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時計と窓の話(2)
日期:2022-11-27 08:42  点击:319
 
家いえへ帰かえると、さっそく、柱時計はしらどけいと、おき時計どけいの時間じかんを見みくらべてみました。やはり、十五分ふんばかりちがっていました。いままで、こんな研究けんきゅうをしなかったことにも、落おち度どがありました。
「おとうさん、あのおき時計どけいは、くるっていますね。」と、ぼくは、父ちちにむかっていいました。
「そうか。進すすむのか、おくれるのか。」と、父ちちは、聞ききかえしました。
「外国製がいこくせいの正確せいかくな時計とけいとばかり信しんじて、ラジオのほうをちがっていると思おもったのですが、いま見みると、やはり、おくれているんです。」
そう、ぼくがいうと、父ちちは、笑わらい出だして、
「そんなことをいうと、笑わらわれるよ。標準時ひょうじゅんじにあわせてあるので、ラジオのほうがいつも正ただしいのだ。この時計とけいをみがきにやって、長ながくかかったのも、そんなことだったろう。……時計屋とけいやでは、下したへ落おとしたことがないかといっていたから。それでなくても、長ながい間あいだには機械きかいがすれて、くるいがくるので、もう、昔むかしのように、直なおらないかもしれない。」
こう、聞きくと、私わたしのいままでのほこりと喜よろこびは、たちまちきえてしまいました。しかし父ちちはこういったけれど、まだ時計とけいに対たいして、いくらか未練みれんを持もっているようでした。
「時間じかんが正確せいかくでなければ、家宝かほうでも、なんでもありませんね。」と、ぼくがいうと、父ちちは、
「しかたがない。なんにでも、寿命じゅみょうというものが、あるからな。」と、さびしそうに、いいました。
「このごろは、日本にっぽんでも、いい時計とけいができるから、そのうち、新あたらしいのを買かってやる。」と、いって、さすがに、父ちちは、いつまでも価値かちのないものに、こだわるようすはなかったのです。
私わたしは、あまり、あきらめのいいのを、かえってものたりなくさえ感かんじました。
「おかあさんも、平和へいわな感かんじのするいい時計とけいだとおっしゃったが、ほんとうにおしいことですね。」と、父ちちにむかって、いうと、
「いや、時計とけいは、時間じかんを見みるものだ。かざっておく、こっとう品ひんではない。もうちっと、待まっておいで、いいのを買かってやるから。その前まえに、おまえのへやを直なおしたいと思おもっているのだ。」と、父ちちが、いいました。
それというのは、ことし三年生ねんせいになった妹いもうとが、まだ自分じぶんのすわる机つくえを持もっていないので、いつも茶ちゃの間まのちゃぶ台だいや、えんがわで、かばんから本ほんを出だして、勉強べんきょうしているのを見みて、母ははは、かわいそうに思おもって、
「よし子こちゃんにも、一つ机つくえを買かってやらなければ。」と、いったことがありました。父ちちも、
「正吉しょうきちのいる、四畳半じょうはんで、二人ふたりが勉強べんきょうするにはすこし暗くらすぎるから、新あたらしく窓まどをつけてやりたい。」と、母ははに話はなしているのを聞ききました。
「時計とけいよりか、へやの明あかるくなるほうがうれしいです。」と、ぼくは、いって、なぜ早はやく、妹いもうとのことを考かんがえてやらなかったろうと、自分じぶんをはずかしく感かんじました。
「大工だいくのつごうで、すぐにしてやるよ。」と、父ちちがいいました。思おもいがけない二つの喜よろこびが、一時じにやってきたようで、私わたしの胸むねはおどりました。
「こんなに、私わたしたちのことを思おもってくださるのか。」と、心こころのうちで感謝かんしゃしたのです。
東ひがしにしか窓まどがなかったのを、西にしにも窓まどがつくと、同おなじへやとは信しんじられないほど、明あかるくなりました。しかも、その窓まどからは、これまで見みられなかった森もりや、電信柱でんしんばしらや、遠とおくの高たかい煙突えんとつまでが、さながら、油絵あぶらえを見みるように目めにうつったのです。この新あたらしい風景ふうけいは、ぼくの気持きもちを、どんなに引ひき立たたせたかしれません。
「これから、うんと、勉強べんきょうができるぞ!」
「にいちゃん、ごらんなさい。あんなに雲くもがきれいだこと。」と、妹いもうとが、森もりのいただきをさして、呼よびかけました。
「あ、きれいだね。よし子こちゃん、クレオンで、あの雲くもを写生しゃせいしてごらんよ。」と、ぼくは、心こころが空そらへむかって、とび立たつ思おもいがしました。
こうして、いきいきとした自然しぜんを見みると、たとえ、どんな平和へいわな景色けしきでも、時計とけいについている動うごかないかざりを、感嘆かんたんして見みる気きがしなかったのでした。それに、時間じかんが不正確ふせいかくとわかると、そばにおく気きはもうなかったのです。
「こんどは、いい時計とけいが、早はやくほしいな。」と、ぜいたくと知しりながら、妹いもうとにむかって、私わたしは、希望きぼうを話はなしたのでした。
この希望きぼうも、たちまち達たっせられたのは、十何年なんねんか前まえに、父ちちが、おき時計どけいを買かった、古道具屋ふるどうぐやの主人しゅじんが、有田焼ありたやきの大おおきな丸火鉢まるひばちを、とどけてくれたからでした。
「ご苦労くろうさま。」と、母ははは、ねぎらいました。
父ちちは、おくから出でてきて、
「この時計とけいですよ、覚おぼえがありませんか。公使こうしの方かたが持もち帰かえられたとかいうのですが。」と、主人しゅじんに見みせました。
「そんなことがありましたかな。十年ねんといえば、いや、私わたしだって、このとおり頭あたまがはげましたから、時計とけいが、いたむのもむりはありません。このごろ、日本製にっぽんせいでいいのができました。このさい、おとりかえなさるほうが、およろしいかもしれません。」と、主人しゅじんはいいました。
「こんなになっても、買かう人ひとがありますか。」と、父ちちが聞ききました。
「それが、おかしなもので、外国製がいこくせいというので、買かっていく人ひとがありますから。」と、主人しゅじんは笑わらいました。
「ただ、かざりにするなら、この時計とけいは、りっぱなもんだ。」と、父ちちも、笑わらいました。
主人しゅじんが時計とけいを持もちさってしまってから、わずか二日ふつかばかりの内うちに、父ちちは、日本製にっぽんせいの新あたらしい目めざまし時計どけいを買かってきてくれました。いかにも、はりきっていて、元気げんきよく、めざまし時計どけいは、シャン、シャン、と、ひびきをへやじゅうにたて、黒くろい針はりは、数字すうじの上うえをまことに正確せいかくにさしたのでした。
「このほうが、いいわ。私わたしたちまで元気げんきになったようね。」と、妹いもうとが、光ひかった時計とけいを見上みあげて、いったのです。
「そうだね、ぼくたちまで、ぼやぼやするなと、いわれているようだね。」と、私わたしが、いうと、
「やはり、外国製がいこくせい?」と、妹いもうとが聞ききました。
「むろん、日本製にっぽんせいさ。それだから、外国がいこくにまけるな、むだに時ときをすごされないぞと、いっているじゃないか。」と、私わたしは答こたえて、いま日本にっぽんが貧乏びんぼうで苦くるしいのを妹いもうとに説明せつめいして、昔むかしのようにふたたび立たち上あがるのには、ぼくたちが、しっかりしなければならぬのを、教おしえてやりました。

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