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僧(3)
日期:2022-11-18 08:47  点击:226

 村人が、男を引上(ひきあげ)に行った時、草の繁っている蔭に、手足を縮めて、丸くなって、溺れている男を見た。顔は青白く、短かい髭が顎に生えている。生きている時と、色艶の悪いのには格別の変りがなかった。

それからというもの、この僧の来るたび毎に必ず村に人の死ぬことにきまっていた。
月日は水の流るる如く過ぎた。それも今では昔の話となった。この村にも幾たびか変遷があった。或年の大水に田畑が荒らされてから村を出て他に移った者が多い。或は、町へ出、或は他の村へ行った。
今は僅かに三軒の家がこの村に残っているばかりである。この村は、小さな村で一方は河に(さえぎ)られ、往還から遠く隔っていて、暗い、淋しい、陰気な村である。古い大きな杉は村の周囲に繁っている。少し明るくなっている圃には、桑が一面に黒い、大きな(たなごころ)のような葉を日に輝かしている。
三軒の家は、二軒は並んでこの桑圃の中に立っていた。一軒は暗い森の中に建っていた。二軒の家には貧しい人が住んでいる。他の者が町へ出たり、他へ移ってしまったのに、自分等はその力がないといって、まだこの村に(とど)まっているのだ。森の中の家は、昔から、この村での財産家であった。家は古く、大きく、屋敷には幾百年も経った古木が繁っている。この()の人は如何なることがあっても、その屋敷から移るようなことがなかった。
窓の余り沢山付いていない大きな家の内は湿気に満ちていた。日の光りを透さずに、枝と枝とが(まじ)えて、空を塞いでいる。白い幹が赤い幹と交って突立(つったっ)ているのが目に入った。この家に出入する者は、或は、大きな蛇が、枝に絡み付いて、雀を(ねら)っているのを見たといった。また、この森の奥にある家へ入って行くまでには、森の下を歩いて種々(いろいろ)見慣(みなれ)ぬ虫を見たといった。家に入って、この家の人に話をする時は、この家の人の顔が青白く見えて気味が悪いと言った。またこの家には、代々病人が絶えたことがないと言った。
この家には、三十二になってまだ嫁にやらずにいる娘がある。娘は子供の時分から、この暗い家から外に出されずにしまった。ただ森に当る風の音を聞いたばかり、音なく降る雨を見たばかり。雲が切れて、青い空が僅かに森を透して見えることがあった。夕暮になると何処からともなく鳥がこの森に集って来て啼いた。その啼声を聞いたばかり。娘は自分の家に使っている黄銅の湯沸(ゆわかし)や、青い錆の出た昔の鏡や、その他、(すべ)て古くから伝わっていた器物以外に眼を(たのし)ましたような、鮮かな緑、活々(いきいき)とした紅、冴え冴えしい青、その他美しい色のついた品物を持って見なかった。
金があるというばかりで、家の内は陰気であった。(ふるく)からあった一(ちょう)の三味線は、娘の子供の時分までは、よく母親の弾いた音を聞いたが、或年の梅雨の頃、その三味線の胴皮が、ぼこぼこに(たる)んで音が出なくなってから何処へか隠されてしまった。勿論(もちろん)、張り換るような処がこの近傍になかったからでもあろう。それからというものは、家の内は常に寂然(ひっそり)としていて笑い声すら洩れなかった。(もっと)もその三味線を弾く時、母親の歌った声は、まだ娘の耳に残っている。その歌は、その頃、よく分らなかったから覚えている筈がない。ただ歌の調子が、いかにも哀れっぽい、(うら)めしい、陰気な、形容が出来ないが、調子は忘れ難い印象をとどめている。何んでも母が、まだ若くて頭髪(かみ)も黒く、(つやや)かで、白い顔を少し横に向けて、三味線を抱えて庭の方を見ながら歌った。青い木の葉が、ぼんやりと夕暮の空気の中に浮き出ていた。
娘は、まだ十八九の頃は、物思いに沈んだことが多かった。その頃は、赤い色を懐かしく思った。また折々子供の時分に聞いた三味線の調子を思い出して、耳に、(ふる)い付くその怨めしいような歌の声を考えた。
「何処へ、あの三味線は行ったろう。」と探して見た。けれど遂に見付けられなかった。
その頃は、晩方(ばんがた)、森に来て啼く鳥の声を聞き、青い空を見、月の光りを見ると、海を見たいと思ったこともあった。また或時は誰人(たれびと)かに待たれるような心地がした。
今は、身に白と黒の色があるばかりで、赤も青も、紫もない。もはや昔のように黒い家の窓から外を覗いて、虚空に細かな縞を織るように風に動いている森を見て空想(おもい)(ふけ)るようなことがない。心は冷たい石となってしまったかと思われる程、身形(みなり)に構わなくなった。色の青白い顔に根の弛んだ髪は解けて肩のあたりまで散りかかっている。身には女らしい赤や、紫の色は()いていなかった。女は()れに窓から顔を出して夕空を覗うことがあるけれど、それがために何物をか恋い、憧がれてほっと顔を赤くするようなことがない。ただ(ひやや)かに笑った。その笑いは世を嘲笑(あざわら)い、人を嘲笑うのでないかと思われるような冷たな、白々しい笑いであった。
娘の母は、もはや白髪の老婆となっている。この老母は、出入する者に言った。
「娘は病気だから、そう大きな声を出したり、笑っておくれでない。」と、して見るとこの女は病気であるのかも知れなかった。
黒く空に(そび)えた森は、この家を隠している。さながら、この家を守っているように見えた。稀にしかこの家へ出入するものがなかった。森に居る小鳥の他()うして家の内の其等(それら)の人はいるかを知らなかった。

二軒並んでいる一軒は、平常(へいぜい)戸を閉めて女房(かみさん)は畑に出ていない。夫というのは旅商人で、海岸を歩いて隣の国の方まで旅をして多くは家にいなかった。山の多い国を旅する者は、海に(つい)て行かねばならなかった。海に臨んだ処には村がある、町がある。其等の潮風の吹く町や、村に入って、魚の(におい)、磯の香を嗅いで商いする。町には白い旗が、青い海を背景に翻っているものもあった。裸体(はだか)赤銅(あかがね)色に焼けた男や女を相手にして、次の村から村へ、町から町へと歩き、いつしか国境を越えて隣の国へ入った。其様風で夫の留守の間、女房は畑に出て野菜を耕やしている。この小さな、軒の傾いた家の前を通った者は、いつもこの家の戸が閉っていたのを見た。別に訪ねて来る人もない。夏の盛りに、真黄(まっき)に咲いた日廻草(ひまわりそう)は、脊高く延びて、朝日が、まだ東の空をほんのりと染めた間際(まぎわ)に東を向いて開いたかと思うと、日が漸々(ずんずん)上って、南へ南へと廻る時分には、この大きな黄色の花輪は、中の太い(しべ)を見せて、日を追い始める。日輪が正午に近づいた頃には、花は緑色の葉を日光に輝かして、さながら汗ばんだように銀色の光を反射して、ぐんなりと頭を日に向って垂れている。(とうとう)たる日輪はたるんでいる大空を(ゆれ)つつ動いた。長い真昼の間、花の咲いている家は戸が閉っていた。やがて日輪が桑畑に傾いて地平線が血のように紅く色づき黒く聳えている森に赤色の光線が映ずる頃になると日廻草の一部は蔭って、花は(なお)執念(しゅうね)く奈落に落ちた日を見ようと、地を向いて突立っていた。
北国(ほっこく)の夏の空は、暮るると間もなく濃紺に澄み渡る。星は千年も二千年も前に輝いた光と同じく、今宵(こよい)始めて、この世を照すように新しく、鮮やかに、湿(しめっ)ぽい光は草の葉の上や、藁家(わらや)の上に流れた。


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11/16 05:59