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ちょうと三つの石(2)
日期:2022-11-26 23:56  点击:215
 
めにいったのは、鳥屋とりやでありました。そこへいっても、彼女かのじょはよくはたらきました。とりをやったり、いろいろとり世話せわをしました。月日つきひはやくもたって、すでにたび結婚けっこんをしてから、十ねんあまりにもなりました。すると、おっとはあるとき、病気びょうきにかかりました。彼女かのじょは、よく看護かんごをいたしました。けれど、そのかいもなく、おっと病気びょうきは、だんだんおもくなるばかりでした。
「おまえをあとのこしていくのは、このうえなくかなしい。けれど、これも運命うんめいだからしかたがない。おまえは、あのとりのめんどうをてやったら、どうにからしていけないことはない。」と、おっとはいいました。
「ほんとうにかなしいことです。わたしは、もっととりのめんどうをてやります。そして、一にちはやくあなたのところへゆかれるっています。」と、おんなこたえました。
「それで安心あんしんをした。どうか達者たっしゃで、幸福こうふくおくってくれい。きっと、わたしは、っているから。」と、おっとはいいました。
「あのへゆくには、たかやまさなければならないそうです。どうかとうげでわたしをっていてください。」と、おんなはいいました。
おとこはうなずいて、ついにこのからってしまいました。おんなおっとくなってしまったのち、よくその家業かぎょうまもりました。それから、またなが月日つきひがたちました。おんなとしをとりました。そして、いつか女自身おんなじしんが、はかにゆくがきたのであります。
おんなは、ほとけさまに、どうかあのへとどこおりなくいけるようにといのりました。そして、ついにじるときがきました。
おんなは、このったのです。けれど、霊魂たましいおんなねんじたように、あのへゆくたびのぼりました。
おんなは、ながみちあるきました。うららかにたって、も、やまも、かすんでえました。ゆめくに景色けしきをながめたのであります。おんなは、やさしいほとけさまに道案内みちあんないをされて、ひろ野原のはらなかをたどり、いよいよ極楽ごくらく世界せかいが、やまを一つせばえるというところまでたっしました。
「さあ、もうじきだ、このやますのだ。」と、ほとけさまはいわれました。
おんなは、青竹あおだけのつえをついて、やまのぼりはじめました。やがて、とうげたっしますと、そこに三にんおとこってっていました。三にんは、自分じぶんたちのっているおんなが、この一人ひとりおんなであるということをりませんでした。三にんは、おんなると、
「おまえのくるのをっていた。」といって、三ぽうからってきました。おんなはびっくりしてしまいました。よくると、だい一のおっとと、だい二のおっとと、だい三のおっとであったのです。
おんなは、どちらへいっていいか、まったくわからずに途方とほうにくれてしまった。
わしは、ながあいだ、どんなにおまえをったかしれない。」と、だい一のおっとがいいました。
わたしは、いちばん最後さいごにおまえとわかれたのだ。おまえはわたしといっしょに、あのへゆくのがほんとうだ。」と、だい三のおっとがいいました。
「おまえは、わたしといっしょに、あのへゆくといって約束やくそくをしたじゃないか。」と、だい二のおっとがいいました。
おんなは、まったく途方とほうにくれてしまいました。
このようすを、ほとけさまはごらんなされていました。
「おまえは、悪気わるぎのあるおんなではないが、そういって、三にん約束やくそくをしたのはほんとうか。」と、ほとけさまは、おんなにたずねられました。
「わたしがわるうございます。そういって、三にん約束やくそくをしました。けれど、こころからうそをいうでいったのではございません。一は、あのがあることをしんじました。一は、あのがあるかどうかをうたがいました。」と、おんなもうしました。
ほとけさまは、しばらくだまってかんがえていられましたが、
「おまえは、三にんうちで、いちばんどのひとあいしているか?」と、おきになりました。
おんなは、かつて、いちばんどのひとあいしているかをこころかんがえたことがないので、返答へんとうこまっていました。すると、ほとけさまは、
「おまえは、どういうような気持きもちで、たびたび結婚けっこんをしたのか。」と、おたずねになりました。
女は、自分じぶん一人ひとりらしてゆけないから結婚けっこんをしたとも、気恥きはずかしくてもうされませんでした。
「そんな信仰しんこうのないものは、あのへゆくことはできない。おまえは、ちょうになって、もう一下界げかいかえって、よくかんがえてくるがいい。そして、ほんとうにまどわないさとりがついたら、そのとき、あのへやってやる。」と、ほとけさまはおんなもうされました。
また、ほとけさまは、三にんおとこかって、
おんながほんとうにさとりがついて、永久えいきゅうわらない自分じぶんおっと見分みわけがつくまで、ここにっているがいい。」といわれました。
やがて、おんな姿すがたは、ちょうとなりました。そして、夕日ゆうひそらかって、どこへとなくんでゆきました。
にんは、とうげで、十ねん、百ねんいくねんちました。そのうちに、三にんは、三つのいしになってしまいました。けれど、下界げかいったちょうは、いまだにさとりがつかないとみえて、はなからはなへと、うつくしい姿すがたをしてびまわっていて、かえってこないのであります。
 

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