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たましいは生きている(1)
日期:2022-11-19 07:30  点击:297

たましいは生きている

小川未明


むかしひとは、月日つきひながれるみずにたとえましたが、まことに、ひとときもとどまることなく、いずくへかってしまうものです。そして、そのあいだ人々ひとびとは、よろこんだり、かなしんだりするが、しんけんなのは、そのときだけであって、やがて、そのこともわすれてしまいます。
このはなしも、あとになれば、迷信めいしんとしか、かんがえられなくなるときがあるでしょう。
*   *   *   *   *
わたしのあには、音楽おんがくきで、自分じぶんでもハーモニカをきました。海辺うみべへいってはすなうえこしをおろして、緑色みどりいろのあわちかえる海原うなばらをながめながら、こころゆくまでらしたものでした。無心むしんくこともあったし、また、はてしないとおくをあこがれたこともあったでしょう。それは、夕日ゆうひはなのごとく、うつくしくもえるときばかりでありません。灰色はいいろくもが、ものすごくひくび、あらしのさけもありました。
しょうちゃん、このうみ合奏がっそうは、ベートーベンのオーケストラに、まさるともおとらないよ。人間にんげんが、いくらまねようたって、自然しぜん音楽おんがくには、かなわないからね。」と、あには、いいました。
戦争せんそうが、だんだんおおきくなって、ついに、あにのところへも召集令しょうしゅうれいがきました。わたしは、そのわすれることができません。いままで、たのしかった、いえなかは、たちまちわらいがえてしまって、あには、自分じぶん本箱ほんばこや、つくえのひきだしを、かたづけはじめました。
「いけば、いつかえるかわからないから、ハーモニカをしょうちゃんに、あずかってもらうかな。」
こうきくと、わたしは、あに気持きもちをかんがえて、しぜんとなみだがわきました。
「にいさんが、かえるまで、なんでも、そのままにしておくよ。」
「いや、もっと戦争せんそうが、はげしくなれば、このいえだって、どうなるかしれんものね。」
あには、無事ぶじかえれたなら、また勉強べんきょうをはじめるつもりだったのでしょう。英語えいご辞書じしょも、いっしょにわたしました。
しかし、あには、それぎりかえってきませんでした。あにふねは、南方なんぽうへいったといううわさでしたが、出発後しゅっぱつご、なんのたよりもなかったのです。
わたしは、海辺うみべって、はるかな水平線すいへいせんをながめて、ハーモニカをきました。まえそらに、さんらんとして、金色きんいろのししのたてがみのようなくもや、また、まっはなのようなくもが、絵模様えもようのように、ぶことがありました。あには、こんなようなたそがれが、大好だいすきであったとおもうと、いまごろ、どこかのしまで、このそらてるのでなかろうかと、ひとりでに、なかのくもることがありました。わたしは、せめて、この真心まごころの、あにつうずるようにと、ハーモニカをいたのでした。
また、あらしのにも、あにのしたごとく、浜辺はまべて、らしました。しかし、あにのハーモニカが、ここにありながら、それをあいするあにの、いないということは、かんがえるとさびしいかぎりでした。
その翌年よくねんなつには、公報こうほうこそはいらなかったけれど、あに戦死せんしは、ほぼ確実かくじつなものとなりました。
ある、わたしは、波打なみうちぎわで、せいちゃんとあそんでいました。
なみは、きているよ。」と、せいちゃんが、いったので、わたしは、
きているって、たましいがあるというの。」と、ききかえしました。
「うそとおもうなら、いしげてごらん。おこって、おおきくなるから。」と、せいちゃんは、ふしぎなことをいうのです。
わたしは、いしをひろってげました。つづいて、せいちゃんが、なげました。ふたりのすることを、せせらわらってていた、しろなみが、だんだんたかあたまをもたげて、きゅうにふたりのあしもとをおそいました。
「ほら、おこった!」と、せいちゃんが、さけびました。
わたしは、むちゅうになって、いしをひろっては、できるだけおきちかづいてげると、もくら、もくらと、うみはふくれがり、大波おおなみが、わたしのあしをさらおうと、やってきたので、あわててげました。そのとき、すなうえへおいたハーモニカをっていってしまいました。
わたしは、なみが、またハーモニカをかえしてくれはしまいかと、しばらくって、っていたが、それは、ついにむだでした。
つきあかるいばんでした。わたしは、まどこしをかけて、どこかでむしの、かすかなこえをきいていました。あきちかづくのをかんじたのでした。すると、たちまち、ハーモニカのがしたのでした。
「あれは、だれがふいているのだろう。」と、こんどは、そのほうへをとられました。いているひとは、あるいているのか、そのは、ちかくなったり、とおくなったりしました。
「にいさんじゃないか。」と、わたしは、がりました。あまり、しらべが、よくにていたからです。そとてみようとするうちに、ハーモニカのは、やんでしまいました。
まだ、そのうたがいのけぬ、二、三にちのちのことです。わたしは、あか夕日ゆうひが、うみしずむのをながめていました。すると、うしろの砂山すなやまのあたりで、ハーモニカのがしました。そのかたが、あにそっくりなので、わたしは、はっとして、このときばかりは、全身ぜんしんがあつくなりました。
「だれだか、てやろう。」
ただ、むやみとそのほうへ、あしにまかせて、かけしたが、いつしか、えれば、さっきまで、ちらほらしていた、人影ひとかげまで、どこへやらって、えなくなったのです。
わたしは、いえかえって、このことをはははなしました。
「それは、のせいです。あまりおまえが、にいさんをおもうから。」と、ははは、いいました。
しかし、わたしは、のせいだとは、しんじられませんでした。けれど、それ以上いじょういいることは、できませんでした。ところが、なんとおどろくことには、こんどはうずなみなかから、あにく、ハーモニカのしらべがきこえたのです。わたしは、さっそく、せいちゃんをんできました。せいちゃんは、いつになく、まじめくさって、みみをすましました。
「きっと、しょうちゃんのなくした、ハーモニカをおさかなが、ちいさなくちいているんでないか。」といいました。

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