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子供の時分の話(1)
日期:2022-11-01 16:53  点击:311

子供の時分の話

小川未明


あめりのく、チャルメラのこえくと、子供こども時分じぶんのことをおもい、按摩あんまふえくと、そのひとなみだぐみました。そのはなしかせたひとたびひとです。そして、その不思議ふしぎはなしというのはつぎのような物語ものがたりです。
*   *   *   *   *
まちからすこしばかりはなれた、ちいさなさびしいむらでありました。むらにはむかし城跡しろあとがありました。ちょうどわたしおなじい七つ、八つばかりの子供こどもが、毎日まいにち五、六にんあつまって鬼事おにごっこをしたり、こまをまわしたりしてあそんでいました。
ずっと以前いぜんから、このむら一人ひとりのあめりじいさんがはいってきました。チャルメラをいて、ちいさな屋台やたいをかついでまちほうからやってきました。子供こどもらはみんな、このおじいさんのかおをよくっていました。
わたしは、昼寝ひるねをしている時分じぶんに、ゆめなかでこのチャルメラのこえいたこともあります。またそとあそんでいる時分じぶんに、かなたの往来おうらいにあたっていたこともあります。
かぜひかっていたり、とんぼがんでいるのをるよりほかに、変化へんかのない景色けしき物憂ものうく、単調たんちょうでありましたから、たまたまあめりのふえくと、たのしいものでもつかったように、そのほうけていったものです。
このあめりじいさんは、城跡しろあとぐちのところに、いつも屋台やたいろしました。そして、むらじゅうの子供こどもせるように、遠方えんぽうのぞんで、チャルメラをらしました。じいさんは、もういいとしであったとみえて、のしょぼしょぼとしたじわのたくさんなかおけて、くろいろをしていました。
けれど、わたしは、またこんな無愛想ぶあいそうなじいさんをたことがありません。おおくの子供こどもが、こうしてなつかしそうに、したわしそうにそのそばへってきましても、つい一としてわらったかおせなければ、戯談じょうだんをいってよろこばせてくれたこともなかったのです。
こうして、そこに二、三十ぷん屋台やたいろしてやすんでいますが、もうあめをってくれる子供こどもがいよいよないとわかると、じいさんはだまって屋台やたいをかついで、おしろなかとおって、かなたのむらほうへといってしまいます。わたしは、いつもさびしそうにして、おじいさんのえてゆく姿すがた見送みおくりました。
むかしからある、しろもんの四かくおおきい礎石そせきは、ひかりびてしろかわいていました。くさ土手どてうえにしげっていました。そして、小鳥ことり四辺あたり木々きぎのこずえにまってないていました。きたほうから、かなしいかぜいてきて、ほおをなでたのであります。
「さあ、うちほうかえろうよ。」と、ともだちの一人ひとりがいいますと、
「ああ、かえろう。」と、みんながいって、うちのあるほうへとかえっていきました。
きみかわおよぎにいこうか。」と、なか一人ひとりがいいますと、
「ああ、およぎにいこう。」と、あるものは同意どういしましたけれども、また、あるものは、
ぼくかわへいくとおかあさんにしかられるから、いやだ。」と、ゆくのをこばんだものもあります。
弱虫よわむしだなあ、じゃ、ぼくらだけおよぎにいこうよ。弱虫よわむしなんかこなくてもいいや。」と、二、三にんが、一つになって途中とちゅうからわかれて、田舎道いなかみちあるいてかわのあるほうへといったのであります。
わたしは、いつもその弱虫よわむしなかはいっていました。わたし祖母そぼ母親ははおやが、かわへいくことをあぶないといってきびしくしかったからです。そして、わたしはいつも弱虫よわむし仲間なかまはいって、うちほうへとかえっていきました。

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10/01 01:27