真吉とお母さん
小川未明
真吉は、よくお母さんのいいつけを守りました。お母さんは、かわいい真吉を、はやくりっぱな人間にしたいと思っていました。そして、平常、真吉に向かって、
「人は、なによりも正直でなければなりません。また、よわいものを、いじめてはいけません。正しいと思ったら、相手がいかに強くても、恐れずに、信じたことをいわなければなりません。昔の偉い人は、みんなそうした人たちでありました。また、小さな日本の国が、大きな国と戦って、勝つことができたのは、日本人にこの精神があったからです。貧乏をしてもけっして曲がった考えを持ってはならないし、困っているものがあったら、自分の二つあるものは、一つ分けてやるようにしなければなりません。」と、日ごろから、よくいいきかされたのでありました。
真吉は、外にいても、内にいても、よくお母さんの手助けをしましたが、お父さんがなかったので、奉公に出なければならなくなりました。それも、遠い東京へゆくことになりました。東京には、まだ顔を知らない叔父さんが住んでいられて、いい奉公口をさがしてくだされたからです。
なつかしい川、森、野原、そして、仲のいいお友だちや、かわいいペスに、白のいる村から、そればかりか、やさしいお母さんと別れなければならぬのは、どんなに真吉には悲しいことであったでしょう。
「僕、お母さんといっしょなら、どんなさびしいところでもゆくのだがなあ、そして、ちっとも、さびしいことはないんだがなあ。」と思って、涙にくれました。
お母さんは、お母さんで、まだ年のいかない、だいじな、かわいい子を手もとからはなすのは身を裂かれるような苦しみでありました。
「夜中に、夜具からはみだしても、いままでのように、だれがかけてくれるだろう。かぜをひかなければいいが、なにから、なにまで、私が世話をしてやったのが、もう旅に出れば、めんどうを見てくれるものもないだろう。」と、お母さんは、ひとりで考えて、涙をふいていました。
しかし、一家の都合では、どうすることもできません。いよいよ真吉の出発の日がやってきました。お母さんは、泣き顔を見せてはいけないと思って、
「さあ、元気よくいっておいで。道中気をつけて、あちらについたら、この赤いふろしきを持って改札口を出ると、叔父さんが、迎えに出ていてくださるから、お母さんの、日ごろいったことをよく守って、偉い人になっておくれ。こちらのことは、けっして、心配しなくていいのですから。」と、おっしゃいました。
真吉は、日本男子というものは、泣くものでないと、学校の先生からきいていたので我慢をして、
「いってまいります。」と、頭をさげて、家を出ました。そして、後をふりかえり、ふりかえり、二里の道を歩いて、町へ出て、そこから汽車に乗ったのでありました。
はじめて、遠方へゆく、汽車に乗ったので心細かったのです。窓ぎわに小さくなって、自分の村の方を見ていると、武ちゃんや、哲ちゃんが往来で遊んでいる姿が見えます。ペスが尾をふって、どうして今日は、真ちゃんはいないのかなと不思議に思っている顔がありありと浮かんできます。
真吉は、たまらなくなって、しくしくとそでに顔をあてて泣いたのでした。そのうちに汽車は動き出しました。だんだん走ると、いつか、見覚えのある山までが、ついに見えなくなってしまいました。
「いまごろ、お母さんは、どうしていられるだろう。」と思うと、仕事をなさっているお母さんの姿が、泣いている目の中にうつって見えたのでした。
しかし、それから、一時間もたつと、真吉は、泣いてはいませんでした。はじめて顔を見る叔父さんのことを考えたり、はやく、自分が大きくなって、お母さんの力になってあげたいと考えていました。
汽車に乗ってから、九時間めに東京へ着きました。叔父さんが迎えに出ていてくださいました。
「よく、一人でこられたな。感心じゃ。」といって、我が子のように、頭をなでてくださいました。
その、あくる日から、二、三日というもの、叔父さんは、いそがしい体を真吉をつれて、にぎやかな東京を見物さしてくださいました。真吉は、ほんとうにやさしい、いい叔父さんだと思いました。
いよいよ叔父さんの、世話してくだされたお店へゆくときに叔父さんは、
「よく、ご主人のいいつけを守って、辛棒するのだよ。そして、平常は、出られないが、お正月にでもなったら、ゆっくり遊びにおいでよ。」と、おっしゃいました。
お店の主人は、たいそう厳格な人でした。
「ゆるしなく、かってに出歩いたり、また泊まってきたようなものは、さっそく店を出ていってもらう。」という規則がありました。
真吉は、ここにきてからは、よく主人のいいつけを守って働きました。また、自分のお友だちとも仲よくいたしましたから、みんなから愛されたのです。この分なら、自分でもつとまりそうに思いましたが、夜ねるにつけ、朝目をさますにつけ、思い出されるものは、お母さんの顔でありました。
「いまごろ、お母さんは、どうなさっているだろう。」
こう思うと、お母さんのことが思われて、なりません。夜になってから、お母さんにあてて手紙をかいて出しました。三、四日すると、お母さんから、返事がまいりました。あけてみると、
「お母さんは達者でいますから、心配しなくていい。おまえはからだをだいじに、よくおつとめなさい。」と、書いてありました。
真吉は、お母さんからきた手紙だと思うと、なつかしくてだいじにしまっておきました。また、十日ばかりたつと、お母さんが恋しくなりました。ついに我慢がしきれなくなって、手紙を書いて出しました。こんどは、待っても、お母さんから、返事がまいりませんでした。
一月、二月とたつにつれて、ますますお母さんや、田舎のことが思い出されてなりません。
「それにしても、どうしてお母さんから手紙がこないのだろう。病気で、ねておいでなさるのではないかしらん。」
こう思うと、母親思いの真吉はたまらなくなりました。
そのうちに、お正月がきて、一日おひまが出ました。泊まりにいく、親戚のあるものは、泊まってきてもいいというのでした。
真吉は、久しぶりで、叔父さんの家へいこうと出かけたのであります。ふと、あちらの停車場を発してゆく、汽車の笛の音をききました。
「そうだ、一日あれば、田舎へ帰ってくることができる。お母さんのところへいこう。」
こう考えると、もらったお小使いがふところにあったのですぐさま、停車場へかけつけました。ちょうど、北へゆく汽車があって、それにのりました。
汽車の中は、スキーにゆく人たちで、にぎやかでした。真吉は、これを見て、
「雪がふると、お母さんは、町へ出るのに、どんなに不自由をなさるかしれない。それだのに、この人たちは、遊びができるといってよろこんでいる。」
こう思うと、その人たちがにくらしかったのでした。いつしか、その人たちも、途中で降りてしまいました。いつまでも乗っているのは、真吉のほかに三、四人で、さびしくなりました。そして、雪が、だんだん深くなりました。
けれど、晩には、お母さんのお顔が見られるのだと思うと真吉の心は、うれしくて飛び立つばかりでした。
やっと、半年ばかり前に、そこから汽車に乗って立った、町の停車場へ着くと、もうまったく暗くなっていました。そして雪が積もる上に、まだ降っていました。
真吉は、お母さんの知り合いの呉服店を思い出しました。そこで堤燈を借りてゆこうと立ち寄りました。ふいに、真吉が帰ってきたので、呉服店のおかみさんは、おどろいて、
「まあ、どうして帰っていらしたか。」と、たずねました。
真吉は、お母さんのことを心配して、見に帰ったと話すと、
「なんの、お母さんは、お達者でいらっしゃいますよ。昨日おいでになって、東京へいっている息子の春着を造ってやるのだと、反物を買ってお帰りになりました。」と、おかみさんは、告げました。
真吉は、これをきくと、安心して、いままで、張りつめた気持ちがなくなりました。そして、お母さんの、真心からの教えが、
「お母さんのことは、心配しなくていいから、よくおつとめなさい。」と、おっしゃったことが、頭の中にはっきりと浮かんできました。
たとえ、これから家へ帰れても、この雪では、明日の中に東京へ帰ることはむずかしい。そうしたらご主人が心配なされるだろう。お母さんの達者のことがわかったうえは、いまからすぐに夜行に乗って、東京へゆくことにしようと、真吉は、思いました。そして、呉服店のおかみさんが、しんせつに、泊まっていったらというのをきかずに、停車場へ引き返して、出立したのでした。
翌日、真吉は、東京へ着くと、すぐにお店に帰って、昨日からのことを正直に主人に話しますと、主人は、真吉の孝心の深いのに感歎しましたが、感情に委せて、考えなしのことをしてはならぬと、この後のことを戒めました。
真吉は、大きくなってから、りっぱな商人になりました。そして、お母さんによく孝行をつくしたということであります。
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