そうすれば、わたくしは、あの
人にもうあえないのかと、さびしく
思いました。
車は
遠くに
見えた、あの
森をいつのまにか、うしろにして、
町へ
出たのでした。はじめて、あの
花火は、こんど、
新しく、
町を
電車が、
通ったので、その
祝賀会がもよおされるためとわかりました。ほかにも、
舞台がつくられて、
女の
子の
手踊りなどあってにぎやかでした。わたくしたちは、
人だかりの
間をわけてすぎると、
東京音頭のレコードがなりはじめて、
赤い
着物のひらひらするのが、
目にはいりました。おじさんは、
町にはいる
時分から、かけていた、
黒い
眼鏡を、はずしました。
道の
右がわや、
左がわを
見ながら、
車は、しばらく、
速力をゆるくして、いきました。
ある
停留場のそばには、たくさんの
露店が
出ていました。なかには、まごいと、ひごいの
生きたのをたらいに
入れて、
売っていました。どこから、こんな
魚を
持ってくるのだろうと、わたくしは、はやく
川へいって、
釣りのできるころになればいいと
思っていました。
こんなことを
思っているときでした。
あちらを、
鈴木くんが、おかあさんと
歩いているのが、
目にはいりました。
彼は、
去年まで、おなじ
学校にいて、わたくしと
同級生だったのです。なんでも、
彼のおとうさんは、まだ
帰還しないで、おかあさんと
二人が、
苦しい
生活をしているとかで、
彼は、
学校へくるまえに、
新聞の
配達をすますそうです。よく
遅刻しても、
先生はわけをよく
知っているので、だまっていました。
運動場の
水たまりに、
白い
雲のかげがうつる
秋のころでした。
彼の
家がひっこすので、
転校しなければならぬといって、みんなに
別れをつげました。その
後、わたくしは、ときどき、
鈴木くんのことを
思いだしたが、いま、そのすがたを
見るのです。
彼は
新しいぼうしをかぶり、
手に、
大きな
買い
物のつつみをかかえていました。そして、なんとなく、
幸福そうでした。
「きっと、おとうさんがぶじに
帰られたのだろう。」
わたくしは、どうか、そうであってくれればいいと
思いました。じき、
彼のすがたは、
人ごみの
中にまぎれて、
見えなくなりました。
「おじさんは、
戦争へは、いかなかったの。」と、わたくしは、
聞きました。
「いかぬことがあるものか、六
年近くもいって、やっと、このあいだ
帰ってきたのさ。るすに
家は
焼け、
親類にあずけておいた
妹は、ゆくえがわからなくなって、かわいそうだよ。」
おじさんの
声は、かすれました。
「かわいそうだね、まだ
小さかったの。」
「でかけるとき、たしか十一ぐらいにしかならぬから、ぶじでいてくれれば、いま十七になるはずだ。だから、ずいぶん
大きくなって、ちょっとあっても、こちらではわかるまいが、おれのほうは、そうかわるまいから、
妹が
見つければ、わかるにちがいない。」と、おじさんは、いいました。
ああ、それで、
町へはいったときに、おじさんは、かけていた、
黒い
眼鏡をはずしたのだなと、わたくしは、
思いました。そして、ほんとに
妹の
身をあんずる、
兄の
心持ちがわかるような
気がして、まぶたがあつくなりました。
「どれ、おそくなるから、もう、もどるとしようね。」
おじさんはそういって、
車をまた、きたときの
道へとかえしました。
まだ、あちらへ
露店がつづいて、いけば、にぎやかなところがあるような
気がしました。そして、うす
緑色の
空の
下、どこか
遠くの
方で、かなしい、ほそい
声がして、わたくしたちをよぶようにもきこえました。
わたくしは、
車の
走る
道すがら、
焼けあとを
見わたして、あのおそろしかった、
空襲の
夜を
思いおこし、
火の
海の
中を、うろついたであろう、
少女のすがたを
想像して、どうか、たっしゃであって、このやさしいにいさんと、
早くめぐりあうようにと、
心で
祈ったのでした。
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