小さな草と太陽
小川未明
垣根の内側に、小さな一本の草が芽を出しました。ちょうど、そのときは、春の初めのころでありました。いろいろの花が、日にまし、つぼみがふくらんできて、咲きかけていた時分であります。
垣根の際は、長い冬の間は、ほとんど毎朝のように霜柱が立って、そこの地は凍っていました。寒い、寒い天気の日などは、朝から晩まで、その霜柱が解けずに、ちょうど六方石のように、また塩の結晶したように、美しく光っていることがありました。そのそばに生えている青木の葉が黒ずんで、やはり霜柱のために傷んで葉はだらりと垂れて、力なく下を向いているのでありました。
けれど、春になりますと、いつしか霜柱が立たなくなりました。そして、一時は、ふくれあがって、痛々しそうに見えた土までが、しっとり湿っておちついていました。元気のなかった、憂欝な青木の葉も青い空をながめるように、頭をもたげました。赤い実までがいきいきして、ちょうど、さんごの珠のように、つやつやしく輝いて見えたのです。
そのころのことでありました。垣根の内側に、小さな一本の草が芽を出しました。草は、この世に生まれたけれど、まだ時節が早かったものか、寒くて、寒くて、毎日震えていなければなりませんでした。
そのはずで、いくら、木々のつぼみはふくらんできましても、この垣根の内側には、暖かな太陽が終日照らすことがなかったからであります。
「ああ、いつになったら、お日さまが私を暖めてくださるだろう。」と、草はつぶやいていました。
すると、この言葉を聞きつけた青木は、
「我慢をしろ、我慢をしろ、俺などは去年の秋から、日に当たらずにいるのだ。それでも黙って不平をいわないじゃないか、我慢をしろ、我慢をしろ。」といいました。
草はこういわれると、小さな頭を上げました。
「だって、おまえさんは大きいじゃないか、だから我慢もされようが、私はこんなに小さいのだ。」と、うらめしそうにいいました。
けれど、もう青木の木はなんとも答えませんでした。そして、黙っていました。
草は、昼間は、まだ我慢もできましたけれど、夜中になりますと、寒くて、寒くて、震えていました。そして、自分ながら枯れてしまわないかと、心配したほどでありました。
そのうちに、日はたちました。小鳥がさえずって、頭の上の高い空を飛んでゆくのを、たびたび聞きました。
「いつになったらお日さまは、私を照らしてくださるだろう。」と、草はつぶやいていました。
ある朝、草は、まぶしい光が、青木の葉にさしているのを見つけました。なんという美しい光だろう。草は驚いて、その黄金の溶けて流れたような光線を見ていますと、やがてその光は、赤い青木の実に燃えつきました。すると、さんごの珠のような実は、すきとおって見えるように、美しかったのです。草は、ただ、あ、あ、とため息をもらしているばかりでした。
けれど、それから、草に日の当たるまでには、また幾日か間がありました。ある日、草は、今日はばかに夜が早く明けたなと思って、目を開きますと、長い間待ちこがれた太陽の光が、はや幾分か自分の体に当たっているのに気づきました。
草はこおどりをして喜びました。そのうちに太陽は、にこやかな円い顔で、頭の上をのぞきました。
「お日さま、私はどれほど、あなたをお待ちしたかしれません。」と、草はいいました。
「ああ、そうだろう。俺は、休まずにやってきたのだが、それでもどんなにおまえに、待ち遠しかったかしれない。」と、太陽は、やさしく、草をなぐさめました。
その日から、草は太陽の光を受けて、めきめきと成長いたしました。一月ばかりの間に、どんなに草は大きくなったでしょう。そして、枝ものびて、つぼみもつけて、いまにも花を咲こうとしたのであります。
そのとき、太陽は、ふたたび屋根のあちらに隠れようとしました。草は、日のかげったのに驚いて、太陽を仰いで、
「お日さま、また、どこへかいってしまわれるのでございますか。」と、目をみはっていいました。
すると、太陽はいつに変わらぬ、にこやかな顔をして、
「もうおまえは、それでだいじょうぶだ。りっぱに花が咲いて、実を結ぶことができる。まだ北の方に、俺を待っているものがたくさんいる。」と、太陽はいいました。
「だが私は、あなたにお別れするのが悲しくてなりません。」と、草はいいました。
「そんなに悲しまなくてもいい。俺は南に帰るときに、もう一度おまえを見るだろう。」と、太陽は答えました。
その後、草ははたして、りっぱな花を咲きました。脊も、もっと高くのびて、青木よりも高くなりました。そして、葉もたくさんにしげりました。草は、内心大いに安堵していたのであります。もう、このくらい大きくなれば、太陽にすがらなくともいい、青木が冬の間我慢をしていたように、私も我慢のできないことはないと思いました。
「青木の木さん、あなたはどんな花をお咲きなのですか。」と、草は、黙っている青木の木に問いました。しかし、憂鬱な青木は、やはり黙っていました。
こんなに陰気な生活をして、なにがおもしろいのだろうと、草は青木のことを思いました。青木には、みつばちもあぶも、ちょうも訪ねてきませんでした。それにひきかえて、草には、朝から晩まで、ちょうや、あぶや、みつばちが訪ねてきました。
「ほんとうに、あなたはお美しい。」といって、彼らは草をほめたたえていました。
草は昔のことをすっかり忘れてしまって、夢を見るような気持ちでその日を送っていました。やがて、夏も末に近づくと、太陽はふたたび草の上に現れました。
「もう俺は南へ帰る。おまえともこれがお名残だ。」と、太陽は、いつになく悲しそうな顔をしていいました。
けれど草は、そんなに悲しいとも思いませんでした。青木の木より、俺は高いと心の中で誇っていたからです。しかし、太陽が南へ去ってしまうと、まもなく、草は枯れてしまいました。
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