僧
小川未明
何処からともなく一人の僧侶が、この村に入って来た。色の褪せた茶色の衣を着て、草鞋を穿いていた。小さな磐を鳴らして、片手に黒塗の椀を持て、戸毎、戸毎に立って、経を唱え托鉢をして歩いた。
その僧は、物穏かな五十余りの年格好であった。静かな調子で経を唱える。伏目になって経を唱えている間も、何事をか深く考えている様子であった。眉毛は、白く長く延びていた。頭にはもはや、幾たびか、雨に当り、風に晒されて色づいた笠を被っている。短かい秋の日でも落付いて、戸毎、戸毎に立って家の者が挨拶をするまでは去らなかった。羽子の衰えた蜻蛉は、赤く色づいた柿の葉に止っては立ち上り、また下りて来て止っている。磐の音は穏かに、風のない静かな昼に響いた。眤と僧は立止って、お経を唱えている。
この僧を見た人は、「またお坊さんが村へお出なさった。」といった。家の中からは、「お通り。」という声がする時もあった。その時には、僧は静かにその家の前を立去った。また或時は「出ない。」と、子供の声で怒鳴る時もあった。その時にも僧は静かにその家の前を立去った。また或時は、若者の声で「通れ。」と叱り付けるように言う時もあった。その時にも僧は、やはり穏かにその家の前を立去った。一軒の家を立去ればその隣の家へと行って、同じ穏かな調子で経文を唱えた。磐の音はゆるやかに響いた。何事をか考え、何事をか、その家に祈っているように、白い長い眉は、瞑黙した眼の上に見られた。圃には、赤く枯れたかぼちゃの蔓や、枯れ残った草の葉に、薄い、秋の日が照る時もあった。
一時、この村には、隔った町から移って来た人などもあって、其等の人々の中には、病身勝な者や、気の狂っている者もあった。秋も末になると寒い風が吹く。村の木立は、何れも西北の風に、葉が振い落ちて、村の中が何となく淋れて来た。藁屋の、今迄、圃の繁りや、木の枝に隠れて見えなかったのが、急に圃も、森も、裸となって、灰色の家根が現われ、その家の前で物を乾したり、働いている人の姿などが見えた。
弱い日の光りが、雲に浸んで、其等の景色をほんのりと明るく見せていたかと思うと、急に風が変って、雨が降って来る。晩方にかけては、空は暗くなって、霰や、霙なども混って降って来た。圃の畦には白く溜って、枯れた草の上も白くなった。風は、益々加わって、家々は、早く戸を閉めてしまう。この時、僧は何処へ去るであろうかと思わしめた。
明る日は、外は白くなっていた。空は不安に、雲が乱れていて、もはや雪の来る始めの日であることが分った。昼時分、やはり何処からともなく僧は村に入って来た。或長屋の角に立って、磐を鳴らして、霙混りの泥途の中に立って、やはり眼を閉って経を唱えていた。
家の中から、女房の声がして、
「さあ、上ますぜね。」といって、つづいてぱらぱらと穴銭の、黒い托鉢の中に落ちる音がした。やがて、女房の姿は、家の中に隠れてしまう。外は、寒い、荒風が吹いて、西北の方から黒雲が押し寄せて来た。僧は、落付いて、何時までも立って、経を唱えていたが、やがてその家の前を去ったのである。
斯様風に、この僧は、毎日、毎日、村を歩き廻った。十日も続いたかと思うと、何時しか何処にか去って村へ来なくなった。村の人は何時からこの僧が来なくなったかを知る者がない。多分、他を廻っていて、この村へは来ないのだろうと思った。それから、一年経って来る時もあった。また二三年経って来る時もあった。
誰も、この僧の年を取ったのを見分るものがなかった。何時、見る時も、曾て、この村に来た時と同じい年頃に見受けた。そればかりでなく、身形も余り変っていると思った者がない。或時は、秋から冬にかけて、僧はこの村に入って来た。或時は、春の初めに入って来た。その来る時は定っていなかった。
然るに、或年のこと村に斯様噂が立った。
「あの僧侶は年を取らない。あの坊さんが来ると、きっとこの村で一人ずつ死ぬ。誰か死ぬ時に、あの坊さんが来る。」……
誰も、この噂を信じたものがなかった。
春の初め、何処からともなくこの僧が村に入って来た。その時、再びこの噂が持上った。この噂からして、村の或者は、来るたびに僧に銭をやったものがある。或者は、僧が来ると戸を閉めて留守を装っていた。十日許すると僧は、何処にかこの村を去ってしまった。
村の者は言い合った。
「坊さんは来なくなった。昨日も来なかった。一昨日も来なかった。」
「ちょうど今日で五日来ない。」
この時分から、始めて僧の来たり、去ったりするのが村人の注意に上った。
僧が去ってから、十日経たぬうちに村に事件が起った。村端に住んでいた年若い男の狂人と母親の二人が同時に死んだことだ。この二人はその筋から僅かばかりの給助を得て日を送って来た。村の人々もこの母親を憫んで物品を恵んだ。昔は、武士で殿様から碌を貰っていたが、後になって公債の金で細く暮している内、狂人の父親は死に、息子は十五の時発狂して今日迄その儘となっている。何時しか公債は費い果してしまった。母親の親戚は町にあるというが、来て顧みてくれる者もなかった。気狂は、時々、檻を破って外に逃げ出した。頭髪は垢染て肌色の分らぬ程黒くなった顔に垂れ下って、肩の破れた衣物を着て、縄の帯を占めて裸跣で、口の中で何をか囁きながら、何処ともなく歩き廻り、外に遊んでいる子供を驚かした。
雪のまだ降らない、秋の末の日であった。子供等の群は、寺の墓場に近い、大きな胡桃の木の下で遊んでいた。十五六を頭に八九歳を下に鬼事をやっていると、彼方から、
「オイ、英語を知っているか、己が教えてやる。」と叫きながら、とぼとぼと来かかったものがあった。見ると、長い頭髪は肩に垂れて、手に細い杖を鳴しながら、鋭い眼を見廻して来るのは、村で知らぬ者がない狂人であった。これ迄、幾度となく刃物を持出したということ、自分の母に斬り付けようとして、母が、戸の外に逃出したことを見たり、聞いたりして知っている子供等は声を上げて我れ先にと逃げ出した。中には後れて泣き叫んだものがあった。
この事が村に広った時、四五人の者は、母を憐れんで、この狂人の捜索に出た。その夜、寺の林で取り押えて再び檻を修繕して裡に入れたという。