日语学习网
千代紙の春(1)
日期:2022-11-26 23:56  点击:215
 

千代紙の春

小川未明


まちはずれの、あるはしのそばで、一人ひとりのおじいさんが、こいをっていました。おじいさんは、今朝けさそのこいを問屋とんやからけてきたのでした。そして、ながあいだ、ここにみせして、とお人々ひとびとかって、
「さあ、こいをってください。まけておきますから。」と、ひとかおながらいっていました。
ひとたちのなかでは、まっててゆくものもあれば、らぬかおをして、さっさといってしまうものもありました。しかし、おじいさんは、根気こんきよくおなじことをいっていました。
そうするうちに、「これはめずらしいこいだ。」といって、ってゆくものもありました。そして、がたまでには、ちいさなこいは、たいていりつくしてしまいました。けれど、いちばんおおきなこいはれずに、盤台ばんだいなかのこっていました。
おじいさんは、おおきなのがれないので、でありませんでした。どうかして、それをはやく、あたりがくらくならないうちにってしまいたいと、あせっていました。
「さあ、おおきなこいをまけておきますから、ってください。」と、しきりにおじいさんはわめいていました。
みんなとおひとは、そのこいにをつけてゆきました。
おおきなこいだな。」といってゆくものもありました。
そのはずであります。こいは、幾年いくねんおおきないけに、またあるときはかわなかにすんでいたのです。こいは、かわ水音みずおとくにつけて、あの早瀬はやせふちをなつかしくおもいました。また、木々きぎかげうつる、かがみのような青々あおあおとした、いけ故郷こきょうこいしくおもいました。しかし、盤台ばんだいなからえられていては、もはや、どうすることもできなかったのです。そのうえに、もうらえられてから幾日いくにちもたって、あちらこちらとはこばれていますあいだに、すっかりからだよわってしまって、まったく、むかしのような元気げんきがなかったのであります。
おおきなこいは、自分じぶん子供こどものことをおもいました。またともだちのことをおもいました。そして、どうかして、もう一自分じぶん子供こどもや、ともだちにめぐりあいたいとおもいました。
「さあ、こいをっていってください。もうおおきいのが一ぴきになりました。うんとまけておきますから、っていってください。」
おじいさんは、そのまえとおひとたちにかって、こえをからしていっていました。晩方ばんがたみちいそひとたちは、ちょっとたばかりで、
「このこいはもいいにちがいない。」と、こころうちおもって、さっさといってしまうものばかりでした。
おおきなこいは、しろはらして、盤台ばんだいなかよこになっていました。こいは、よくえていました。けれど、もはやみずすら十ぶんむこともできなかったので、こののち、そんなにながいこといのちたもたれようとはかんがえられませんでした。
春先はるさきであったから、河水かわみずは、なみなみとしてながれていました。そのみずは、やまからながれてくるのでした。やまには、ゆきけて、たにというたにからは、みずがあふれて、みんなかわなかそそいだのです。こんなときには、いけにもみずがいっぱいになります。そして、天気てんきのいいあたたかなには、まちから、むらから、人々ひとびとりをしにいけかわかけるのも、もう間近まぢかなころでありました。
あわれなこいは、そんなことを空想くうそうしていました。

分享到:

顶部
11/15 13:46