これを
聞くと、おじいさんは、
炉の
中に
松葉をたき、
上から
釣るした
鉄びんをわかしにかかりながら、
「
来年から、この
道をバスが
通るというこった。それで、いまのうち、はやく
前へ
停留場の
着くよう
運動をしろと、さっき
助役さんがいらしていわしたが、おまえも
知るとおり、おらも、だんだん
年をとるだし、いっそせがれの
許へいったほうがいいかとも
考えてな。」と、しんみりとした
調子で、
語りました。
年とった百
姓は、
下を
向き、
青い
煙をただよわして、
燃える
火をじっと
見て、きいていましたが、
「なにしろ、
親ひとり、
子ひとりだもの、いっしょに
暮らすに
越すことはない。だが、
生まれたときから、
住みなれた
土地だもの、ここをはなれかねるおまえの
心持ちはよくわかる。どっちでも、よく
思案して、
好きなようにするがいいぜ。しかし、この
道をバスが
通るので、
商売が
成り
立たぬという
心配なら、しないがいい。バスに
乗る
人はきまっている。
毎日、
荷を
負って、
町へ
出たり
入ったりするものが、そんなものに
乗れっこない。それに、
雪が
降れば、
車など、
通りたくても、
通れっこない。ここは、
冬のほうが、
休む
人が
多いんだから、
先越し
苦労をさっしゃるな。
停留場なんか、どこへ
着いてもいいという
気で、
成り
行きにまかしておかっしゃい。また、どんなことがあろうと、おまえ
一人ぐらい、わしらが、
困らしはしない。」といって、おじいさんをなぐさめました。
「このくらいで、かんはどうだろう?」
おじいさんが
徳利を
上げてつぐのを百
姓はうけ、
口へ
入れて、
首をかしげました。
「もうちっと、あつくするかい。」
「いや、ちょうどいい。ああ、おまえがいけるなら、いっしょにやりたいと、いつもおらあ、ざんねんに
思うだよ。」
「なあに、そうして、
気持ちよく
飲んでもらえれば、わしも
酔ったように、うれしくなるぜ。」
二人は、
親しく
話しながら、
開いている
障子の
間から、ほんのりと
明るく
暮れていく
山の
方をながめていました。
その
翌日は、にわかに
天気が
変わりました。
朝のうちから
木枯らしが
吹きつのり、
日中も
人通りが、
絶えたのです。おじいさんは
早くから
戸を
閉めてしまいました。
まだ、
外の
空は、
幾分明るかったけれど、
家の
内は、
灯をつけると、
夜の
更けたごとく、しんとしました。このときトン、トン、と
戸をたたく
音がしました。
おじいさんは、
風の
音だろうと、はじめは
気にとめなかったが、つづいて、トン、トンと、
音がきこえるので、だれかきたのだとさとりました。
ふと、きつねの
出るうわさが、
頭へ
浮かんだので、おじいさんは、いっそう
用心しながら、
戸の
方へ
近づきました。
「なんのご
用かな。」と、
内から
大きな
声でききました。
「お
閉めになったのを、すみません。」
そう、いったのは、やさしい
女の
声でした。おじいさんは、ますます、
不審に
思い、
戸を
細めに
開けて、
外をのぞきました。
すると、そこには、
小さな
男の
子をつれた、まだ
若い
女の
人が
立っていました。ようすで、
旅のものであるとわかります。
「もう、だれもこないと
思いまして、
早くしめました。」
「すみません、お
芋か、かきでも、なにかたべるものがありましたら。」と、
女は、いいました。
「はい、ありますが。」と、おじいさんは、
戸をからりとあけました。
「すこし
入ってお
休みなさっては。どちらへ、おいでなさるのですか。」と、おじいさんは、たずねました。
「この
先の
村へいくのですが、
汽車がおくれて
着きまして、それにはじめての
土地なもんで、
聞き、
聞き、まいりました。
子供が、もう
歩けないからというのを、なにかあったら、
買ってあげようといい、いい、
元気づけてきました。」
おじいさんは、
奥から、かきと
芋を
盆にのせて
持ってきて
女に
渡し、
別にゆでたくりを
一握り、それは、
自分から
子供の
両手へ
入れてやりながら、
「それは、それは、おたいぎのことです。ここから、もう
一息のお
骨おりですが、
道はよろしゅうございます。それではすこしでもお
早く、
明るいうちに、いらっしゃいまし。」といいました。そして、
心では、だれか、
村の
青年で、
他郷に
家を
持ったものの
女房であろうと
思いました。
「お
世話になりました。」と、
女は、
礼をいって、
子供の
手を
引き、
風の
中をうす
暗くなりかけた
道へ
消えていきました。
しばらく、
戸口に
立って、
見送っていたおじいさんは
自分にも、あちらでせがれの
結婚した
嫁のあることを
思いました。
「いつ、ああして、
訪ねてこないものでもない。」
もし、そのとき、
町から、
村へ、バスが
通っていたら、どんなになるか、
便利なことであろう。そう、
考えると、このときまで、
頭の
中にあった、
商売上のことや、一
身の
損得などということが一しゅんに
落ち
葉のごとく
吹き
飛んでしまって、ただ
世の
中の
明るくなるのが、なにより
喜ばしいことであるように
感じられ、また、
多くの
人たちがしあわせになるのを、
真に
心から
望まれたのでありました。
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