いきかけた
母ねこは、ふりむいて、
「きょうは、あとから、いいお
天気になるよ。また、
遊んであげましょうね。」といいました。
この
屋根の
下には、どういう
人たちが、
住んでいるかわからなかったけれど、
朝と
晩には、
若やかに、
元気のある
話し
声や、
笑い
声がし、
昼間は、まったくしんとしているのをみると、
若い
者たちは、どこへか
働きに
通勤し、
老人が
留守をするごとく
思われました。たぶん、
老人は、
一人いるのでしょう、ときどきしゃがれたせき
声がきこえ、
流しもとで
水を
流す
音がしたのでありました。ほかにいたずらをするような
子供がいなかったのは、なによりのしあわせでした。
近傍にある、
高いかしの
木の
落ち
葉が、
風に
飛んできて、といや、ひさしの
奥に、たまっていました。おりおり、それらが、
龍巻きのごとく、おどり
出すことがありますが、二
匹のねこは、ひさしのすみの
方で、
風をさけながら、それをながめていました。
ある
日のことでした。
太陽のよくあたる
屋根の
上で、
母ねこと
子ねこが、きげんよく、からかいあって、
遊んでいました。すると、どこからか、
「やせたお
母さんの、お
乳しかのまないのに、あの
子ねこは、よくふとっているのね。」と、いう
話し
声が、きこえてきました。それは、あちらの
高い
窓のところで、するのでした。こちらを
見ながら、
一人の
少女が、うしろの
妹にいったのです。
無心でいるのを、おびやかしてはならぬと、
二人は、
姿をねこに
見られぬようにしていました。
少女は、
手に
持っていた、パンをちぎりました。とつぜん、なにか
音がして、ねこのそばへ
落ちました。おどろいた
母ねこは、
背を
円くして、
不意の
来襲者に
備えて、
身構えをしました。
逃げるより、
子供を
守らなければなりません。四
方を
見まわしたけれど、
敵らしいものの
影はなく、
落ちたのは、なんと
香ばしい、バターのついたパンではありませんか。
「だれが、こんなものを
投げたのだろう。」と、
疑いながら、
母ねこは、
高い
窓を
見上げると、
姉妹の
少女が、こちらを
見て、
笑っていました。そのようすで、
悪意のないのを
悟りはしたけれど、なお
母ねこは、
油断をせず、
餌に
近づこうとしませんでした。
「あげたんだから、お
食べ。」と、
少女が、
安心させるように、いいました。
子ねこはついに
我慢がしきれず、パンに
近づきました。
母ねこは、それを
許すごとく、
見ていました。そして、
自分は、
子供にやるつもりか、
食べようとしませんでした。
少女が、また、パンをちぎって
投げました。
「こんどは、あんたにあげるのよ。」
母ねこは、
前に
落ちたのを、はじめて、
静かに
口へ
入れたのであります。
冬の
間じゅう、二
匹のねこは、このあたりの
屋根をすみかとし、
終日、
日当たりをさがして、
歩いていました。そのうち、
春となるころには、
子ねこは、もうだいぶ
大きくなっていました。
町裏に、
隣組の
人々によって、
耕された
田圃がありました。そこには、
黄色の
菜の
花が
咲いていました。
他の
人には、
気を
許さなかった
子ねこも、かわいがってくれる
少女には、なつくようになりました。
そのころ、
白い
雲のあわただしく
走る、
空の
下で、
子ねこは、
菜の
花にとまろうとする、
白い
胡蝶を
葉蔭にかくれて、ねらっていました。こうして、ふたたび、
地上に
降りても、いままでのように、
母ねこは、
後を
追おうとせず、なるたけ
離れて、
気ままに
遊ぶ
子ねこを
見守るというふうでありました。
「もう、じきひとりまえになるのだもの、
私は、そうついて
歩くまい。」と、いわぬばかりに、
目を
細くして、
子ねこが、うまくちょうをとらえるかどうかと、ながめていました。
これを、またそばから
見ていた
少女は、
子ねこのようすが、あまりかわいらしいので、
足音をたてぬよう、うしろへまわり、いきなり
抱き
上げると、ほおずりをしました。
母親は、これも
見ていました。そして、このとき、
子ねこの
行く
先を
見ぬいたのであろうか、「ニャオ。」と、
悲しそうに、
一声高くなきました。そして、その
声を
残して、どこへとなくいってしまいました。それぎり、
母ねこの
姿を、このあたりで、
見なかったのであります。
「お
母さん、この
子ねこを
飼ってちょうだい。」と、
姉妹が、いいはったため、ついにその
願いが、かなえられたのでした。
その
後、
子ねこは、
雨にさらされることもなく、また
飢えのために、
眠れぬということもなかったのでした。
「おまえのお
母さんは、どこへいったでしょう。おまえは、みんなから、かわいがられてしあわせなんだよ。きっと、どこかに、おまえのお
母さんは、いるでしょうに?」
こう、
少女は、
子ねこに
向かって、いうのでした。たとえ、こうして、
向かい
合っていても、そこには、
人間と
動物のへだたりがありました。
考え
方にも、ちがいがあるとみえて、
畢竟なにをいっても
通じなかったのが、
少女には、
悲しかったのです。
いよいよ
冬が
去るのか、あらしの
吹き
荒んだ
夜のことでした。
風は、
空から、
屋根の
上を
吹きまくり、
窓の
戸へつき
当たりました。じっと、
耳をすました
子ねこは、
急にいらいらしだして、へやじゅうを
騒ぎまわり、
外へ
出ようとしました。
「なんだかようすが
変だから、
早く
出しておやり。」と、お
母さんまでが、おっしゃいました。
姉のほうの
少女が
雨戸を
細目に
開けると、すきまから、
烈しい
風が、
内へ
吹き
込みました。
「この
風の
中を、どこへいくの?」と、
少女が、いいました。
子ねこは、
闇の
中へ
飛び
出して、さまよいながら、
目に
見えぬ
影を
慕うごとく、
悲しい
声で、なきつづけました。
「ああ、きっと、
母ねこのことを
思い
出したのだわ。」と、
姉と
妹は、
顔を
見合わせました。
あの
屋根から、
屋根を、
子供をつれて
歩いていた、やせた
母ねこの
姿が、
二人の
目にはっきりと
浮かびました。
子ねこは、
遠くの
方まで、
母を
捜しにいったとみえ、
風のとぎれに、そのなく
声が、かすかにきかれました。かつて、
寒い、
寒い、
木枯らしの
吹く
夜、そして、
霜のしんしんと
降る
夜明け
方、
母ねこに
抱かれて、
安らかに
眠った、なつかしい
記憶が、はしなくも
風の
音によって、
思い
起こさせられたのでありましょう。
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