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高い木と子供の話(1)
日期:2022-11-18 23:59  点击:250

高い木と子供の話

小川未明


善吉ぜんきちは、ほかの子供こどものように、学校がっこうからいえかえっても、すぐにかばんをほうりして、そとへいって、ともだちと自由じゆうびまわってあそぶことはできませんでした。仕事しごとのてつだいをさせられるか、おとうと脊中せなかにおぶって、りをさせられたからであります。かれおなとしごろの子供こどもたちが、土手どてへはいがったり、ちゃかげにかくれたり、みぞをおもしろそうにすのなどを、そばでぼんやりとながめながら、
「おれも、あんなようにしてあそびたいものだな。」と、こころのうちでおもっていました。
かれは、どうかして、学校がっこうからかえったら、うまく、したいものだとかんがえていました。しかし、うちのものにづかれずに、そとへいってみんなといっしょにあそぶことができたにしても、それは、ほんのすこしのあいだであって、すぐに、うちびもどされたのです。
「そう、おやのいうことをかぬようでは、どこかへやってしまうぞ。」
「だれが、ゆくものか。」
「いいや、やってしまう。おまえみたいな、いうことをきかぬは、ほんとうは、うちのではないのだ。」
「そんなら、どこのだい。」
「どこのだからないが、ちいさなときに、かわいそうだとおもってひろってきてそだてたのだ。」
母親ははおやは、むきになってしかりました。善吉ぜんきちはしまいにかなしくなって、しくしくとしました。そして、ちいさなむねうちで、
「ほんとうに、おれは、ここのうちまれたのでなくて、ひろわれてきたのだろうか。」と、かなしかったのであります。
そのときは、母親ははおやのいうことをいて、手助てだすけをしましたが、すぐにほかの子供こどもたちのたのしそうなごえや、わらごえをききますと、ひろい、自由じゆう世界せかいこいしくなりました。
あるとき、みんなで木登きのぼりをしたときに、善吉ぜんきちはだれよりも上手じょうずでありました。相撲すもうをとったり、はしりっこをしたのでは、いつでもいちばんに上手じょうずだといわれなかったけれど、木登きのぼりにかけては、自分じぶんは、だれにもけないという自信じしんができました。
ほかのものが、おそろしがって、ひくいところで、えだにつかまって、それからうえのぼないのをると、自分じぶんは、ぐんぐんうえへ、うえへとのぼっても、けっして、おそろしくないばかりか、ますます気持きもちがはればれしくなるのをると、なんともいえず、愉快ゆかいでたまりません。
「おうい、ここまでのぼってくると、うみえるぞ!」と、善吉ぜんきちは、たかいすぎのの、いちばんさきほそくなっているあたりまでのぼって、したちいさくなってみえるともだちにかっていいました。
ぜんちゃん、ほんとうかい。ほんとうに、うみえるかい。」
「うそをいうものか。あっちには、まちえる……。いい景色けしきだなあ。」と、善吉ぜんきちは、いただきのぼっていいました。
した子供こどもたちは、うらやましがって、うえあおいでくちけています。中途ちゅうとまで、のぼったものも、いつかおもいあきらめて、りてしまいました。
ぜんちゃん、おっこちたら、んでしまうよ。」と、自分じぶんはできなかったので、しみに、善吉ぜんきちはやりるように、そんなことをいっていました。
すると、善吉ぜんきちは、だれもできないことを、ひとりしているので、ますます得意とくいになって、
うみが、よくえるな。あ、汽車きしゃとおっている。ほらもりかくれた。あ、えた。あすこが停車場ていしゃばか。」と、いちいちいって、したのものをうらやましがらしていました。
はやく、ぜんちゃんりておいで、おにごっこをしようや。」
こうしたからぶと、善吉ぜんきちは、ゆうゆうとうえからりてきました。そして、自分じぶんひとりだけしからない、たかうえ景色けしきをいろいろに物語ものがたったのです。
ぜんや、善吉ぜんきちや。」
あちらで、母親ははおやこえがしました。すると、善吉ぜんきちの、いままでかがやいていたかおが、たちまちくもりました。
「おら、うちへかえって、子守こもりしなければ、しかられるから、おにごっこをよしておこう……。」
こういって、名残なごりしそうにかえってゆきました。

 


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06/22 00:32