「どうせ、あのたばこ入 れの飾 りや、帯止 めの銀 の金具 は、たいした値 にもならないだろうが、もしあのさかずきが、いいさかずきであったなら、値 になるかもしれない。しかし、いつかおじいさんに見 せたら、あまりほめていなかった。それでも、みんな一 まとめにして売 ったら、いくらかの金 になるだろう。」と、彼 は思 いました。
孫 は、東京 へ出 ると、じきに掛 け物 は売 ってしまったのです。
「いくら、本物 でも、作 のできがよくなければ、値 になるものではありません。これは、作 のできがよくありません。このほうは、汚 れていますからだめです。これですか、こいつは、私 に、鑑定 がつきません……。」
そんなふうに、骨董屋 から、まことしやかにいわれて、掛 け物 は、安 い値 で手放 してしまいました。
それで、彼 は、こんどは、正直 な人間 に売 らなければならぬと思 いました。
「りっぱな店 を張 っている骨董屋 のほうが、かえって、人柄 がよくないかもしれない。だれか正直 そうな古道具屋 を呼 んできて見 せよう。」
彼 は、そう思 いました。
彼 は、出 かけてゆきました。そして、耳 のすこし遠 い、声 のすこし鼻 にかかる、脊 の曲 がった男 を連 れてきました。男 は、無造作 に、毎日 、ぼろくずや、古鉄 などをいじっている荒 くれた手 で、彼 の出 した、金銀細工 の飾 りとさかずきとを、かわるがわる取 ってながめていました。
「こちらの飾 りだけを×××××でいただきましょう。このさかずきは、どうでもよろしゅうございます。」と、古道具屋 はいいました。
彼 には、このとき、ふたたび田舎 にいる時分 、近所 の物知 りのおじいさんが、「これは、たいしたものではない、ただ古 いからいいのだ。」といった、その言葉 が思 い出 されたのです。
文明 のこの社会 に生 まれながら、昔 のものなぞをありがたがるのは、じつにくだらないことだと、彼 は簡単 に考 えたのであります。
「このさかずきも、つけてやろう。」と、彼 はいってしまいました。
古道具屋 は、それを格別 、ありがたいとも思 わぬようすで、金銀細工 の飾 りといっしょに持 ってゆきました。
このさかずきのことが忘 れられた時分 、彼 は、ある日 なにかの書物 で、利助 という、あまり人 に知 られなかった陶工 の名人 が、昔 、京都 にあったということを読 みました。そして、強 く胸 を突 かれました。なぜなら、彼 の家 に昔 からあった、あのさかずきには、たしかに利助 という名 がはいっていたからです。
「そうだ、あのさかずきには、利助 と名 がしるしてあった。また、本 には、ねずみや、花 や、鳥 の絵 などをよく描 いたとあるが、たしかに、あのさかずきの絵 はねずみであった。」と、彼 は思 ったのでした。
彼 は、ほんとうに、とりかえしのつかないことをしたと知 ったのです。それにつけて、近所 の物知 りのおじいさんが、そのじつ、なにも知 っていないのを、知 るもののごとく信 じていたのをうらめしく、愚 かしく思 いました。
「なぜ、村 の人 たちは、あのおじいさんのいったことを信 じたろう。そうでなかったら、自分 も信 ずるのでなかったのだ。」と、後悔 をしました。
また、「なぜ、自分 は、さかずきを、あんなもののよくわからない、古道具屋 などに見 せたろう? もっといい骨董屋 にいって見 せたら、あるいは、利助 という名工 を知 っていたかもしれない。」と、彼 はそのときとは、まったく反対 のことを考 えました。
彼 は、こうなっては、だれを憎 むこともできなく、自 らを憎 みました。
彼 は、また、「自分 の祖父 は、よほど、趣味 の深 い、目 ききであった。」と思 いました。そして、彼 は、そう思 うと、いままで感 じなかった、なつかしさを、祖父 に対 して感 ずるようになったのです。
世 にも、その数 の少 ない利助 の作 を、祖父 が手 にいれて、それを愛 したこと、そのさかずきは長 い間 、我 が家 の古 びた仏壇 のひきだしの中 に入 れてあったのを、自分 が、むざむざ持 ち出 して捨 てるように、この東京 のつまらない古道具屋 にやってしまったと考 えると、彼 はなんとなくすまないような、またとりかえしのつかないようなくやしさを感 じたのです。そして、どうかして、それを探 し出 さなければならないと思 いました。
孫 は、さっそく、いつか自分 の宿 に呼 んできた古道具屋 へたずねてゆきました。そして、二、三か月前 にやった、さかずきは、まだ店 に置 いてないかと、あたりに古道具 がならべてあるのを見 まわしてからききました。
「あれは、すぐ売 れてしまいました。」と、耳 の遠 い、脊 の曲 がった男 は、とがった顔 つきをして答 えました。
「だれが、買 っていったか、わからないでしょうか?」と、彼 は、なんとなく、あきらめかねるので聞 きました。
「あなた、この広 い東京 ですもの……。」といって、男 は、きつねのような顔 つきをして、皮肉 な笑 い方 をしたのです。
彼 は、それに対 して、このときだけは、怒 る勇気 すらありませんでした。
「なるほどそうだ。」と思 いました。
東京 の街 は、広 いのでした。大海 に、石 を投 げたようなものです。小 さな、一つのさかずきはこの繁華 な、わくがように、どよめきの起 こる都会 のどこにいったかしれたものではありません。
そう考 えると、彼 は、絶望 を感 ずるより、ほかにはないのでした。
しかし、また、それは、どこかに存在 しなければならぬものでした。
そのさかずきを、買 った人 は、日本橋 の裏通 りに住 んでいる骨董屋 でありました。その人 は、まことに思 いがけない掘 り出 し物 をしたと喜 びました。そして、店 に帰 ってから、そのさかずきを他 の細 かな美術品 といっしょに、ガラス張 りのたなの中 に収 めて陳列 しました。
江戸時代 のあの時分 から、東京 のこの時代 に至 るまで、また、幾 十年 をたちましたでしょう。
さかずきは、それでも、無事 に、ふたたび江戸時代 と変 わらない、東京湾 に近 い、空 の色 を、街 の中 からながめたのであります。そして、またここで、日影 のうすい、一日 をまどろむのでした。
さかずきにとって、田舎 へいったこと、仏壇 に酒 をついで上 げられたこと、毎日 、毎日 、女房 が磬 をたたいたこと、箱 に収 められてから、暗 い、ひきだしの中 にあったこと、それらは、ただいっぺんの夢 にしか過 ぎませんでした。
さかずきには、家 の前 をかごが通 ったことも、いま人力車 が通 り、自動車 が通 ることも、たいした相違 がないのだから、無関心 でした。
ただ、ある日 のこと、太鼓 の音 と、笛 の音 と、御輿 をかつぐ若衆 の掛 け声 をききましたので、しばらく遠 く聞 かなかった、なつかしい声 をふたたび聞 くものだと思 いました。
そして、自分 は、またどうして、同 じ所 へ帰 ってきたろうかと疑 いました。
はかない、薄手 のさかずきが、こんなに完全 に保存 されたのに、その間 に、この街 でも、この世 の中 でも、幾 たびか時代 の変遷 がありました。あるものは、生 まれました。またあるものは、死 んで墓 にゆきました。
それが、さかずきにとって、芸術 の力 でなくて、偶然 な存在 だと、なんでいうことができましょう。
この街 では、ちょうど昔 からの氏神 さまの祭日 に当 たるのでした。そして、いつも、昔 と変 わらない催 しをするのでした。
おりも、おり、例 の孫 は、この日 この街 を通 りかかりました。そして、華 やかな、祭 りの光景 を見 て、自分 の家 も祖父 までは、この東京 に住 んでいたのだなと思 いました。
御輿 の通 る前後 に、いろいろな飾 り物 が通 りました。そのうちに、この土地 の若 い芸妓連 に引 かれて、山車 が通 りました。山車 の上 には、顔 を真 っ赤 にしたおじいさんが、独 り他 の人物 の間 に立 って、この街 の中 を見下 ろしていました。
彼 は、この山車 の上 の、顔 を赤 くした、人 のよさそうなおじいさんを見 ているうちに、自分 のお祖父 さんのことなどを思 いました。自分 は、そのお祖父 さんの顔 を知 らなかったけれど、たいへんに酒 の好 きな人 で、いつも赤 い顔 をしていたということを聞 いていました。また趣味 の深 かった人 でもありました。利助 のさかずきは、そのお祖父 さんの愛用 したものだと思 い出 すにつけて、彼 は、なんとなくお祖父 さんをかぎりなくなつかしく思 いました。
「きっと、お祖父 さんも、あの山車 の上 に立 っているようなおじいさんであったろう。」と、彼 は思 いながら、街 を過 ぎる山車 をながめていました。
若 い、派手 やかな装 いをした女 たちが、なまめかしいはやし声 で山車 を引 くと、山車 の上 の自分 のおじいさんは、ゆらゆらと赤 い顔 をして揺 られました。
おじいさんは、にこやかに、街 の中 のようすを笑 いながらながめていました。そして、山車 の下 を通 る車 や、仰向 いてゆく人々 に、いちいち会釈 をするように、くびを振 っていました。
山車 の上 のおじいさんは、両側 の店 をのぞくように、そして、その繁昌 を祝 うように、にこにこして見下 ろしました。やがて、山車 は一軒 の骨董店 の前 を通 りました。その店 にはガラスだなの中 に、利助 のさかずきが、他 の珍 しい物品 といっしょに陳列 されているのでした。
山車 の上 のおじいさんは、その前 にくると、一段 、くびを前後 に振 りましたが、やがて、若 い女 のはやし声 とともに、その前 をも空 しく通 り越 してしまいました。
後 には、ただ、永久 に、青 い空 の色 が澄 んでいました。そして、たなの中 には、ねずみを描 いた、金粉 の光 の淡 い利助 のさかずきが、どんよりとした光線 の中 にまどろんでいるのでした。
こうして、たがいに遇 うたものは、また永久 に別 れてしまいました。いつまた、おじいさんと利助 のさかずきと孫 とが、相見 るときがあるでありましょうか。
「いくら、
そんなふうに、
それで、
「りっぱな
「こちらの
「このさかずきも、つけてやろう。」と、
このさかずきのことが
「そうだ、あのさかずきには、
「なぜ、
また、「なぜ、
「あれは、すぐ
「だれが、
「あなた、この
「なるほどそうだ。」と
そう
しかし、また、それは、どこかに
そのさかずきを、
さかずきは、それでも、
さかずきにとって、
さかずきには、
ただ、ある
そして、
はかない、
それが、さかずきにとって、
この
おりも、おり、
「きっと、お
おじいさんは、にこやかに、
こうして、たがいに