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銅像と老人(2)
日期:2022-11-27 08:35  点击:268
 
そのばん、おじいさんは、うちにいて、正坊しょうぼう相手あいてにして、はなしをしているゆめました。
けると、いい天気てんきでした。そして、あつくなりそうでした。しかし、おじいさんは、電車でんしゃにもらず、まちなか見物けんぶつして、上野うえのほうしてきたのです。たかくつづいた石段いしだんんで、上野うえのやまのぼると、東京とうきょうまちが、はてしなく、したに、おろされました。しばらく、そこでおじいさんは、あたりをながめていました。
西郷さいごうさんの銅像どうぞうは、どちらでございますか?」と、おじいさんはひとにたずねました。
「あれですよ。」と、そのひとは、わらって、あちらのほうゆびさしました。そのひとは、田舎いなかから、見物けんぶつてきたのだなとうなずいて、おじいさんのようすをながめてりました。
「なるほど。」と、おじいさんは、銅像どうぞうあてにあるいてゆきました。そして、こころなかで、
「これが、えらいおかた銅像どうぞうかな……。」と、つぶやいたのです。
ちょうどこのとき、銅像どうぞうしたのところで、ひとだかりがしてわいわいといっていました。田舎いなかしずかなところに生活せいかつしたおじいさんには、何事なにごとめずらしかったのでした。
おじいさんは、銅像どうぞうからはなすと、そのひとだかりのほうって、かたかたあいだけるようにして、のぞいてみたのでした。すると、ちいさなおとこが、迷子まいごになったとみえて、かなしそうに、こえをあげていている。それを巡査じゅんさがすかしたり、なだめたりしていたのでありました。
これをると、おじいさんは、びっくりして、「正坊しょうぼうじゃないか……。」といって、もうすこしでそうとしたのです。

清水良雄しみずよしお[#「清水良雄しみずよしお」はキャプション]

「しかし、まごが、どうして一人ひとりで、こんなところへきているはずがあろう……。」と、おじいさんは、すぐにおもかえした。けれど、ればるほど、かわいい正吉しょうきちに、としごろから、あたまかっこうまでよくていたのでした。
「かわいそうに、どうしたということだろう……。」
おじいさんは、故郷こきょうにいるまご姿すがたえがきました。すると、いつのまにか、そのにはあつなみだが、いっぱいたまっていました。
迷子まいごは、おまわりさんにつれられて、あちらへゆきました。そのあとから、ぞろぞろと人々ひとびとがついてゆきます。
「どこへゆくのだろう?」
おじいさんは、まだ、なんとなく、その子供こどもこころかれたので、自分じぶんもみんなといっしょにあとからついてゆきました。
いつしか、石段いしだんりて、電車でんしゃとおっているほうへまごついてゆきました。おじいさんのあたまなかは、
「どこのだろう……かわいそうに。そして、おやたちは、また、なんという不注意ふちゅういなんだろう……。うちの正坊しょうぼうは、いまごろどうしているかしらん……。」ということで、いっぱいでありました。
おじいさんは、どこまで、自分じぶんは、ついてゆくのだ? ということにがつきました。そのときは、まちなかにきていたのです。ふたたび、上野うえのやまのぼにもなれず、宿やどかえってまいりました。
天気てんきぐあいはいいようだが、たんぼのものは、いまごろどんなになったろう?」と、故郷こきょうのことがかんがえられました。おじいさんは、土産物みやげものなどをって、かえりをいそいだのでありました。
やがて、おじいさんは、むらかえってみんなとくつろいで、はなしをしていました。
「おじいさん、西郷さいごうさんの銅像どうぞうをごらんになりましたか。」と、せがれがたずねた。
「おおてきたとも……。」と、おじいさんはこたえた。
いぬをつれていられるといいますが。」
いぬか……。」
ちいさないぬですか?」
おじいさんは、それをなかったのでした。西郷さいごうさんのかおも、ちょっとたばかりで、迷子まいごのほうにをとられたのでした。子供こどものようすが、まご正吉しょうきちに、あまりよくていたので……銅像どうぞうのことなどわすれてしまった。そして、もう一よく、銅像どうぞうようとおもっているうちに、まちてしまって、それきりになってしまったのです。
いぬは、なかったな……。」
「そんなに、ちいさないぬですか?」
こんなはなしをしていると、あそびにきていた、近所きんじょおとこは、二、三ねんまえ東京とうきょうへいって、よく西郷さいごう銅像どうぞうてきたので、
「なに、あれがはいらないはずがないのだがなあ……。」と、そばであきれたかおをしました。
「おじいさんは、なにをてきなすったのだろう……。」と、せがれの女房にょうぼうはいって、おかしがりました。
おじいさんは、さすがにきまりのわるおもいをしました。これをた、せがれは、いくら達者たっしゃのようにえても、としをとられて、もうろくなされたのかしらんと、老父ろうふうえあんじて、なんとなくそれからはなしもはずまず、物悲ものがなしくなったのです。
そののち、おじいさんが、上野うえの公園こうえんで、迷子まいごて、それがまごていたということを物語ものがたったとき、家内かないのものははじめて、銅像どうぞうをよくなかった理由りゆうがわかって、それほどまでに、まごおもっていてくださるかということと、おじいさんは、まだもうろくされたのでないということをって、おおいによろこんだのであります。
 

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