さかずきの輪廻(1)
日期:2022-11-03 23:59 点击:261
さかずきの輪廻
小川未明
(この童話はとくに大人のものとして書きました。)
昔、
京都に、
利助という
陶器を
造る
名人がありましたが、この
人の
名は、あまり
伝わらなかったのであります。一
代を
通じて
寡作でありましたうえに、
名利というようなことは、すこしも
考えなかった
人でしたから、べつに
交際をした
人も
少なく、いい
作品ができたときは、ただ
自分ひとりで
満足しているというふうでありました。
しかし、
世間というものは、
評判が
高くなければ、その
人の
作ったものを
重んずるものでありません。
一人や、
二人は、まれに、
目をとめて
見ることはあっても、
問題にしなければ、
永久に、それだけで
忘れられてしまうのです。
落ち
葉にうずもれた、きのこのように、
利助の
作品は、
世に
表れませんでした。そしてうす
青い、
遠山ほどの
印象すらもその
時代の
人たちには
残さずに、さびしく
利助は
去ってしまいました。
それから、
幾十
年もの
間、
惜しげもなく、
彼の
作った
陶器は、
心ない
人たちの
手に
取り
扱われたのでありましょう。がらくたの
間に
混じっていました。
利助の
陶器の
特徴は、その
繊細な
美妙な
感じにありました。
彼は
薄手な、
純白な
陶器に
藍と
金粉とで、
花鳥や、
動物を
精細に
描くのに
長じていたのであります。
瓦のような
厚い、
不細工な
焼き
物の
間に、この
紙のようにうすい、しかも
高貴な
陶器がいっしょになっているということは、なんという
心ないことでありましょう?
しかも
心ない
人たちは、それをいっしょにして、
手あらく
取り
扱ったのであります。こうして
作数の
少なかった
利助の
作品は、
時代をへるとともに、いつしかなくなってゆきました。
空に
輝く
星が、一つ、一つ、
消え
失せるように、それはさびしいことでした。そして
砕けた
作品は、
砂礫といっしょに、
溝や、
土の
上に
捨てられて、
目から
去ってゆくのでした。
しかし、また、
人間のほんとうの
努力というものが、けっしてむなしくはならないように、
真の
芸術というものが、
永久に、その
光の
認められないはずがないのであります。
ひとたび
土中にうずもれた
金塊は、かならず、いつか
土の
下から
光を
放つときがあるように、
利助の
作品が、また、
芸術を
愛好する
人たちから
騒がれるときがきたのでした。
けれど、その
時分には、
少ない
品数は、ますます
少なくなって、
完全なものとては、だれか、
利助の
作品を
愛していたごく
少数の
人の
家庭に
残されたものか、また、
偶然のことで
戸だなのすみにほかの
陶器と
重なり
合って、
不思議に、
破れずにいたものだけであったのです。
「
利助というような
名人があったのに、どうしていままで
知られなかったろう。」と、
陶器の
愛好家の
一人がいいますと、
「ほんとうの
名人というものは、みんな
後になってからわかるのだ、
見識が
高かったとでもいうのだろう。」と、その
話の
相手はさながら、
名人が、その
時代では、
不遇であったのを
怪しまぬように
答えました。
「
私は、
利助の
作がたまらなく
好きだ。まあ、この
藍色の
冴えていてみごとなこと。
金粉の
色もその
時分とすこしも
変わらない。
上等のものを
使っていたとみえる。」
「
貧乏な
暮らしをしたということだが、
芸術のうえでは、なかなかの
貴族主義だった。」
「
私は、
利助の
作った
完全なさらがあるなら、どれほどの
金を
出しても、一
枚ほしいものだ。」
「その
考えは、ぜいたくだろう。なにしろ、あの
薄手では、
大事にして、しまっておいても
保存は、
容易ではない。」
「なぜ、あんなに、
薄手に
焼いたものだろうか。」
「あの
薄手がいいのだ。あれでなければあの
純白の
色は
出せないのだ。」
「もっとも、
利助ほどの
天才は、
自分のものが
長く
保存されるためとか、どうとかいうような
俗な
考えはもたなかったろう。ただ、
気品の
高いものを
作り
上げたいと
思っていたにちがいない。」
「そのとおりだ。」
陶器の
愛好家によって、こんな
話がかわされたのは、すでに、
利助が
死んでから、百
年近くたってから
後のことであった。
ここに、
一人の
陶器の
好きな
男がありました。ちょうど
江戸末期のころで、ある
日、
日本橋辺を
歩いていまして、ふとかたわらにあった
骨董店に
立ち
寄って、いろいろなものを
見ているうちに、
台の
上に
置いてあったさかずきに
目がとまりました。
男は、それを
手に
取ってみますと、
思いがけない、
利助の
作ったさかずきでした。しかも
無傷で
藍の
色もよく、また
描いてある
絵の
趣も
申し
分のないものでありました。
「ほう、めずらしいさかずきだな。」
と、
彼は、
心で
思いました。
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