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都会はぜいたくだ(1)
日期:2022-11-27 08:42  点击:270
 

都会はぜいたくだ

小川未明


デパートのたか屋根やねうえに、あかはたが、おんな子供こどものおきゃくぶように、ひらひらとなびいていました。おかねは、わかい、うつくしいおくさまのおともをしてまいりました。
そこには、なんでもないものはありません。みるもの、すべてが、めずらしいものばかりでした。
東京とうきょうてきてから、おくさまにつれられて、方々ほうぼうあるくたびに、田舎いなかのさびしいところではたらいてらす、おともだちのことをおもわぬことはなかったのです。
「おつねさんなんか、こんなにぎやかなところはらないのだ……。」とおもうと、青々あおあおとした田圃たんぼなかっている、ともだちの姿すがたがありありとられました。
えん、二千えんというふだのついた、ダイヤモンドの指輪ゆびわが、装飾品そうしょくひんにならべてありました。それをただけでもびっくりしたのです。また、食料品しょくりょうひんっている場所ばしょには、とお西にしくにからも、みなみくにからも名物めいぶつあつまっていました。そして、それにもたか値段ねだんがついていました。
「まあ、こんなたかいものを、東京とうきょうには、べるひとがあるのだろうか?」と、うたがわれたのであります。
「おかねや、おまえのくに名物めいぶつには、どんなものがあって?」と、おくさまは、ふりかえって、かれました。
おかねは、なんだろう? とおもいました。小学校しょうがっこうにいる時分じぶん地理ちり時間じかんに、自分じぶんくに名産めいさんをいろいろおしえられましたが、この東京とうきょうにまでされているような名物めいぶつらなかったのでした。
「わかりません。」と、みみあかくしながら、こたえるよりほかなかったのです。
あるくうちに、相模川さがみがわのあゆや、八郎潟ろうがたのふなまで、ならべられてありました。
「まあ、川魚かわうおまでが、方々ほうぼうから、汽車きしゃおくられてくるのかしらん。」
このとき、彼女かのじょあたまに、弥吉やきちじいさんのかおかびました。じいさんは、川魚かわうおをとって生活せいかつしたのであります。どんなくらあめばんかけてゆきました。なんでも、あおいかえるをはりにつけて、どろぶかかわで、なまずをり、やまからながれてくる早瀬はやせでは、あゆをるのだというはなしでした。
なつあきふゆ、ほとんどおじいさんのやすはありませんでした。ちょうど百しょうこめつくるとおなじように、また、職工しょっこう器具きぐつくるとおなじように、うおをとるのも、一通ひととおりでないほねおりでありました。こころあるひとなら、だれでもこのようにしてつくられた、食物しょくもつはむだにし、また器具きぐ粗末そまつあつかうことをよくないとおもうでありましょう。
このおじいさんが、これほど、ほねをおってげたうおを、だれが、べるのだろうか? そうおもったことに、無理むりはなかったのです。
なぜなら、ゆきさむばんに、おじいさんは、かけてゆきました。むら子供こどもらは、まどそとさけぶあらしのおとみみまして、幾枚いくまい蒲団ふとんをかぶっても、まだふるえがちにちぢこまっているのに、おじいさんはかけなければなりませんでした。
かわうえにはゆきもっていました。そして、そのしたながれは、まっていました。おじいさんはゆきこおりやぶると、そのしたに、くろみずがものすごく、じっと見上みあげています。おじいさんは、カンテラのみずおもてらしました。これは、ねむっているうおせるためであります。
もうながあいだあななかに、または、ふか水底みずそこねむって、はるのくるのをっていたさかなたちは、ふいにあかるくなったので、びっくりしました。
「なんだろうな。」
つきでないかしらん?」
ゆきもっているのに、つきのさすはずがないじゃないか。」
「でも、あかるく、なにか、みずらしているようだ。」
「それにちがいない。おれたちは、もうながあいだねむった。いつのまにか、ゆきえてはるになったのでないだろうか。」
「そんなことはない。まだ、みずが、こんなにつめたい。そして、どこにもはるらしい気分きぶんはこない。こんなわったことのあるときは、要心ようじん必要ひつようなのだ。」
「どれ、かけて、みとどけてこよう。」
「それがいい。それがいい。」
さかなたちは、半分はんぶんおそれながら、ちらちらうごく、カンテラのほうちかづいたのです。あかはなが、かぜかれて、地面じめんをはいながらあたまるように、くらみずおもてにゆれていました。
「もう、だいぶ、さかなった時分じぶんだな。」
おじいさんは、手網てあみで、ふいにすくうこともあれば、またいとれてることもありました。
おかねばかりでない。むら子供こどもたちも、大人おとなも、ひとのいい弥吉やきちじいさんが、さかなをとる苦心くしんらないものはありませんでした。それですから、おじいさんのとったさかなは、いくらうまくても、むらのものは、もったいなくてべられないがしました。
おじいさんは、とったさかなは、ふなでも、なまずでも、またあゆでも、みんなまちっていってったのであります。
「おじいさん、いのちがけでとったかんぶなだ。いいれるだろう。」と、ひときますと、
「なんの、おかゆがすすられるだけのものです。」とこたえて、あたまりました。
「だれが、おじいさんのとった、さかなべるだろうか。」と、おじいさんにきますと、
「さあ、だれがべるものか、そればかりは、わしにもわからない。」と、おじいさんは、こたえたのでした。

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