日语学习网
少年の日の悲哀(1)
日期:2022-11-07 23:50  点击:302

少年の日の悲哀

小川未明


三郎さぶろうはどこからか、一ぴきのかわいらしい小犬こいぬをもらってきました。そして、その小犬こいぬをかわいがっていました。かれはそれにボンというをつけて、ボン、ボンとびました。
ボンは人馴ひとなれたやさしいいぬで、主人しゅじん三郎さぶろうにはもとよりよくなつきましたが、まただれでもひとがあれば、そのひとになついたのです。だから、みんなにかわいがられていました。三郎さぶろうあさはやきてボンをれて、空気くうき新鮮しんせんなうちにそと散歩さんぽするのをたのしみとしていました。また、小川おがわれていって、ボンをみずなかれてあらってやったりして、ボンをよろこばせるのをもたのしみの一つとしているのです。
三郎さぶろうは、ひといぬばかりでないねこもかわいがりました。また、小鳥ことりや、金魚きんぎょなどをもかわいがりました。なんでもちいさな、自分じぶんよりよわ動物どうぶつあいしたのであります。
三郎さぶろうとなりに、おばあさんがんでいました。そのおばあさんは、一ぴきのねこっていました。そのねこは、よく三郎さぶろううちあそびにきました。くると三郎さぶろうは、そのねこいて、かおけたり、あたまをなでたりしてかわいがってやりました。ねこはよくやってきて、三郎さぶろう大事だいじにしておいた金魚きんぎょころしたり、またお勝手かってにあったさかなったりしたことが、たびたびありました。けれど、三郎さぶろうねこをいじめたことがありませんでした。それはねこ性質せいしつだから、しかたがないとおもったのです。
けれど、そのおばあさんは、いじのわるいおばあさんでした。ボンがお勝手かってもとへゆくと、なんにもしないのにみずをかけたり、でぶつまねをしたり、あるときは小石こいしひろってげつけたりしました。そして、けると、ばあさんは勝手かってもとのけて、そとると、
「ほんとうにしかたのないいぬだ。こんなところにふんをして、あんないぬってありゃしない。」
おおきなこえで、さもこちらにこえるようにどなるのであります。
ほんとうにこのおばあさんは、自分じぶんかってなおばあさんでした。自分じぶんうちねこが、近所きんじょうちへいってさかなをくわえてきたのをてもらぬかおをしていました。そんなときは、
「こう、こう、こう、みいや、うちはいっておいで。」
といって、ねこうちなかれて、めてしまいます。
三郎さぶろうは、かわいがっているボンが、ばあさんのために小石こいしげられたりみずあたまからかけられたりしてきますと、今度こんど、ばあさんとこねこがきたら、うんといじめてやろうとおもいました。しかし、ねこがやってきますと、いつも三郎さぶろうがそのねこをかわいがっているものですから、すこしもおそれず、すぐに三郎さぶろうのそばに、なきながらすりよってくるのでした。これをると、もう三郎さぶろうは、そのねこをいじめるというようなかんがえがまったくなくなってしまいました。そして、ねこあたまをなでて、いつものごとくかわいがってやったのであります。

分享到:

顶部
05/09 02:57
51La