最後に、
彼は、この
石の
上に
下りて、
水を
飲み、
岸に
立っているかえでの
木と、それにからんだむべの
木とを
見上げたのであります。
急流が、二
本の
木の
根を
洗っていました。そして、もし
大雨が
降って、
出水をしたら、
彼らは、
根こそぎに、さらわれてしまう
運命にありました。しかし、二
本の
木はしっかりと、たがいに
根を
張って
助け
合っていました。しじゅうからは、このようすを
見ると、
深く
同情をしたのであります。
「一つ、つぼみがつきましたね。」と、しじゅうからはやさしい
調子で、むべに
向かって
声をかけました。
これを
聞いて、かえでの
木は、
我がことのように
喜んで、
「
今年はじめて
咲くのですよ。きっと、ふじの
花よりも
美しいし、また、ばらの
花よりも
美しいと
思っています。」といいました。
「たしかにきれいです。そして、
大きないい
実を
結んでください。」と、しじゅうからは、
答えました。
今度は、むべが、
友だちについて、
語りました。
「かえでさんのこの
若芽は、すてきではありませんか。これが
伸びたら、きっと
枝ぶりがよくなって、このあたりで一
番の
木になると、あなたは、お
思いになりませんか。」といいました。
「たしかに、りっぱな
枝ぶりになります。もし、わるい
虫がついていたら、
私が、
取ってあげますよ。」と、しじゅうからが、かえでの
木にいいました。
「よくごしんせつにいってくださいました。だが
私たちは、
冬の
間雪と
風にさらされていました。しかもここはいちばん
吹雪のはげしいところでした。お
蔭で
虫の
卵は、みんな
死んでしまいました。」と、かえでの
木は、
答えたが、その
言葉には、
元気がみちみちていました。むべはまたしなやかなつるを
延ばして、あたかも
大空の
太陽をつかもうとするように、きらきらと
輝いていました。
この
日は、
遠くでやまばとが
鳴き、
近くの
村では、かっこうとうぐいすが
鳴いていました。
そのときから、
三月の
日数がたったのであります。しじゅうからは、むべとかえでのことを
思い
出して、
飛んできたのでした。すでに
谷川の
水の
飛沫のかかるこずえは
紅葉をして
夏はいきかけていました。
とちのきも、しらかばの
木も、
黙々として、やがてやってくる
凋落の
季節を
考えているごとくでありました。あたりの
谷にこだまして、
夕暮れを
告げるひぐらしの
声が、しきりにしています。
「あれから、きれいな
花が
咲きましたか。そして、りっぱな
実がなりましたか?」と、しじゅうからは、むべに
声をかけました。むべの
木は、
頭を
振って、
「
花は、あの
後、じきに、
情無しの
風にもぎとられてしまいました。」と、
答えました。そして、むべのつるが、しっかりと
枯れた
小枝を
握っているのを
見て、しじゅうからは、
「それは、なんですか?」と、たずねたのでした。
「これは、あのときのみごとなかえでの
若芽です。ある
日、
大きな、かみきりむしが
飛んできてぷつりと
切ってしまいました。
私は、かわいそうな
小枝が、
下の
流れに
落ちてしまわないうちに、
急いで
捕らえたのでした。いや、あのかわいらしい
小枝が、
私の
手にすがったのでした。どうして、これが
放せましょう?」
しじゅうからは、みんなが
希望に
燃えたっていた、
過ぎ
去った
春がいまさらのごとく
惜しまれたのでした。
彼は、
谷風に、むべのつるが、
空しく
枯れ
枝を
握ったまま
夕空になびいている
姿をながめながら、どうか、このつぎの
春までに、むべも、かえでも、もっと
太く、
強くなるようにといって、どこへとなく
飛んでいきました。
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