小さな金色の翼
小川未明
彼らの群れから離れて、一羽の小鳥が空を飛んでいますと、いつしか、ひどい風になってきました。そして、小鳥は、いくら努力をしましても、その風のために吹き飛ばされてしまいました。
空には、雲が乱れていました。方角もわからなくなってしまいました。小鳥は、ただ飛んでゆきさえすれば、そのうちに林が見えるだろう。また、山か、野原に出られるだろうと思っていました。
日はだんだん暮れかかってきました。そして、雨さえ風にまじって降り出しました。小鳥は、ただ一思いに、ゆけるところまで飛ぼうと思ったのでありましたが、いまは疲れて、どこかに降りて、すこしの間休まなければならなかったのであります。小鳥は、高い空から舞い下りようとして、びっくりしました。なぜなら、真下には、ものすごい、大海原があったからです。いままで、雲にさえぎられて、自分はどこを飛んでいるのか見当すらもつかなかったのですけれど、この有り様を見て、小さな鳥の心臓は恐ろしさのために冷たくなってしまいました。
どうしたらいいか、小鳥にはわからなかったのです。もはや、疲れた翼を休めることもできません。このうえは、力のつづくかぎり、この海を飛びきって、あちらに陸地を見いだすよりしかたがなかったのです。それで、小鳥は風と戦い、雨と戦って、飛んで、飛んで、飛びました。そのうちに、日は暮れてしまって、まったく、あたりは真っ暗になってしまったのでした。
海のすさまじい鳴り音が、空にまでとどろいて聞こえました。いつやみそうもない暴風は、油断をすると、いまにも吹きつけて、この怖ろしい波のうず巻きの中へ、自分を突き落とそうとしました。哀れな小鳥は、どうなるだろうかと、生きている心地はありませんでした。
みんなから、独りはぐれてしまうのでなかった。もし、自分がはぐれてしまわなかったら、急に風が出ても、こんなところへ吹き飛ばされるようなことはなかったろう……。そう思いますと、しきりに後悔されました。
小鳥は、こんなに暗くなった、夜の空をかつて飛んだ経験をもっていませんでした。日が暮れるに、早くから、安全な深い森の中に降りて、木の枝に止まって眠りについたものです。
しかし、こうなっては、過去のことを考えるのもむだなことでした。そして、すこしも気にゆるみをもつことができません。いつしか翼は破れ、呼吸も苦しくなり、もうこのうえは、なるがままに身をまかせるよりは、ほかになかったのであります。
ちょうど、このとき、小鳥は、真っ暗な、そして猛り狂うすさまじい海のあちらから、一筋の明るい光の射すのを認めたのです。
なんであろう? と、彼は、驚きもし、また喜びもしました。そして、急に、元気が出て、小鳥は、この明るい火を目当てに、いっしょうけんめいに雨と暴風の中を翔けてきたのでありました。
その火は、近いようで、なかなか遠くでありました。だんだんその火は、大きくなり、いっそう強く光を放っているのでした。小鳥は、不思議なものを見れば見るものだと思いました。そして、自分は、あすこに着いたときに、救われるのでないかという気がして胸がおどったのでありました。この希望は、この哀れな小鳥をどんなに勇気づけたかしれません。
この光は、このあたりの荒海にはなくてはならぬ、燈台の火でありました。
燈台の火は、暗い海を照らしていました。くずれかかる波頭を染めていました。暴風と雨の中に一筋の光を投げて、たちまち明るく照らしたかと思うと、たちまちその光は消えて、また闇を照らすというふうに見えたのであります。
小鳥は、やっと、燈台の建っている、その小さな島に着きました。最初燈台の屋根に止まろうとしましたが、そこはひじょうな雨風であって、小さな鳥は、吹き落とされてしまったのでした。小鳥は、地面の草の葉の上に落とされると、がっかりとしてしまいました。そして、草の葉のうちへもぐり込むようにして、この怖ろしい夜をともかくも明かそうとしたのでありました。
暴風と雨は、いつまでもやみませんでした。ちょうど、闇の中を明るく照らす、燈台の一筋の光を奪い合って、それをもみ消してしまって、天地の間に、いっさいの光をなくしてしまおうとしているように、暴風と雨とが力を惜しまずに、燈台のガラス窓を目がけて突進していました。
また、波は、この島全体を隠してしまおうとするように、そして、なにもかもいっさいを真っ黒な大きな海の口へ、のみ込んでしまおうとするようにみられたのでした。
小鳥は、一夜じゅうまんじりと眠ることができませんでした。体じゅうは寒く、冷たくなって、翼は傷ついて自由に動くこともできませんでした。そのうちに怖ろしい夜がほのぼのと明けかかったのであります。
翌日になると、いくらか風は静まり雨もやみましたけれど、空を見ると雲ゆきは乱れていて、やはり島の海岸を打つ波音は高かったのでありました。
小鳥は、一日じっとして、昨夜からの怖ろしかった思い出にふけり、疲れた体を休め、傷ついた翼をくちばしで直していました。そのうちに、この日も暮れてしまったのであります。
三日めの朝のことでありました。太陽は、美しく波の間から上りました。そして、白い燈台の建物は喜ばしそうに輝きました。海の上は穏やかで、やがて日の光が高く上ると波は、いっそう美しく閃いて、前日までのものすごさはどこへか消えてしまい、帆船や、小船や、汽船は海の上に浮かんで、空はよく晴れわたったのでありました。
小鳥は、やっと元気を快復して草の蔭から、外へ飛んで出ました。すると、そこは、花園になって、いろいろの花が、青に、紫に、紅に、黄に、咲いていたのでした。小鳥は、はじめて自分は花園に休んでいたのを知りました。日の光は、あらしの跡の花園をいたわって、柔らかな光で照らしていました。そして、花は、この光によみがえってみられました。
小鳥は、まるで夢を見るような気がいたしました。どうして、自分は、こんなところへくることができたろう? もし、ここにあの燈台がなかったら、おそらく、このものすごい、暗い、うず巻く波の中へ落ちて死んでしまったろうと思いました。このとき、足音がしました。
「まあ、ひどいあらしだったこと。けれど、この花園は、そんなでもなかったわ。まあ、海の色も、空の色も、花の色もきれいってありゃしない?」と、娘のいっている声が、すぐ近くでしたかと思うと、ふいに小鳥は、その白い柔らかな手で捕らえられているのでした。
「かわいそうに、この小鳥は、昨夜のあらしで、こんなところへ吹き落とされたんでしょう。どこか、体をいためているんじゃないかしらん……。」と、娘はいって、小鳥をなでていました。
捕らえられたときに、小鳥は、どうなることだろうと震えていました。しかし、すぐに、この人はやさしい、けっして自分をどうするものでもないということを悟りました。ですから、小鳥は、されるままにおとなしくしていました。
娘は、小鳥の体を見ていましたが、
「なんともないようだわ……。おまえ飛べないの? はやく飛んでおまえさんの好きな、いいところへおゆき。ここは、いいところだけれど、さびしいの……。さあ、飛んでおゆき。わたしが、息をかけて、温かくして元気をつけてあげましょう。」といって、娘は唇のほとりに小鳥をもっていって、接吻するように、温かな息をかけてやりました。
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