駄馬と百姓
小川未明
甲の百姓は、一ぴきの馬を持っていました。この馬は脊が低く、足が太くて、まことに見たところは醜い馬でありましたが、よく主人のいうことを聞いて、その手助けもやりますし、どんな重い荷物をつけた車でも引き、また、あるときは脊の上に荷物を積んで歩いたのであります。
他の馬は、よく主人の意にさからったということを聞きますけれど、この馬にかぎって、けっして、そんなことはなく、汗を流してよく働きました。それがために、甲の百姓は、どれだけ利益を得ていたかわかりません。
「さあ、もうすこしだ。我慢をして歩けよ。」と、主人は疲れた馬に向かっていいました。
馬は、うなだれて、黙って重い車を引いていました。また、あるときは、主人は、
「さあ、もう一つ先の茶屋までいったら休ませてやるぞ。そして、おまえにも餌を食べさせてやる。」といいました。
馬は、その言葉に力を得て、いっしょうけんめいで車を引いてゆきました。そして、やがてその茶屋に着きますと、百姓は、茶屋の中へ入って休みました。自分は茶を飲んだり、お菓子を食べたりしましたけれど、外に疲れて、汗を流して立っている馬にはかまいませんでした。
百姓は、自分の疲れがなおると、また馬の手綱をとって引いてゆきました。彼は、先刻馬に向かって約束をしたことなど、すっかり忘れていたのです。
馬は、心の中で、どう思ったかしらないけれど、主人のいうがままにおとなしく働いていました。
「こんな醜い馬だけれど、こうして、よく働いているから、まあ飼っておくのだ。」と、甲の百姓は、自分にもそう思い、また、人に向かっても、そう語りました。
馬は、なんといわれても、下を向いて黙っていました。ある日のこと、甲は、その馬にたくさんの荷物を積んだ重い車を引かして町へゆきました。途中その馬を見た人々は、みんな驚いて、口々に、馬をかわいそうだといい、また、よく働く、強い馬だといってほめたのであります。
甲の百姓は、荷を下ろしてから、馬を引いて自分の村に帰ってきました。その途中、乙の百姓に出あったのです。
乙の百姓は、じつに脊の高いりっぱな馬を引いていました。見たところでは、どこへ出しても恥ずかしくない馬でありました。その馬のかたわらへ甲の馬が並びますと、それは較べものにならないほど、姿の上で優劣がありました。甲の百姓は、内心恥ずかしくてしかたがありませんでした。
そのとき、乙の百姓は、つくづくと甲の馬をながめていましたが、
「おまえさんの馬は、なかなかいい馬ですね。」といいました。
甲の百姓は、内心恥ずかしく思っていたところですから、こういわれましたので、顔の色が赤くなりました。
「いくら、おまえさんの馬がりっぱでも、そうばかにするものでありませんよ。」と、甲の百姓はいいました。
すると、乙の百姓は驚いて、
「いえ、私は、けっしてそんな意味でいったのでありません。平常から、あなたの馬を感心していましたので、そういったのです。私の馬が、なにいいことがありましょう。まったく、私の手には、もてあましているのです。あなたさえよろしければ、いつでも換えてさしあげますよ。」といいました。
甲の百姓は「いつでも換えてやる。」と、乙の百姓がいいましたので、はじめて、彼が、ほんとうに自分の馬をほめていることがわかったのであります。そして、なに、よく働くも、働かないも、使い方ひとつだ、と甲の百姓は思いました。自分の馬がいいのでない、俺が、うまく馬をだまして使うからだ。もし俺にこの乙の上等の馬を持たしたなら、この馬より幾倍よく馴らすかしれない。だいいちりっぱな馬で、どこへ出しても恥ずかしくないだろうと考えました。
「それほど、おまえさんが私の馬が気に入ったのなら、いまでもいいから、換えてあげますよ。」と、甲の百姓はいいました。
こう聞くと、乙の百姓は、たいそう喜びました。
「それはありがとうございます。私は、いままで、どれほど、この馬に悩まされたかしれません。まことにいうことを聞かない馬です。あなたはよく仕込んでください。」と、乙の百姓はいって、自分のりっぱな馬を甲に渡し、甲の持っていた脊の低い醜い馬を受け取って、いたわりながら、乙の百姓はあちらへ去ってしまいました。
甲の百姓は、乙のりっぱな脊の高い馬を連れて、我が家へ帰りました。その明くる日から、甲の百姓は、その馬に車を引かせて歩くことになりました。
すると、すこし荷が重いと、馬は首をふってすこしも動きませんでした。甲の百姓は、これは太い奴だと思って、ピシピシと繩で馬の脊中をなぐりました。けれど、なぐればなぐるほど、馬はいうことを聞きませんでした。
「なに、俺が手なずけたら、どうにでもなるだろう。」
と、甲の百姓の思ったことは、まったくあてがはずれてしまいました。
それにつけ、いままでの馬は、醜かったけれど、まことにすなおな、いい馬であったということが、はじめてわかりました。
甲の百姓は、とうとう腹をたててしまいました。
そして、馬の手綱を無理に引っ張りました。
すると、あくまで剛情な馬は急に暴れ出して、甲の百姓をそこに蹴倒して、手綱を切って、往来を駆け出したのでした。
村じゅうは、大騒ぎをしました。
その馬を取りしずめるやら、甲の百姓を介抱するやら、たいへんでしたが、その後も甲の百姓は、いつまでもその馬のために弱らせられました。
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