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どこで笛吹く(4)
日期:2022-11-28 23:41  点击:240
 


光治こうじうちかえるとばこして、自分じぶんもいっしょうけんめいになってそらや、とりなどをいてみましたけれど、どうしてもあの少年しょうねんいたようなうつくしい、いきいきとしたいろも、姿すがたなかったのであります。光治こうじは、まったくこれは、ふでがよくないからだとおもいました。そしてあの少年しょうねんっていたようなふでがあったら、自分じぶんにもきっと、あのようにいきいきとけるのであろうとおもいました。かれはどこへいったら、あれとおなじいや、ふでっているだろうかと、そればかりおもっていたのでありました。
ある光治こうじもりおくにあるおおきないけのほとりへいってふえこうとおもってきかかりますと、先日こないだ少年しょうねんがまたいけのほとりでいていました。少年しょうねん光治こうじると、やはりなつかしそうに微笑ほほえみました。光治こうじけて少年しょうねんのそばにってますと、青々あおあおとしたみずいろや、そのみずうえうつっている木立こだちかげなどが、どうしてこうよくいろているかとおどろかれるほどうつくしくうつされていたのであります。光治こうじはもはやふえくことなどわすれてしまって、ただ自分じぶんも、このように上手じょうずきたいものだ。それにしても、この少年しょうねんっているこんなふでとがほしいものだとおもいましたから、
きみ、このふえをあげるから、ぼくにそのばこふでもみんなくれないかね。」
と、光治こうじ熱心ねっしん少年しょうねんかおていいました。すると少年しょうねんは、意外いがいにもこころよ承諾しょうだくをして、
「ああぼくにそのふえをくれるなら、きみにみなあげよう。」
といって、ばこも、ふでもみんな光治こうじにくれたのであります。
光治こうじよろこんでうちかえりました。そして、すぐにかみして、はなくさいてみましたが、やはりすこしもいいいろなくて、まったく少年しょうねんいたのとは別物べつものであって、まずくきたなく自分じぶんながらられないものでありました。光治こうじは、まもなく自分じぶんこころをなぐさめたゆい一のふえをなくしてしまったことを後悔こうかいいたしました。
ある晩方ばんがたかれはさびしくおもいながら田舎路いなかみちあるいていますと、不思議ふしぎなことには、このまえじいさんにあったとおなじところで、またあちらからはこをしょってとぼとぼと夕日ゆうひひかりびながらあるいてくるじいさんにあいました。じいさんは光治こうじかおると、わすれずにいたものとみえて、にこにこわらいながら、近寄ちかよってきまして、
ぼうはさだめしふえ上手じょうずけるようになったろう、さあ、あのふえわたしにおかえしなさい。そのかわり、もっとおもしろい、いろいろな音色ねいろるいいふえをおまえにあげるから。」
と、やさしくいいました。光治こうじはこれをくと、なんとももうしわけのないことをしたとおもいました。けれど、どうすることもできませんでした。かれはついに、一始終しじゅうのことをじいさんにけて、どうかゆるしてくださいともうしました。
すると、じいさんのやさしいかおきゅうにむずかしそうなかおつきにわって、
「なんでもひとまねをしようとすると、そういうそんをするもんだ。おまえのちからを、おまえはらんけりゃならん。そして、人間にんげんというものは、なんでもできるもんじゃない。自分じぶんひとよりすぐれたはたらきがあったら、ますますそれを発達はったつさせるのだ。わたしは、おまえにもっといいふえをやろうとおもってってきたが、あのふえわたしかえさなけりゃこのふえわたされない。あのふえは、またほかにやる子供こどもがあるのだから、はやくあのふえをおまえがりもどしてくれば、そのときはこのふえわたしてやる。」
といって、じいさんはいってしまいました。
それから光治こうじは、ふえをあの少年しょうねんからりもどそうとおもって毎日まいにちもりにゆき、やまはいって少年しょうねん姿すがたさがしました。
おりおりいい音色ねいろとおくのほうこえることがありましたけれど、どこでふえだろう。ついぞふたたび、その少年しょうねん姿すがたることができなかったのであります。
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