日语学习网
ちょうと三つの石(1)
日期:2022-11-26 23:56  点击:216

ちょうと三つの石

小川未明

あるところに、まことにやさしいおんながありました。おんなとしごろになると、水車屋すいしゃや主人しゅじん結婚けっこんをしました。
むらはずれの、小川おがわにかかっている水車すいしゃは、あさからばんまで、うたをうたいながらまわっていました。おんな主人しゅじんも、水車すいしゃといっしょにはたらきました。
「なんでもはたらいて、このむら地主じぬしさまのように金持かねもちにならなければだめだ。」と、主人しゅじんあたまりながら、つまをはげますようにいいました。
つまも、そうだとおもいました。そして、それよりほかのことをば、かんがえませんでした。はるになると、緑色みどりいろそらはかすんでえました。木々きぎには、いろいろのはなきました。小鳥ことりは、おもしろそうにこずえにとまってさえずりました。
なつになると、しろくも屋根やねうえながれました。おんなは、ときどき、それらのうつりかわる自然しぜんたいして、ぼんやりながめましたが、
「ぐずぐずしていると、じきにれてしまう。せっせとはたらかなけりゃならん。」
と、そばから主人しゅじんうながされると、づいたように、また、せっせとはたらきました。
おんなは、一にちあたまからしろこなびて、はたらいていました。二人ふたりは、まだ、らくおくらないうちに、主人しゅじんは、病気びょうきにかかりました。そして、その病気びょうきは、に、おもくなるばかりでした。
医者いしゃは、ついに恢復かいふく見込みこみがないと、見放みはなしました。そのとき、主人しゅじんは、この見捨みすててゆかなければならぬのを、なげきましたばかりでなく、おんなは、おっとわかれなければならぬのを、たいへんにかなしみました。
おれは、おまえをのこして、ひとりあのへゆくのをかなしくおもう。けれど、もうこうなってはしかたがない。さきにあのへいって、おまえのくるのをっているから、おまえは、この幸福こうふくらしてからやってくるがいい。」
と、主人しゅじんは、なみだながらにいいました。
おんなは、いていていましたが、
「どうか、わたしのゆくのをっていてください。あのへゆくには、やまのぼるといいますから、とうげのところで、わたしのゆくのをっていてください。」と、おんなはいいました。
主人しゅじんは、安心あんしんしてうなずきました。そして、ついにこのからってしまったのであります。
おんなは、かなしみました。しかし、どうすることもできませんでした。そのから、一人ひとりとなってはたらいていました。
水車すいしゃおとむかしのように、うたをうたってまわっていましたけれど、おんなはけっして、むかしのように幸福こうふくでなかった。
おんなは、一人ひとり生活せいかつすることは困難こんなんでありました。それをったむらひとは、どくおもいました。
「おまえさんは、まだわかく、うつくしいのだから、およめにゆきなさるがいい、ゆくならお世話せわをしてあげます。」と、おんなかって、しんせつにいってくれるものもあった。
おんなは、おっとぬときに、さきへいってっているという、約束やくそくをしたことをおもすと、そんなにはなれませんでした。
んだ主人しゅじんたいしてすまない。」と、おんなこたえました。
しかし、むらひとは、おんなのいうことをかえってわらいました。
人間にんげんというものは、んでしまえば、ろうそくのえたようなものだ。それよりも、きているうちがたいせつなのだから。」ともうしました。
おんなは、そうかとおもいました。きゅうに、心細こころぼそいようなかんじがして、ついに、およめにゆくになってしまいました。
おんなは、機織はたおりのいえに、二めにとついだのであります。そして、今度こんどは、一にちじゅうはたって、おっと仕事しごとたすけました。おっとは、また、つまをかわいがりました。おんなは、まえ水車場すいしゃばおとことついだのことをわすれて、いまのおっとを、なによりもたいせつにおもうようになりました。
おんなは、織物おりものはいった、おおぶろしきのつつみをしょって、街道かいどうあるいて、まちることもありました。あたまうえ青空あおぞらは、いつになってもわりがなかったけれど、また、そのそらながれるしろくもにもわりがなかったけれど、おんなのようすはわっていました。
水車場すいしゃばには、らぬひとはいってまうようになりました。
わかいうちに、うんとはたらいて、としをとってかららくらしをしたいものだ。」と、二ばんめのおっとはいいました。
彼女かのじょも、また、そうおもいました。
「ほんとうに、そうでございます。」と、おんなこたえた。
そして、夫婦ふうふは、いっしょうけんめいに、家業かぎょうせいしたのであります。四、五ねんたちました。
すると、おっと病気びょうきにかかりました。病気びょうきはだんだんとおもくなって、医者いしゃにみてもらうと、とてもたすからないということでありました。
おっとは、んでゆく自分じぶんうえかなしみました。おんなは、また、おっとわかれなければならぬのをなげきました。
わたしんでしまったら、あとでどんなにおまえはこまるだろう、しかし正直しょうじきにさえはたらいていれば、このなかにそうおにはない、あまり心配しんぱいしないほうがいい。」と、おっとは、かなしみにしずんでいるつまをなぐさめていいました。
「わたしは、自分じぶんのことをおもって、かなしんでいるのでありません。あなたにおわかれしなければならぬのがかなしいのです。」と、おんなこたえました。
「なに、わたしは、あのへいって、おまえのくるのをっている。おまえは、できるだけ、このなか幸福こうふくおくってくるがいい。」と、おっとはいった。
「あのへいくときには、なんでもたかやまのぼるそうです。どうか、そのとうげのところでっていてください。」と、おんなはいいました。
おっとは、うなずいて、なんの心残こころのこりもなく、ついにこのってしまったのです。
おんなは、また一人ひとりになりました。そして、たよりないおくらなければならなくなりました。むらひとは、このしあわせのおんな同情どうじょうをしました。
「まだわかいんだから、いいところがあったら、およめにいったがいい、お世話せわをしてあげます。」と、むらひとはいった。
「そんなことをしては、んだおっとにすみません。」と、おんななみだながらにこたえました。
「すむも、すまないもない。んでしまったひとは、えたもおなじものだ。あのなどというものは、まったくないものです。」と、むらひとはいいました。
おんなは、ほんとうにそうかとおもいました。そして、ひとにすすめられるままに、たびおよめにゆきました。

分享到:

顶部
11/15 02:41