
「ひごいなんか、なんでこの川中にいるもんか。それはお化けだよ。」と、ほかの子供がいいました。
けれど、子供たちは、どうかして、その赤い魚を捕らえたいばかりに、毎日川のほとりへやってきました。
町では、子供たちの母親が心配いたしました。
「どうして、そう毎日川へばかりゆくのだえ。」と、子供たちをしかりました。
「だって、赤い魚がいるんですもの。」と、子供は答えました。
「ああ、昔から、あの川には赤い魚がいるんですよ。しかし、それを捕らえるとよくないことがあるというから、けっして、川などへいってはいけません。」と、母親はいいました。
子供たちは、母親がいったことをほんとうにしませんでした。どうかして、赤い魚を捕まえたいものだと、毎日、川のふちへきてはうろついていました。
ある日のこと、子供たちは、とうとう赤い魚を三びきとも捕まえてしまいました。そして、家へ持って帰りました。
「お母さん、赤い魚を捕まえてきましたよ。」と、子供たちはいいました。
お母さんは、子供たちの捕まえてきた赤い魚を見ました。
「おお、小さいかわいらしい魚だね! どんなにか、この魚の母親が、いまごろ悲しんでいるでしょう。」と、お母さんはいいました。
「お母さん、この魚にもお母さんがあるのですか?」と、子供たちはききました。
「ありますよ。そして、いまごろ、子供がいなくなったといって心配しているでしょう。」と、お母さんは答えました。
子供たちは、その話をきくとかわいそうになりました。
「この魚を逃がしてやろうか。」と、一人がいいました。
「ああもう、だれも捕まえないように大きな河へ逃がしてやろう。」と、もう一人がいいました。子供たちは、三びきのきれいな魚を町はずれの大きな河へ逃がしてやりました、その後で子供たちは、はじめて気がついていいました。
「あの三びきの赤い魚は、はたして、魚のお母さんにあえるのだろうか?」
しかし、それはだれにもわからなかったのです。子供たちはその後、気にかかるので、いつか三びきの赤い魚を捕まえた川にいってみましたけれど、ついにふたたび赤い魚の姿を見ませんでした。
夏の夕暮れ方、西の空の、ちょうど町のとがった塔の上に、その赤い魚のような雲が、しばしば浮かぶことがありました。子供たちは、それを見ると、なんとなく悲しく思ったのです。