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天女とお化け(2)
日期:2022-11-26 23:56  点击:215
 
 ある秀吉ひできちは、ケーにいわれるまま、かれいえあそびによったのでした。学校がっこうでもケーは、よくできるという評判ひょうばんでした。教師きょうしケーにたいしては、秀吉ひできちとは反対はんたいで、かれつきは、いつも柔和にゅうわであり、ときには、こびるように、やさしい言葉ことばをかけるとさえおもわれることもありました。秀吉ひできちケーについて、よくふききよめられた玄関げんかんはいると、ひやりとした空気くうきかんじました。
かたわらには患者かんじゃひかしつがあって、そこをぬけると、薬品やくひんのにおいのする診察室しんさつしつがあり、ならんで座敷ざしきになっていました。秀吉ひできちは、ケーきゃくという資格しかくで、案内あんないされるまま、おくにあるケー書斎しょさいへみちびかれました。そのさい座敷ざしきのうすぐらいとこにおいてあった、うつくしいをひろげたおおきなとりに、をうばわれたのであります。
きみ、あのとりは、なんというのかい。」と、秀吉ひできちは、ともだちのつくえのそばにすわると、すぐたずねました。
「あのとりを、まだらないの。孔雀くじゃく剥製はくせいなんだよ。」と、ケーこたえました。
「ほんとうに、きれいなとりだね。どこにすんでいるのだろうね。」
「なんでも、南洋なんようあつくににいるというよ。」
「どうやって、らえるのだろうね。」と、かれは、それから、それへと、空想くうそうしてききました。
「しかしきみ、あののいちばんきれいなところが、大毒たいどくなんだというよ。」と、ケーは、秀吉ひできちにいいました。
「あの紫色むらさきいろにぴかぴかひかるところなの。」と秀吉ひできちは、おもわずをかがやかしたのです。
「ああ、そういうはなしだよ。」
「なめればぬかしらん。」と、秀吉ひできちは、いいました。
「それは、ぬだろう。しかし、もう置物おきものにされてふるいのだから、あてにならんが、それより、もっとおそろしい毒薬どくやくたことがあるよ。ただただけでは、つまらんしろこなさ。一グラムの、いく百ぶんの一でも、それをなめると、けものでも、人間にんげんでも、ぬのだから。」と、ケーがいいました。
「そんな、おそろしいくすり、ぼくたいものだな。」と、秀吉ひできちは、ためいきをつきました。
うちにあるけれど、おとうさんが、子供こどもなんかの、るものではないと、厳重げんじゅうだなにしまってあるんだよ。」と、ともだちはこたえました。
「このあいだ、学校がっこうへおかあさんがばれて、ぼくちいさいときに、脳膜炎のうまくえんをやったのではないかと、いたそうだよ。」と、かれ正直しょうじきに、ケーにつげると、ケーきなおって、
「あのはげあたまがかい。なんで、敏感びんかんきみが、ばかなもんか。はげあたまこそ、大酒おおざけのみの酒乱しゅらんなんだよ。よくPTAピーティーエー会員かいいんいえで、へべれけになるんだそうだ。」と、いって、ケーわらいました。秀吉ひできちかえるとき、ケー玄関げんかんまでおくってながら、薬室やくしつまえをいきかけて、
きみ、あすこに、どくろのしるしのついただながあるだろう。さっきいった毒薬どくやくのびんが、あのなかに、はいっているのだよ。」と、ゆびさしました。
秀吉ひできちは、灰色はいいろのどくろのに、なにか特別とくべつむねにせまるするどいものをかんじました。
ちょうど、そのころのことでした。まちへささやかな教会堂きょうかいどうがたてられました。ちかくの子供こどもたちや、めぐまれない家庭かていおんなたちが、日曜日にちようびごとに、おいのりにあつまって、牧師ぼくしのお説教せっきょうをきいたのであります。
牧師ぼくしというのは、おんな外国人がいこくじんでありました。そのしたに、日本人にっぽんじん信者しんじゃがいて、いろいろの世話せわをしたり、なにかと教会きょうかいのめんどうをみながらはたらいていました。一人ひとり青年せいねんは、かみのちぢれた、やせ姿すがた芸術家げいじゅつからしく、もう一人ひとりは、うつくしいおじょうさんでありました。平常へいじょうおんなのほうは、子供こどもらとオルガンにあわせて、讃美歌さんびかをうたい、また希望者きぼうしゃ英語えいごおしえたりしました。そして、青年せいねんのほうは、子供こどもらに、手工しゅこうのけいこをしたり、自由画じゆうがをかかせたりしました。
ある、このわかおとこ先生せんせいは、子供こどもがならんでテーブルにかっているまえへ、クレオンとかみをくばって、
「なんでもたこと、またおもったことを、自由じゆうにして、かいてみたまえ。」といいました。
秀吉ひできちは、なにをかいたらいいものか、自由じゆうという意味いみが、よくわからなかったのです。いつも学校がっこうでは、教師きょうし問題もんだいして、それにこたえるようにおしえられていました。せんぽんでも、まちがってはならぬのでした。だから、自分じぶんでは熱心ねっしんにかいたつもりでも、めいめいのものとくらべて、よいわるいをきめられるので、いつも、ほめられるのは、ごろ成績せいせきがいいとされているものにかぎっていました。秀吉ひできちなどは、どの科目かもくも、ほめられたことはなかったのです。

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