どこで笛吹く(3)
日期:2022-11-28 23:41 点击:241
三
光治が
笛を
吹くのを
聞くと、だれでもそれに
耳を
傾けて、
感心しないものはなかったのです。
光治ははじめのうちは、その
笛を
大事にして、
夜眠るときでもまくらもとに
置いて、すこしも
自分の
体から
離したことはなかったのです。
彼はだんだん
笛が
上手になって、なんでも
笛で
吹けぬものはないようになりました。そして、
自分を
慰める、もっとも
楽しいものは、まったくこの
世界に
笛よりほかにないと
思ったのであります。
夏休みになったある
日のことでありました。
彼は
麓の
森の
中に
入って、またいつもの
木の
根に
腰をかけて
心ゆくばかり
笛を
吹き
鳴らそうと
思い、
家を
出かけました。
緑の
森の
中に
入ると、ちょうど
緑色の
世界に
入ったような
気持ちがいたしました。
足もとには、いろいろの
小さな
草の
花が
咲いていて、いい
香気を
放っていました。ところどころ
木々のすきまからは、
黄金色の
日の
光がもれて、
下の
草の
上に
光が
燃えるように
映っています。
光治はしばらく
夢を
見るような
気持ちで、うっとりとして一
本の
木の
根に
腰をかけて、
笛も
吹かずに、おだやかな
夏の
日の
自然に
見とれていました。
「どうしてこう
青葉の
色はきれいなのだろう。どうしてこう、この
森や、
日の
光や、
雲の
色などが
美しいのだろう。」
と、
彼はしみじみと
思っていたのであります。そして、
彼がやがて
笛を
吹きますと、その
音色は
平常の
愉快な
調子に
似ず、なんとなく、しんみりとした
哀しみが、その
音色に
漂って
聞かれました。
小鳥もまったく
声を
潜めているようでありました。
光治は、その
木の
根からたち
上がって、
森の
中をもっと
奥深く
歩いてゆきますと、ふとあちらに、ちょうど
自分と
同じ
年ごろの
少年があちら
向きになって、
絵を
描いている
姿が
目に
止まったのでありました。
光治は、いままでこの
森の
中には、ただ
自分一人しかいないものと
思っていましたのに、ほかにも
少年がきているのを
知って
意外に
驚きましたが、いったいあの
少年は
自分の
知っているものだかだれだかと
思って
近づいてみますと、かつて
見覚えのない、
色の
白い、
目つきのやさしそうな、なんとなく
気高いところのある
少年でありました。その
少年は
他人がそばに
寄ってきたのを
知ると、こちらを
向いて
光治の
顔をちょっと
見て
笑いましたが、すぐにまた
絵のほうに
向きなおって
筆を
働かしていました。
光治は
心のうちで
懐かしい
少年だと
思いながら、
静かに
少年の
背後に
立って、少年の
描いている
絵に
目を
落としますと、それは
前方の
木立を
写生しているのでありましたが、びっくりするほど、いきいきと
描けていて、その
木の
色といい、
土の
色といい、
空の
感じといい、それはいまにも
動きそうに
描けていたのでありました。
少年は
熱心に
美しい
絵の
具箱の
中に
収めてあるいろいろの
絵の
具を一つ一つ
使い
分けて
草を
描いたり、また
鳥などを
描いたり、
花などを
描いたりしていました。
光治は
自分の
吹く
笛の
音につれて、
小鳥がいっしょになってさえずるのを
自慢にしていました。いま、
少年の
描いた
小鳥は、
紙の
上から
翼ばたきをして
飛び
立つのではないかと
思われました。そして、たったすこし
前まで、
自分はこの
美しい
自然に
見とれていたのであるが、このきれいな
緑色の
木立も
日の
光も、
山も、
草も、みんなそのままに
絵の
具の
色ですこしも
変わらず、かえってそれよりもいきいきとした
姿で
紙の
上に
描かれているのを
見ますと、
光治は、もはや
笛を
吹くことよりは、
自分も
絵を
上手に
描いたほうがいいように
考えました。
「
君かい、さっき
笛を
吹いていたのは。」
と、その
少年はふり
向いて
光治の
顔を
見て、ちょっと
笑っていいました。
「ああ、
僕だ。」
と、
光治は
簡単に
答えた。
「
君はよくこの
森へ
遊びにきて、
笛を
吹くのかい。」
と、また
少年は
問いました。
「ああ、よくくる。」
と、
光治は
答えた。
「
僕は、もう
絵を
描いたから
帰るんだよ。」
と、その
少年はいって、さっさと
道具をかたづけてしまうと、
「じゃ
君、
失敬!」
と、
少年はさも
懐かしそうに
光治の
方を
見ていって、いずこへともなく
森の
中を
歩いて
姿を
隠してしまいました。
光治はその
少年を
見送りながら、どこへ
帰るのだろうと
思いました。また
光治には、あの
少年が
自分に
向かって
笛を
吹いたのは
君かと
問いながら、すこしもうまく
吹いたとはいわなかったのが、なんとなく
物足らなく
心に
感じられたのであります。
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