つばめと魚
小川未明
そこは、町のにぎやかな通りでありました。ある店の前へ子どもがあつまっていました。ちょうどきかけたつばめは、どんなおもしろいものがあるだろうと自分もおりてみました。店には、金魚や、めだかなど、いろいろならべてあったが、その中でも、ガラスのいれものにはいった熱帯魚がめずらしいので、みんなは、この前に立って、美しい姿に見とれていました。
「なあんだ、あの魚たちなら、おれはよく知っているぞ。それにしても、よくこんな遠方まで渡ってきたもんだな。」と、つばめは、屋根のあたりを飛びながら、いいました。
ピイチク、ピイチク、つばめがしきりとなくので、ガラスばちの魚も、なんだかききおぼえのある声と思ったのでしょう。上を仰ぐと、つばめは、
「人のいないときに、またまいりますよ。」といって、飛び去りました。それから、じきに、またつばめは、やってきました。
「やあ、お達者でけっこうなことです。どうして、こんなところへきましたか。でもりっぱなうちにはいって、きれいな砂をしいてもらい、そのうえおいしそうな餌がたべられておしあわせではありませんか。」と、つばめは、魚たちに、いいました。
「そうおっしゃれば、まあしあわせですよ。なにしろ、みんなが私たちを、金魚よりきれいだといって、ほめてくれますし、めずらしいので、貴重品あつかいにして、価も高くつけ、大事にしてくれますから、くにに、いたときのことを考えれば、くらべものになりませんよ。」と、熱帯魚は、答えました。
「まったく、あちらにいては、あなたたちの、きれいなのが、めだちませんでしたものね。」
「いったい、くにの人は、ほんとうに美しいものを、見る目がないんですよ。」と、一匹の魚が、いきごんでいいました。
「そうばかりではありません。あちらの自然が、きれいなのです。花でも、虫でも、日の光から、水の色まで、なにもかも、赤・緑・青・黄というふうに目のいたくなるほど、色がこいのですから、あなたたちがめだたぬのも無理はありません。」と、つばめはさとしました。
「こんなに、のんきに、暮らされれば、くにへなど、かえりたくありません。」と、ほかの一匹がいいました。
そのとき、青い顔色の少年が、疲れているらしく、重そうな歩きつきをして、あちらからきました。つばめは、それと同時に、飛び去りました。
少年は金魚をちょっと見ただけで、やはり、熱心に熱帯魚をながめていました。そして、心からそう思うもののごとく、
「いいな、こんな魚たちは、なんにも知らずに、のらり、くらりと、ただ食べて、泳いでいられて、おれたちは、病気で、仕事を一日休むのも、容易でないんだからな。」と、ひとりごとをいいました。
たとえ、それが事実であっても、この世の中では、まだ少年に真に同情するものがなかったのです。少年は、また重そうに病める足を引きずりながら、歩いていきました。
日が暮れると、このごろは毎晩のように、いい月が出ました。月は町の家々を照らして、戸のすきまからのぞきこみました。
「こんな月を見ると、さすがに、くにを思いだすな。」と、熱帯魚の一匹が、いいました。
「あのジャングルを流れる、おれたちのすんでいた川をてらすだろうか。」と、ほかの一匹も、月をながめました。
「しかし、こういう月夜に、私たちは、よくあの怖ろしいへびにねらわれたものだ。それを考えると、二度と、あの川へ帰りたいと思わない。」
「そうだけれど、おれたちのきょうだいが、あすこにいるだろう。つばめさんが帰るとき、ことづてを頼もうじゃないか。」と、魚たちは、清らかに、月のさし込む、ガラスばちの中で話をしていました。月ばかりは、昔から、今日まで、なにを見ても、悲しむこともなければ、また喜ぶこともなかったのです。さながら、つんぼで、おしの女のように、ただ、じっと、この世の中の有り様をみつめているばかりでした。
ある日、つばめは、カンナの花や、さるすべりの花が、赤々と咲いている、公園を飛んでいて、ふと魚たちのことを思い出しました。
「そうだ、私は近いうちに、南の国へ旅だつが、あの魚たちは、その後どうしているだろうか。」
つばめはそう思うと、すぐ町の店へやってきました。すると、いつか熱帯魚のはいっていたガラスのはちには、ふな、はや、たなごなどの、うす墨色をした、川魚の子が、はいっていました。
「もしもし、いつかの魚たちはどうしましたか。」と、つばめは、川魚の子に、ききました。
「ああ、あのきれいな魚さんたちですか、この店のおかみさんが、主人の留守に、水をかえるのを忘れて、みんな病気にしてしまい、おかみさんは、たいそうしかられましたよ。」と、ふなが、おしえました。
「まあ、かわいそうに、そしてどうしましたか。」と、つばめは、友の身の上をしんぱいしました。
「このおくの、別のいれ物へいれてあるようです。」
勇敢なつばめは、軒下をくぐって、店のおくまではいりました。はたして、魚たちはせとびきの容器にはいって、息苦しそうに、あふあふとあえいでいました。そして、つばめを見ても、ものがいえぬようすでした。つばめは、気の毒に思ったけれど、どうしていいかわからぬので、いくたびも、出たり、入ったりするばかりでした。
「ああ、ほかから与えられた幸福は、はかないものである。やはり、私は、自分の力だけを頼りとしよう。」と、つばめは、これを見て深く感じたのでありました。
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