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ちょうと怒濤(2)
日期:2022-11-24 00:13  点击:309
 
ちょうは、そのやさしい音色ねいろのするほうへと、おとをたどってりてゆきました。そこは、あるおおきないえうらのところであって、いい音色ねいろは、へやのなかからもれているのです。ちょうは、なににまったらいいかと、しばらく、このにわまわしました。そのにわひろかったとはいえ、もっともっとひろ野原のはらからんできたちょうには、ひろいとはかんじられなかったのです。
ちょうは、いくつかのはちに、いろいろのはないているのをました。これは、どれも、いままでたことのないような、うつくしいはなばかりであります。ちょうは、いつかはねあおいこちょうの物語ものがたったことなどをおもしました。なかにも、ちょうは、くろはちわった、真紅まっかなばらのはなたときには、ほんとうに、びっくりしてしまいました。それで、たちまち、なんともいえない香気かおり恍惚うっとりとなってしまって、ちょうは、あとさきのかんがえもなく、その真紅まっか花弁かべんいつけられたように、そのうえりてまったのです。
こんなにうつくしいはなが、このなかにあるだろうかと、ちょうはおもいました。これこそ、わたしあこがれていたはなだと、ちょうはおもいました。
「まあ、なんというきれいなこちょうさんでしょう。わたしは、まだこんなにうつくしいちょうはたことがなかった。さあ、わたしのみつをおもうぞんぶんにってください。」と、真紅しんくのばらはいいました。
とおく、まちあこがれてんできたちょうは、このはな接吻せっぷんしました。それは、ほんのつかのまであったのです。
「あすこに、子供こどもがあなたをじっとていますよ。きっと、ここにやってきて、あなたをらえますよ。そして、はりであなたのからだしてしまいますよ。はやく、おげなさい。そして、また、わすれずにきてください。わたしはっています。」と、ばらのはなはいいました。
このとき、おおきなふくろのようなものがそらよこぎりました。もし、もうすこしはやくちょうが、そのはなうえらなかったら、きっと、らえられてしまったのです。しかし、ちょうは、ただ、はげしいかぜのあおりをかんじただけで、無事ぶじでありました。
ちょうは、そのちかくの草原くさはらやすみました。そして、また、くる、このにわにいってみたのです。けれど、あわれなちょうは、ばらのはな近寄ちかよることができませんでした。人間にんげんが、そのにわにいたからです。
三日みっかめの晩方ばんがた、ちょうは、今日きょうこそは、はな近寄ちかよって、いろいろのおもいをかたろうとおもったのであります。
天気てんきわる前兆ぜんちょうか、西にし夕焼ゆうやけけは、気味きみわるいほど、たけくるほのおのように渦巻うずまいてあかくなりました。
ちょうが、おおきなはねをはばたいて、にわさきにりようとした刹那せつな真紅まっかなばらのはなは、もう寿命じゅみょうがつきたとみえて、おともなく、ほろりほろりと、金色きんいろびた夕日ゆうひひかりなかくだけてるところでありました。
これをたちょうは、どんなにうらめしくおもったでしょう。そして、またこのはなかたるのはいつであろうとなげきました。ちょうはくるいそうでありました。無念むねん残念ざんねんとで、もうきている心地ここちはなかったのです。自分じぶんからだは、どうなってもいいというように、ちょうは、絶望ぜつぼうのあまり、ふかかんがえはなしに、空高そらたかく、たかく、どこまでもたかがりました。ちょうは、下界げかいさまを、もはやなにもたいとおもいませんでした。
すると、そらには、おそろしい、はげしいかぜいていました。ちょうのからだは、急流きゅうりゅうにさらわれたのように、あっと、おもうまもなく、とおく、とおく、ばされてしまいました。
どんなつよかぜばされたも、一ちるように、ちょうはつめたいつちうえとされました。そして、がついたときに、すさまじいおとが、くらなかから、こってきこえていたのです。そこは、海辺うみべでありました。
ちょうは、湿しめったすなうえにしがみついて、ふるえていました。けると、自分じぶんうつくしかったはねやぶれていて、そして、まえにはあおあおうみが、うねり、うねっているのがられたのです。ひかりびて、ちょうは、いくらか元気げんきてきました。そして、どこかのあたりに、はないてはいないかと、ひらひらとがったのでした。けれど、かぜつよくて、ややもするときずついたはねが、そのうえにもやぶれてしまいそうでした。やっと、すなおか黄色きいろはないているのをつけて、そのはなうえにとまりました。
黄色きいろはなは、ちょうどほしのようにいていました。そして、かぜかれて、あたまにつけていました。あまりみつばちもいなければ、また、ほかのちょうの姿すがたえませんでした。はなだまっています。うみうえではとりいていました。なんとなく、悲壮ひそう景色けしきであったのです。
ちょうは、じっとして、終日しゅうじつ、そのはなうえまっていました。もとの野原のはらかえろうとおもっても、いまは方角ほうがくすらわからないばかりか、とおくて、きずついたには、それすらできないことでありました。
たちまち、うみうえ真紅まっかえました。夕日ゆうひしずむのです。この光景こうけいると、ちょうは、ふたたびばらの姿すがたおもしました。もう永久えいきゅうに、あの姿すがたられないとおもうと、ちょうは、また物狂ものくるおしく、昨日きのうのように、そらたかがったのです。うつくしい花弁かべんのようにきずついたちょうの姿すがたは、夕日ゆうひかがやきました。つよかぜは、無残むざんにちょうをうみうえきつけました。そして、たちまち怒涛どとうは、ちょうをのんでしまったのです。
――一九二二・三作――

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