その
後も、わたしは、ひとりなぎさに
立って、ぼんやりと
海をながめることがありました。あるとき、
知らない
男の
人が、わたしのそばに
立って、じっと
沖の
方をながめていました。
顔の
色は、
日にやけて
黒く、その
目は、とび
出ているようで、いくらか、こわい
気がしました。お
寺へいくと、よくこんな
形をした、
木像の
仏さまがあるのを、わたしは
思い
出しました。こちらが、やさしくものをいったら、
怒りはしないだろうと、
考えたので、
「おじさんは、なにを
見ているの。」と、ききました。すると、
怒るどころか、うちとけて、わたしを
見ながら、
「あちらの
島に、まだ
残っている、
戦友のことを
思っていたんだよ。」と、その
人は、
答えました。
「まだ、かえらないの。」
「
土の
中で
眠って、
永久に
帰らないのさ。」
「おじさんは、いつ
復員したの。」
わたしは、すぐに
兄のことを
思い
出さずにいられませんでした。
「まだ、
一月ばかりにしかならない。いくら
苦しんでも、こうして、
帰られたものは、しあわせだが、いつまでたっても、もどらない
戦友はかわいそうだ。」
これをきくと、わたしは、
情け
深い
人だと
思ったから、
「おじさん、ぼくの
兄も
戦死したんです。」といいました。
「やはり、そうか。」と、
急に
暗い
顔になって、うなずきました。いつか、ふたりは、ならび
合って、
砂の
上に
腰をおろし、
海の
方を
向いていました。
「ぼく、いつも、ここに
立って、にいさんを
思うんですよ。」と、わたしが、いうと、その
人は、
目を
足もとへ
落として、やはりうなずくばかりでした。
「
人間は
死んでも、
霊魂は、
生きているのではない?」と、わたしは、ふしぎなハーモニカの
音から、おじさんに、こうたずねたのでした。あるいは、
戦地にあって、それを
経験したとも、かぎらないと
思ったからです。おじさんは、しばらく、なにか
考えているようなようすだったが、やがて、
顔を
上げると、
「それについて、ふしぎなことがある。」といいました。
「ふしぎなことって、どんなこと。」
「ゆうれいとでも、いうんだろうな。」
「えっ。」と、わたしは、びっくりしました。
このとき、つめたい
風が、
海の
上から、さっと
陸へ
向かって、
走ったように
感じました。
おじさんは、
口を
開きました。
「
前線へ、
伝令にいった
兵士が、
帰りの
山の
中で
道を
迷ってしまった。
困っていると、ふいにくつ
音がしたので、まさしく、
敵に
出会ったと、
身がまえすると、
思いがけない、
親友だったので、二
度びっくりした。あまりおそいので、こんなことではないかと
迎えにきたよ。さあ、
暗くならぬうち、
早くいこうと、
戦友は、
先に
立って、よくこんな
道を
知っているなと
思うようなところを
歩いた。だが、かれはこのあいだの
戦争で
死んだのではなかったかと
気がついたので、
休んだら
聞こうと
思っているうち、その
姿を
見失ってしまった。それと
同時に、ふもとの
方で、
軍馬のいななきをきいたというのだ。」と、おじさんは、
話しました。
「
霊魂が、
親友を
救ったのですね。」と、わたしは、その
話に
感動したのでした。そして、わたしは、
兄の
吹く、ハーモニカの
音が、このごろ、たびたびきこえると、いいますと、
「きっと、きみのにいさんは、
家のことを
思っていられるのだろう。」と、おじさんは、
答えました。
「そうしたら、どうすればいいの。」と、わたしは、ききました。
「せいぜい、にいさんの
好きなことをしてあげて、
霊魂をなぐさめるんだね。」と、おじさんは、いいました。
そのことを、わたしに
教えてくれた、おじさんは、どうしたのか、その
後ふたたび
見ることができませんでした。
わたしの
兄は、なにより
平和を
愛しました。だから、
音楽がすきでした。わたしは、
父にねがって、
兄のもっていたのと、
同じハーモニカを
買ってもらいました。そして、それを
吹くときには、かならず、
兄の
気持ちになろうとしました。
わたしの
兄は、
自然を
愛したし、また、だれに
対してもしんせつで、なにをするにも、やさしみの
心をもっていました。
わたしは、
海岸へいくと、まず、
兄のしたごとく、
砂の
上へ
腰をおろしました。そして、ハーモニカを
吹きました。このとき、
空を
飛ぶ
雲、
打ちよせる
波、しきりと
顔へあたる
風、ともどもに、
申し
合わせたごとくたたずんで、
「ききおぼえのある、なつかしい
音だ。」と、いっているようでした。
わたしは、ますます、
兄の
目、
兄の
心をもってきました。すると、かれらは、
「あれを
吹くのは、
弟か、
兄そっくりじゃないか。また、この
浜辺へも、
昔のような
平和が、やってきたな。」と、ささやき
合っているのです。
わたしの
真心で、
兄のたましいも、はじめて、なぐさめられたものか、ふしぎなハーモニカの
音も、それ
以来しなくなったのでありました。
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