電信柱と妙な男
小川未明
ある町に一人の妙な男が住んでいた。昼間はちっとも外に出ない。友人が誘いにきても、けっして外へは出なかった。病気だとか、用事があるとかいって、出ずにへやの中へ閉じこもっていた。夜になって人が寝静まってから、独りでぶらぶら外を歩くのが好きであった。
いつも夜の一時ごろから三時ごろの、だれも通らない町の中を、独りでぶらぶらと歩くのが好きであった。ある夜、男は、いつものように静かな寝静まった町の往来を歩いていると、雲突くばかりの大男が、あちらからのそりのそりと歩いてきた。見上げると二、三丈もあるかと思うような大男である。
「おまえはだれか?」と、妙な男は聞いた。
「おれは電信柱だ。」と、雲突くばかりの大男は、腰をかがめて小声でいった。
「ああ、電信柱か、なんでいまごろ歩くのだ。」と、妙な男は聞いた。
電信柱はいうに、昼間は人通りがしげくて、俺みたいな大きなものが歩けないから、いまごろいつも散歩するのに定めている、と答えた。
「しかし、小男さん。おまえさんは、なぜ、いまごろ歩くのだ。」と、電信柱は聞いた。
妙な男はいうに、俺は世の中の人がみんなきらいだ。だれとも顔を合わせるのがいやだから、いま時分歩くのだ。と答えた。それはおもしろい。これから友だちになろうじゃあありませんかと、電信柱は申し出た。妙な男は、すぐさま承諾していうに、
「電信柱さん、世間の人はみんなきらいでも、おまえさんは好きだ。これからいっしょに散歩しよう。」といって、二人はともに歩き出した。
しばらくすると、妙な男は、小言をいい出した。
「電信柱さん、あんまりおまえは丈が高すぎる。これでは話しづらくて困るじゃないか。なんとか、もすこし丈の低くなる工夫はないかね。」といった。
電信柱は、しきりに頭をかしげていたが、
「じゃ、しかたがない。どこか池か河のふちへいきましょう。私は水の中へ入って歩くと、おまえさんとちょうど丈の高さがおりあうから、そうしよう。」といった。
「なるほど、おもしろい。」といって、妙な男は考えていたが、
「だめだ。だめだ。河ぶちなんかいけない。道が悪くて、やぶがたくさんあって困る。おまえさんは無神経も同然だからいいが、私は困る。」と、顔をしかめて不賛成をとなえだした。
電信柱は、背を二重にして腰をかがめていたが、
「そんなら、いいことが思いあたった。おまえさんは身体が小さいから、どうだね、町の屋根を歩いたら、私は、こうやって軒について歩くから。」といった。
妙な男は、黙ってうなずいていたが、
「うん、それはおもしろそうじゃ、私を抱いて屋根の上へのせてくれ。」
と頼みました。
電信柱は、軽々と妙な男を抱き上げて、ひょいとかわら屋根の上に下ろしました。妙な男は、ああなんともいえぬいい景色だと喜んで、屋根を伝って話しながら歩きました。するとこのとき、雲間から月が出て、おたがいに顔と顔とがはっきりとわかりました。たちまち妙な男は大きな声で、
「やあ、おまえさんの顔色は真っ青じゃ。まあ、その傷口はどうしたのだ。」と、電信柱の顔を見てびっくりしました。
このとき、電信柱がいうのに、
「ときどき怖ろしい電気が通ると、私の顔色は真っ青になるのだ。みんなこの傷口は針線でつつかれた痕さ。」といいました。
すると、妙な男は急に逃げ出して、
「やあ、危険! 危険! おまえさんにゃ触れない。」といったが、高い屋根に上がっていて下りられなかった。
「おい小男さん、もう夜が明けるよ。」と、電信柱がいった。
「え、夜が明ける? ……」といって、妙な男は東の空を見ると、はや白々と夜が明けかけた。
「こりゃたいへんだ。」といいざま、電信柱に飛びつこうとして、またあわてて、
「や、危険! 危険!」と、後じさりをすると、電信柱は手をたたいて、ははははと大口開けて笑った。
「小男さん、私は、こうやっていられない。夜が明けて人が通る時分には、旧のところへ帰って立っていなければならんのだ。おまえさんは、独りこの屋根にいる気かね。」と、電信柱はいった。
妙な男は困って、とうとう泣き出した。かれこれするうちに、人が通り始めた。電信柱は、とうとう帰る時刻を後れてしまって、やむをえず、とてつもないところに突っ立って、なに知らぬ顔でいた。妙な男は独り、
「おい、おい、電信柱さん、どうか下ろしてくれ。」と拝みながらいったが、もう電信柱は、声も出さなけりゃ、身動きもせんで、じっとして黙っていた。通る人々は、みんな笑って、
「こりゃ不思議だ、あんな町の真ん中に電信柱が一本立っている。そして、あの屋根にいる男が、しきりと泣きながら拝んでいる。」
といって、あっはははと笑っていると、そのうちに巡査がくる。さっそく妙な男は、盗賊とまちがえられて警察へ連れられていきましたが、まったくの盗賊でないことがわかって、放免されました。それからというものは、妙な男は夜も外へ出なくなって、昼も夜もへやに閉じこもっていました。そして、その電信柱も、いろいろ世間でうわさがたって、もう夜の散歩はやめたということであります。
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