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手風琴(1)
日期:2022-11-27 08:10  点击:240
 

手風琴

小川未明


秋風あきかぜきはじめると、高原こうげん別荘べっそうにきていたみやこひとたちは、あわただしくげるようにまちかえってゆきました。そのあたりには、もはや人影ひとかげえなかったのであります。
ひとり、むらをはなれて、やま小舎こや寝起ねおきをして、をきり、すみをたいていた治助じすけじいさんは自然しぜんをおそれる、まちひとたちがなんとなくおかしかったのです。おな人間にんげんでありながら、なぜそんなにさむかぜがこわいのか。それよりも、どうして、このうつくしい景色けしきかれらのにわからないのかとあやしまれたのでありました。
「これからわしの天地てんちだ。」と、じいさんはほほえみました。
いしうえこしをおろして、前方ぜんぽうていると、ちょうど、があちらの山脈さんみゃくあいだはいりかかっています。金色こんじきにまぶしくふちどられたくもの一だんが、そのまえはしっていました。先頭せんとうはたて、うまにまたがった武士ぶしは、けんたかげ、あとから、あとから軍勢ぐんぜいはつづくのでした。じいさんは、いまから四十ねんも、五十ねんまえ少年しょうねん時分じぶん戦争せんそうごっこをしたり、おにごっこをしたりしたときの、自分じぶん姿すがたおもしていました。
やまへはいりかかった、あかが、今日きょう見収みおさめにとおもって、半分はんぶんかおして高原こうげんらすと、そこには、いつのまにか真紅まっかいろづいた、やまうるしや、ななかまどののように点々てんてんとしていました。
紺碧こんぺきれていくそらもと祭壇さいだんに、ろうそくをともして、いのりをささげているようにもられたのです。
「よく剣ヶ峰けんがみねおがまれる。」と、じいさんは、かすかはるかに、千ゆきをいただく、するどきばのようなやまかってわせました。
それから、治助じすけじいさんが、自分じぶん小舎こやにもどって、まだがなかったのでした。どこからか、かぜにおくられて手風琴てふうきんがきこえてきたのでした。
「まだ、別荘べっそうにいるひとたちででもあるかなあ。」
じいさんは、みみかたむけました。それにしてはなんとなく、そのは、真剣しんけんかなしかったのです。
そのとき、小舎こやぐちったのは、やぶれた洋服ようふくをきて、かばんをかたにかけ、手風琴てふうきんったいろくろおとこでした。
たことのあるひとのようだな。」と、じいさんがおとこかおをながめていいました。
むらへ、二、三きたことがあります。田舎いなかをまわってある薬売くすりうりですよ。」
「ああ、薬屋くすりやさんか、すこしやすんでゆきなさい。」と、じいさんがおとこ小舎こやなかへいれました。
おとこは、このむらへはいってくるのには、いつも、あちらのやまえて、しかも、いま時分じぶん高原こうげんとおってくるのだということをはなしました。
「どんな、くすりりなさるのだ。」
じいさんがきくと、おとこは、いろいろ自分じぶんっているくすりについてはなしたのです。
わたしが、いのちがけでやまのぼってったくさつくったもので、いいかげんなまやかしものではありません。一ぽんのにんじんをとりますのにも、つなにぶらさがって、いのちをかけています。またこのくまのいは、自分じぶんふゆりょうったもので、けっして、ほかからけてきたものでありません。だから、このくすりんできかないことはない。わたしは、うそをいったり、いつわったりすることができぬ性分しょうぶんです。病気びょうきになってくるしんでいるひとたちに、わかりもしないめったのものをやれましょうか。いまは、ひとをだましてもわるいとおもわなければ、んでそのくすりがきかなくてんでも、どくにさえならなければかまわぬといったなかです。わたし親父おやじ薬取くすりとりでした。そして、いのちがけでってくすりってあるいて、一しょう貧乏びんぼうおくりました。わたし子供こども時分じぶんから山々やまやまがって、どこのがけにはなにがはえているとか、またどこのたににはなんのくさが、いつごろはないて、むすぶかということをよくっていました。親父おやじは、薬売くすりうりは、ひといのちにかかる商売しょうばいだから、めったなものをあるくことはできない。自分じぶんってつくったものなら安心あんしんしてることができるといっていましたが、わたしが、またんだ親父おやじ後継あとつぎをするようになりました。この手風琴てふうきん親父おやじってあるいたものです。」
 

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11/15 07:46