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深山の秋(2)
日期:2022-11-14 00:04  点击:301
 茶屋ちゃや主人しゅじんは、家族かぞくのものをみんなやまからろしてしまって、自分じぶんだけがのこり、あとかたづけをしてからやまをおりようとしていました。ゆきえて、また来年らいねんともなって、木々きぎのこずえにあたらしいみどりきざし、小鳥ことりのさえずるころにならなければ、ここへがってくる用事ようじもなかったのでした。かれは、つかのこりのしょうゆや、みそや、さけや、お菓子かしなどの始末しまつもつけなければならぬとおもっていました。
「また、きょうもひとかおなかったな。」
そのとき、障子しょうじやぶからんだかぜは、きゅうさむくなってるのをおぼえたのでした。
「どこか、ちかくのやまゆきがやってきたな。」と、主人しゅじんは、おもいました。そして、明日あすあさにでも、そとて、あちらのやまたら、しろくなっているであろうと、そのやま姿すがた想像そうぞうしたのでした。おとひとつしない、寂然せきぜんとしたへやのうちにすわっていると、ブ、ブーッという障子しょうじやぶれをらすかぜおとだけが、きこえていました。
去年きょねんも、この月半つきなかばにやまりたのだが、今年ことしは、いつもよりふゆはやいらしい。」と、主人しゅじんは、って、まど障子しょうじけて、裏山うらやまほうをながめました。
夕日ゆうひは、もうしずんでしまって、おそろしい灰色はいいろくもが、みねいただきからのぞいていました。このとき、キイー、キイーとさるのなきごえがしたので、かれは、ゆきって、山奥やまおくからさるがてきたのをりました。そして、まだ鉄砲てっぽう手入ていれをしておかなかったのを、迂濶うかつであったとづいたのです。その翌日よくじつひるすぎごろのこと、ぐちへなにかきたけはいがしたので、ると怪物かいぶつかおしていました。主人しゅじんは、びっくりして、こえてられずにしりもちをつきました。なぜなら、意外いがいにもおおきなくまだったからです。
かれは、もういのちがないものとおもい、からだじゅうのこおってしまいました。
「どうぞ、おたすけください。」と、こころなかで、ひたすらかみねんじたのでした。
けれど、くまは、すぐにびかかってはこなかった。かえって、なにかうったえるようなつきをして、にはかきのとまたたびのつるをにぎっていました。そして、いよいよくまが、かれ危害きがいくわえるためにやってきたのではないことがわかると、
いのちさえたすけてくれたら、なんでもきいてやるが。」と、おそるおそるかおげて、かれは、くまのすることをたのでありました。くまは、さも同意どういもとめるように、ただちに、さかだるのまえにきて、じっとそれに見入みいっていたのです。
「ははあ、さけがほしくて、やってきたのか。」と、主人しゅじんさとりました。
「もし、おれが、さけをやらなければ、くまは、きっとおこって、おれをかみころすにちがいない。どのみちてきだ! いっそたくさんさけませて、いつぶしてから、やっつけてしまおうか?」
主人しゅじんあたまなかには、この瞬間しゅんかん、すさまじい速力そくりょくで、さまざまなかんがえが回転かいてんしました。
「ばかな、このおおきなくまにおも存分ぞんぶんさけませるなんて、そんなさけがどこにあるか。かみさまは、この瀬戸際せとぎわで、おれが、どれほどの智恵者ちえしゃであるか、おためしなされたのだ。まず、このたかさけをやらぬ工夫くふうをしなければならぬ。」
かれは、もうすっかり打算的ださんてきになっていました。たなのうえから徳利とくりろして、おくってはいると、やがてもどってきてたるのさけをうつすようすをして、徳利とくりってみせました。さけが、チョロ、チョロとおとをたててりました。くまは、しんずるもののように、おとなしくしていましたが、やがてってきた、かきとまたたびをそこへてると、徳利とくりかかえるようにして、まるまるふとったからだで、まえ山道やまみちあとをもずに、けてりました。
長年ながねんやまんでいて、獣物けものにもなさけがあり、また礼儀れいぎのあることをいていた主人しゅじんは、くまが、さけいにきたのだということだけはわかったのです。
「なにか、やまなかで、獣物けものたちのもよおしでもあるのかもしれない。」と、おもいました。
それよりか、自分じぶんが、そんをせずに、うまく危険きけんからのがれたことをよろこんだのでありました。
ながやまにいると、ろくなことはない。はやむらりよう。」と、主人しゅじんは、かんがえました。
このやま獣物けものたちは、いざるの指揮しきしたがって、行列ぎょうれつととのえて、みねからみねへとってあるきました。先頭せんとうには、かわいらしいうさぎが、つぎにおおかみが、そして、徳利とくりったくまが、きつねが、りすが、という順序じゅんじょに、ちょうど、さるが、いわうえた、天上てんじょう行列ぎょうれつそのままであったのです。ことに人間にんげんが、足跡あしあとってから、まったく清浄せいじょうとなった山中さんちゅうで、かれらは、あわただしくれていく、うつくしいあきこころからしむごとく、一にちたのしくあそんだのでありました。やがて、かれらのれつがあるたか広場ひろばたっしたときに、かつて天上てんじょう神々かみがみたちよりほかにはられていなかった芸当げいとうをして、きょうじたことでありましょう。
そのころ、とうげ茶屋ちゃや主人しゅじんは、そそくさとやまりる仕度したくをしていました。さかだるのうえには、くまがいていった、かきや、またたびまでせてありました。むらかえってからの、自慢話じまんばなしにするのでしょう。そして、もう来年らいねんなつきゃくがあるまでは、この小舎こやにもようがないといわぬばかりに、めきったの一つ一つに、ガン、ガンとくぎをちつけていました。かれは、金鎚かなづちをふりげながら、
みずってれてやったが、獣物けものたちは、さけあじがわかるまいから、たぶん人間にんげんは、こんなものをんでいるとおもうことであろう。それともさけでないとさとるだろうか?」
やましずかであり、木々きぎ紅葉こうようはこのうえもなくうつくしかったが、ひとかれはなにかこころにおちつかないものをかんじたのでした。とうげりかけると、ざわざわといって、そばのたけやぶがったので、くまが、復讐ふくしゅうにやってきたかとあしがすくんでしまった。しかし、それは、西風にしかぜであって、たかみねすべった夕日ゆうひは、ゆきをはらんで黒雲くろくものうずなかちかかっていたのです。
 

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