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さまざまな生い立ち(2)
日期:2022-11-03 23:59  点击:247
 このとき、おとうさんは、自分じぶん子供こども時分じぶんのことをいろいろとはなされたのでした。このさびしいはるも、北国きたぐに人々ひとびとには、どんなにか一ねんのうちでたのしいときであるかしれない。そして、ながい、くらい、ふゆからぬけて、はないた野原のはらや、青々あおあおとしたおかることは、どんなにうれしいことであるかしれないといわれたのでした。
子供こどもたちは、おとうさんが、ちいさな時分じぶん、この野原のはらけまわって、あそんだ姿すがたなどをいろいろに想像そうぞうしました。そして、いい記念きねんにと、すずらんのはなってかえったのでした。
あにおとうとは、毎日まいにちにわて、すずらんのくのをたのしみにったのです。ほかのくさは、ぐんぐんとばしておおきくなりました。また、ほかの木立こだちは、いつのまにか、うつくしいはなひらきました。けれど、すずらんだけは、ちからがなかった。そして、ようよういた、しろはなは、なんとなくあわれげな姿すがたで、いいもうすかったのでした。
「どうしたのだろう。あんなにさむいところにえて、毎日まいにちさむかぜかれつづけているのからみれば、こちらは、こんなにゆきもなくあたたかであるのに、どうして、すずらんは、元気げんきがないのだろう?」と、おとうとは、あにかって、たずねた。
あにも、また不思議ふしぎでなりませんでした。なぜならどんな植物しょくぶつ太陽たいようひかりなか生長せいちょうしたから、そして、ひかりめぐまれ、やわらかなあたたかなつちそだてられながら、どうして、生長せいちょうしないかということは、その理由りゆうがわからなかったからでした。
ぼくにもわからない。」と、あにはいいました。
二人ふたりは、このことをおとうさんに、たずねたのであります。
「やはり、こちらへきては、がつかないとみえるな。」と、おとうさんは、さも感心かんしんしたようにいわれたのでした。
「なぜでしょうか、おとうさん、くさや、には、太陽たいようひかりがいちばん大事だいじなんでしょう。きたくにさむくて、毎日まいにちくもっています。かぜや、ゆきがいじめますのに、どうして、あちらにそだって、こちらにくるとれてしまうのでしょう?」と、子供こどもたちは、たずねたのでした。
すると、おとうさんは、
「おまえたちが、不思議ふしぎおもうのは、無理むりのないことです。しかし、すずらんには、さむかぜや、ゆきが、くすりになるのです。ひとり、すずらんばかりでない。すべてさむくにそだくさや、は、太陽たいようひかりなかそだつというよりは、かぜや、ゆきなかそだったのです。それをかわいそうとおもって、あたたかなくにってくればれてしまう。人間にんげんだっておなじようにいわれる。なに不足ふそくなくそだつばかりが、そのひとをりっぱな人間にんげんとするものでない。くるしみと艱難かんなんたたかって、人格じんかくみがかれるのです。そして北国きたぐに植物しょくぶつが、かぜや、ゆきたたかうことをわすれたときにれてしまうように、くるしみとたたかってきたひとが、そのくるしみをわすれたときは、やはり、そのひとは、わってしまうでしょう。また熱帯ねったい植物しょくぶつが、反対はんたいさむくにへくればれてしまうように、ぜいたくにれたひとは、すこしの貧乏びんぼうにもつことができないのとおなじなのです……。」と。
子供こどもたちは、このとき、やがてくであろう、きたあおい、さむい、かぜそらしたで、野原のはらかおっているすずらんのはなをなつかしくおもったのでした。

☆げんぶき――ゆりのぎぼうしの仲間なかまか?
 

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