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月夜とめがね(1)
日期:2022-11-26 23:56  点击:217
 

月夜とめがね

小川未明


町も、野も、いたるところ、みどりの葉につつまれているころでありました。
おだやかな、月のいいばんのことであります。しずかな町のはずれにおばあさんは住んでいましたが、おばあさんは、ただひとり、まどの下にすわって、はりしごとをしていました。
ランプの火が、あたりを平和に照らしていました。おばあさんは、もういい年でありましたから、目がかすんで、針のめどによく糸が通らないので、ランプの火に、いくたびも、すかしてながめたり、また、しわのよった指さきで、ほそい糸をよったりしていました。
月の光は、うす青く、この世界を照らしていました。なまあたたかな水の中に、木立こだちも、家も、おかも、みんなひたされたようであります。おばあさんは、こうしてしごとをしながら、自分のわかいじぶんのことや、また、遠方のしんせきのことや、はなれてくらしている孫娘まごむすめのことなどを、空想していたのであります。
目ざまし時計の音が、カタ、コト、カタ、コトとたなの上できざんでいる音がするばかりで、あたりはしんとしずまっていました。ときどき町の人通りのたくさんな、にぎやかなちまたの方から、なにか物売りの声や、また、汽車の行く音のような、かすかなとどろきがきこえてくるばかりであります。
おばあさんは、いま自分はどこにどうしているのかすら、思いだせないように、ぼんやりとして、ゆめをみるようにおだやかな気持ですわっていました。
このとき、外の戸をコト、コトたたく音がしました。おばあさんは、だいぶ遠くなった耳を、その音のする方にかたむけました。いまじぶん、だれもたずねてくるはずがないからです。きっとこれは、風の音だろうと思いました。風は、こうして、あてもなく野原や、町を通るのであります。
すると、こんどは、すぐ窓の下に、小さな足音がしました。おばあさんは、いつもににず、それをききつけました。
「おばあさん、おばあさん。」と、だれかよぶのであります。
おばあさんは、さいしょは、自分の耳のせいではないかと思いました。そして、手を動かすのをやめていました。
「おばあさん、まどをあけてください。」と、また、だれかいいました。
おばあさんは、だれが、そういうのだろうと思って、立って、窓の戸をあけました。外は、青白い月の光が、あたりをひるまのように、明るく照らしているのであります。
まどの下には、のあまり高くない男が立って、上をむいていました。男は、黒いめがねをかけて、ひげがありました。
「私はおまえさんを知らないが、だれですか。」と、おばあさんはいいました。
おばあさんは、見しらない男の顔を見て、この人はどこか家をまちがえてたずねてきたのではないかと思いました。
「私は、めがね売りです。いろいろなめがねをたくさん持っています。この町へは、はじめてですが、じつに気持のいいきれいな町です。今夜は月がいいから、こうして売って歩くのです。」と、その男はいいました。
おばあさんは、目がかすんで、よく針のめどに、糸が通らないでこまっていたやさきでありましたから、
「私の目にあうような、よく見えるめがねはありますかい。」と、おばあさんはたずねました。
男は手にぶらさげていた箱のふたをひらきました。そして、その中から、おばあさんにむくようなめがねをよっていましたが、やがて、一つのべっこうぶちの大きなめがねを取り出して、これを、窓から顔を出したおばあさんの手にわたしました。
「これなら、なんでもよく見えることうけあいです。」と、男はいいました。
窓の下の男が立っている足もとの地面には、白や、赤や、青や、いろいろの草花が、月の光をうけてくろずんで咲いて、におっていました。
おばあさんは、このめがねをかけてみました。そして、あちらの目ざまし時計の数字や、こよみの字などを読んでみましたが、一字、一字がはっきりとわかるのでした。それは、ちょうど、いく十年前の娘のじぶんには、おそらく、こんなになんでも、はっきりと目にうつったのであろうと、おばあさんに思われたほどです。
おばあさんは、大よろこびでありました。
「あ、これをおくれ。」といって、さっそく、おばあさんは、このめがねを買いました。
おばあさんが、お金をわたすと、黒いめがねをかけた、ひげのあるめがね売りの男は、たち去ってしまいました。男のすがたが見えなくなったときには、草花だけが、やはりもとのように、夜の空気の中ににおっていました。
おばあさんは、窓をしめて、また、もとのところにすわりました。こんどはらくらくと針のめどに糸を通すことができました。おばあさんは、めがねをかけたり、はずしたりしました。ちょうど子どものようにめずらしくて、いろいろにしてみたかったのと、もう一つは、ふだんかけつけないのに、きゅうにめがねをかけて、ようすがかわったからでありました。
おばあさんは、かけていためがねを、またはずしました。それをたなの上の目ざまし時計のそばにのせて、もう時刻じこくもだいぶおそいからやすもうと、しごとをかたづけにかかりました。
このとき、また外の戸をトン、トンとたたくものがありました。
おばあさんは耳をかたむけました。
「なんというふしぎな晩だろう。また、だれかきたようだ。もう、こんなに……。」と、おばあさんはいって、時計を見ますと、外は月の光に明かるいけれど、時刻はもうだいぶふけていました。

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