赤い船
日期:2022-09-06 23:59 点击:286
露子は、
貧しい
家に
生まれました。
村の
小学校へ
上がったとき、オルガンの
音を
聞いて、
世の
中には、こんないい
音のするものがあるかと
驚きました。それ
以前には、こんないい
音を
聞いたことがなかったのです。
露子は、
生まれつき
音楽が
好きとみえまして、
先生が
鳴らしなさるオルガンの
音を
聞きますと、
身がふるいたつように
思いました。そして、こんないい
音のする
器械は、だれが
発明して、どこの
国から、はじめてきたのだろうかと
考えました。
ある
日、
露子は、
先生に
向かって、オルガンはどこの
国からきたのでしょうか、と
問いました。すると
先生は、そのはじめは、
外国からきたのだといわれました。
外国というと、どこでしょうかと
考えながら
聞きますと、あの
広い
広い
太平洋の
波を
越えて、そのあちらにある
国からきたのだと
先生はいわれました。
そのとき、
露子は、いうにいわれぬ
懐かしい、
遠い
感じがしまして、このいい
音のするオルガンは
船に
乗ってきたのかと
思いました。それからというもの、なんとなく、オルガンの
音を
聞きますと、
広い、
広い
海のかなたの
外国を
考えたのであります。
なんでも、いろいろと
先生に
聞いてみると、その
国は、もっとも
開けて、このほかにもいい
音のする
楽器がたくさんあって、その
国にはまた、よくその
楽器を
鳴らす、
美しい
人がいるということである。で、
露子は、そんな
国へいってみたいものだ。どんなに
開けている
美しい
国であろうか。どんなに
美しい
人のいるところであろうか。そしてその
国にいくと、いたるところでいい
音楽が
聞かれるのだと
思いました。それで
露子は
大きくなったら、できるものなら、
外国へいって
音楽を
習ってきたいと
思いました。
露子の
家は
貧しかったものですから、いろいろ
子細あって、
露子が十一のとき、
村を
出て、
東京のある
家へまいることになりました。
二
その
家はりっぱな
家で、オルガンのほかにピアノや
蓄音機などがありました。
露子は、なにを
見ても、まだ
名まえすら
知らない
珍しいものばかりでありました。そしてそのピアノの
音を
聞いたり、
蓄音機に
入っている
西洋の
歌の
節など
聞きましたとき、これらのものも
海を
越えて、
遠い
遠いあちらの
国からきたのだろうかと
考えたのであります。
昔、
村の
小学校時代にオルガンを
見て、
懐かしく
思ったように、やはり
懐かしい、
遠い、
感じがしたのであります。
その
家には、ちょうど
露子の
姉さんに
当たるくらいのお
方がありまして、よく
露子をあわれみ、かわいがられましたから、
露子は
真の
姉さんとも
思って、つねにお
姉さま、お
姉さまといって
懐きました。
よく
露子は、お
姉さまにつれられて、
銀座の
街を
歩きました。そして、そのとき、
美しい
店の
前に
立って、ガラス
張りの
中に
幾つも
並んでいるオルガンや、ピアノや、マンドリンなどを
見ましたとき、
「お
姉さま、この
楽器は、みんな
外国からきましたのですか。」
と
問いました。お
姉さまは、
「ああ、
日本でできたのもあるのよ。」
といわれました。
露子の
目には、それらの
楽器は
黙っているのですが、ひとつひとつ、いい、
奇しい
妙な、
音色をたてて、
震えているように
見えたのであります。そして、
晩方など、
入り
日の
紅くさしこむ
窓の
下で、お
姉さまがピアノをお
弾きなさるとき、
露子は、じっとそのそばにたたずんで、いちいち
手の
動くのから、
日の
光がピアノに
当たって
反射しているのから、なにからなにまで
見落とすことがなく、また
歌いなされる
声や、かすかにふるえる
音のひとつひとつまで
聞きのこすことがなかったのであります。
露子にはピアノの
音が、
大海原を
渡る
風の
音と
聞こえたり、
岸辺に
打ち
寄せる
波の
音と
聞こえたのであります。そして、ピアノをお
弾きなさるお
姉さまが、すきとおるお
声で、
外国の
歌をうたいなさるお
姿は、いつもよりかいっそう
神々しく
見えたのであります。
水晶のようなお
目は
星のごとく
輝いて、
涙が
浮かんでいたのでありました。
露子は、
自分の
母さまや、
父さまのことを
思い
出し、また
村の
小学校のことなどを
思い
出して、いつしか
熱い
涙が、ほおを
流れたのでありました。
三
露子は、おりおり、
自分が
船に
乗って
外国へいったような
夢を
見ました。そして、
外国でオルガンを
習ったり、ピアノを
聞いたりして、たいそう
自分が
音楽が
上手になって、
人々からほめられたような
夢を
見ておおいに
喜ぶと、
夢がさめて
驚いたことがありました。
* * * * *
初夏のある
日のこと、
露子は、お
姉さまといっしょに
海辺へ
遊びにまいりました。その
日は
風もなく、
波も
穏やかな
日であったから、
沖のかなたはかすんで、はるばると
地平線が
茫然と
夢のようになって
見えました。
白い
雲が
浮かんでいるのが、
島影のようにも、
飛んでいる
鳥影のようにも
見えたのであります。
お
姉さまは、いい
声でうたいながら、
露子の
手をとってお
歩きになりますと、
露子も、きれいな
砂を
踏んで
波打ちぎわを
歩きました。
波は、かわいらしい
声をたてて
笑った。このとき、
沖のはるかに、
赤い
筋の
入った一そうの
大きな
汽船が、
波を
上げて
通り
過ぎるのが
見えました。
露子は、ふと、この
汽船は
遠くの
遠くへいくのではないかと
思って
見ていますと、お
姉さまも、またじっとその
船をごらんになりました。
「お
姉さま、この
海はなんという
海なのでしょう。」
と
聞くと、「この
海が
太平洋というのですよ。」とお
教えくださいましたので、この
海をどこまでもいけば
外国へいかれるのだろうと
思いました。
「あの、
赤い
船は
外国へいくのでしょうか。」
と、
露子はお
姉さまに
問いました。するとお
姉さまは、いつもじっとものをごらんになるとき
目に
涙を
浮かべられますが、やはり
目に
涙をたたえて、
「そうねえ。」
といって、
暫時、
頭をおかしげになっていましたが、
「ああ、きっと
外国へいくんでしょうよ。」
と、やさしくいわれました。
「
幾日ばかりかからなければ、
外国へいかれませんの。」
と、
露子は
聞きました。
「
幾日も、
幾日もかからなければ、
外国へはいかれません。
幾千マイルという
遠くへいくんですもの。」
と、お
姉さまはいわれました。
そう
思うと、なんとなくあの
赤い
船が
懐かしいのであります。あの
赤い
船は
太平洋を
渡って、
美しい
国へいくのかと
思いますと、あの
赤い
船にどんな
人が
乗っていて、なにをしているかと
考えました。けれど
遠くへだたっていますので、ただ
赤い
筋と、ひらひらひるがえっている
旗と、
太い
煙突と、その
煙突から
上る
黒い
煙と、
高い三
本のほばしらとが
見えたばかりであります。そして
船の
過ぎる
跡には
白い
波があわだっているばかりでありました。
露子は、どうしてもその
赤い
船の
姿を
忘れることができません。
自分も、その
船に
乗って
外国へいってみたい。そして、オルガンやピアノや、いい
音楽を
聞いたり、
習ったりしたいものだと
考えました。
見るうちに
赤い
船は、だんだん
遠ざかってしまった。
日は
漸々西に
傾いて、
波の
上が
黄金色に
輝いて、あちらの
岩影が
赤く
光った
時分には、もうその
船の
姿は
波の
中に
隠れて、
煙が
一筋、
空に
残っていたばかりです。
その
日は、お
姉さまといっしょに
海辺で
遊び
暮らして、
疲れた
足をひきずって
家に
帰りました。
四
明くる
日、
露子は
窓によって、
赤い
船はいまごろどこを
航海していようかと
思っていますと、ちょうどそこへ一
羽のつばめが、どこからともなく
飛んできました。
露子は、つばめに
向かって、
「おまえは、どこからきたの。」
と
聞きますと、つばめは、かわいらしいくびをかしげて、
露子をじっと
見ていましたが、
「
私は、
南の
方の
海を
渡って、はるばると
飛んできました。」
と
答えました。
「そんなら、
太平洋を
越えてきたの?」
と、
露子の
顔には
覚えず
笑みがあふれたのであります。つばめは、
「それは
幾日となく、
太平洋の
波の
上を
飛んできました。」
と
答えました。
「そんなら、おまえは
船を
見なくて? ……」
と、
露子は
聞きました。
すると、つばめは、
「それは、
毎日毎日幾そうとなく
船を
見ました。あなたのお
聞きになります
船は、どんな
船ですか。」
と
問い
返しました。
露子はつばめに、その
船は
赤い
筋の
入った
船で、三
本の
高いほばしらがあることから、
自分の
見た
記憶のままを、いちいち
語り
聞かせたのであります。
すると、つばめは、またくびをかしげて、この
話を
聞いていましたが、
「その
船なら、
私はよく
知っています。
私が
長い
旅に
疲れて、
暮れ
方、
翼を
休めるため、
海の
上に
止まる
船のほばしらを
探していましたとき、ちょうどその
赤い
船が、
波を
上げて
太平洋を
航海していましたから、さっそく、その
船のほばしらに
止まりました。ほんとうにその
晩はいいお
月夜で、
青い
波の
上が
輝きわたって、
空は
昼間のように
明るくて、
静かでありました。そして、その
赤い
船の
甲板では、いい
音楽の
声がして、
人々が
楽しく
打ち
群れているのが
見えました。」
と
語り
聞かして、つばめは、またどこへか
飛び
去ってしまいました。
露子は、いまごろはその
船は、どこを
航海しているだろうかと
考えながら、しばしつばめのゆくえを
見守りました。
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